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【現実世界・オルタリンクタワー/深部・核の部屋】
核の部屋は、呼吸していた。
赤黒い紋が床の下で脈を打つたび、
鉄骨の軋みと、石のうなりが同時に返ってくる。
上を見上げれば、配線の影。
けれど同じ暗がりに、鎖飾りの黒い輪郭が混ざっている。
――境目が、消えた。
さっきまで「飲み込み合っていた」白と赤は、
いまは一枚の空気になっている。
どちらが現実で、どちらが異世界か、
そんな言い方自体が遅れていた。
床の中央。三本の杭。
右は折れたまま沈黙し、左は光の糸を断たれて息が細い。
真ん中だけが、生き物みたいに赤く強く脈打っていた。引きずり込みの杭。
歓迎するように、嬉しそうに。
黒ローブが、増えた。
壁の“裏”から湧くというより、壁そのものが黒くほどけて人の形になる。
顔は見えない。
見えないのに、視線だけが刺さる――測られている。
「……供給を止める」
アデルが低く言った。
剣を構えた姿勢が、いつもの訓練場より一段重い。
リオの腕輪が熱で赤くなりそうだった。
「杭に喰わせてる。倒しても意味が薄い」
セラがうなずく。
「黒ローブは“栄養”です。術式を運ぶだけ。
杭が生きている限り、いくらでも――」
「なら、杭を折る」
アデルが言い切る。
命令口調はいつも通りなのに、声の奥に震えが混じる。
ここを落とせば、現実が沈む。
防波堤は、もう引けない。
ハレルはバッグの口を押さえた。
薄緑の光――日下部のコアが、弱く脈を打つ。
色は薄緑のまま。けれど、光が薄い。
黒い粒が混ざり、脈が、ときどき途切れかける。
(持ってるのに、遠い)
(……杭の向こうに“器”がある)
サキが息を呑む。目は杭から逸らさない。
掌のスマホが震え、画面に短い文字が滲んだ。
《目を固定しないで》
《線だけ見て》
「……分かってる」
ハレルは自分に言い聞かせるみたいに呟き、
視線を杭の“形”ではなく、床を走る赤い線へ落とした。
血管みたいな線。
黒ローブが触れようとしている線。――供給路。
「リオ」
アデルが短く呼ぶ。
「“線”を剥がせ。黒を、寄せるな。離せ」
「了解」
リオは鎖を走らせた。
黒ローブの影に噛みつく鎖は、
引き寄せるのではなく、床から引き剥がすように絡む。
影が千切れ、黒い布が一瞬だけ“空中に浮く”。
その隙間から赤い光粒がこぼれ、床の線へ吸われかける。
「吸わせるな!」
アデルが踏み込んだ。
剣閃が、床の赤い線を“断つ”。
金属が石を斬る感触のはずなのに、
刃先は膜を切るみたいに滑り、赤い線がぷつりと切れた。
――空気が鳴った。
低い音。
遠くでエレベーターの到着音みたいな乾いたチャイムがして、
同時に塔の鐘の余韻が重なる。
「ここはどこだ」と世界が呻く。
セラが一歩分距離を取り、落ち着いた声で告げた。
「今のが正しい。線を断てば、供給は細ります」
細る。
――でも、止まらない。
黒ローブは無言で、別の線へ手を伸ばす。
影が床を這い、赤い血管を探すみたいに動く。
アデルの瞳が鋭く光った。
「左だ。左杭を折る。真ん中は最後」
「折った反動、来るぞ」
リオが短く言う。
腕輪の熱が痛みに変わる。皮膚の下で金属が生きている。
ハレルは主鍵を握り直した。
熱い。痛いほどじゃない。
だがその熱は、世界を「固定」へ寄せる熱だ。嫌な確信が胸に沈む。
(俺が見たら、進む)
(進めば、向こうの思う通りになる)
それでも、止めるために進むしかない。
サキが小さく、でもはっきり言った。
「お兄ちゃん、線……あっち」
指差した先。
左杭の根元に、まだ生きている赤い線が一本だけ残っている。
細い。見落とすくらい細いのに、脈が強い。
杭の“最後の糸”。
「ありがとう」
ハレルは短く返し、目線をその線に合わせた。
杭そのものは見ない。線だけ。
アデルが剣を引き、息を吐く。
「――断つ」
刃が、最後の線を切った瞬間。
左杭の光が、ふっと弱くなった。
杭が、沈黙しかける。
だが次の拍で、真ん中の杭が赤く跳ねた。
鼓動が早い。
まるで「次はこっちだ」と笑っているみたいに。
黒ローブが、いっせいに動いた。
供給を取り戻そうとする群れ。
壁の裏から増える影。床の線へ伸びる手。
「邪魔だ」
リオの鎖が唸る。
鎖が床を這い、黒ローブの足元を絡め取り、線から引き剥がす。
引き剥がされた影は赤い光粒を撒き散らし、
撒き散らした粒は杭に吸われ――そうとして、アデルの剣で弾かれた。
アデルは、躊躇なく左杭へ踏み込む。
剣先を杭の根元へ突き立てるのではない。
杭の“存在”を断ち切るために、刃を横へ滑らせる。
座標の釘を、折る――そのための角度。
「ハレル。サキ。下がれ」
アデルが命じた。
サキがすぐに半歩退き、ハレルの袖を掴む。
二人の距離が縮まる。
怖さを誤魔化すためじゃない。支えるための距離だ。
「行け」
アデルが言い、剣を振り抜いた。
左杭が――折れた。
折れた瞬間、世界が“跳ね返った”。
タワーの地下の鉄骨が、怒りみたいに軋む。
同時に、塔の石が泣くように軋む。
床の紋が波打ち、赤黒い線が一斉に逆流した。
ハレルの胸元の主鍵が、熱を爆ぜさせる。
視界の端で数字みたいな光粒が舞い、空間が一拍だけ白く裏返った。
サキが歯を食いしばる。
「……っ、来る……!」
セラが落ち着いた声で言う。
「耐えて。今の揺れは、抜けます。――“防波堤”が折れていない限り」
アデルは、揺れの中で剣を立てたまま動かない。
髪の三つ編みが揺れ、外套が風に叩かれる。
それでも足がずれない。
剣士の意地だけじゃない。
ここで踏ん張ることが、現実を守ることだと理解している。
揺れが一段落したとき、床の紋の一部が“開いた”。
中央の杭へ向かう赤い線の束。その横に、細い裂け目。
白い廊下の匂い――
焦げと、冷たい粉の匂いが、そこから吹き上がる。
ハレルのバッグの中で、薄緑が強く脈を打った。
黒い粒が、また増える。
脈が、途切れかける。
(近い)
(……日下部がいる)
リオが裂け目を睨み、短く言った。
「奥がある。……真ん中の杭の先だ」
アデルは剣を下げずに答える。
「行く。真ん中を折る前に、奪われたものを確認する」
セラがうなずき、いつもの距離を保ったまま言った。
「急ぎましょう。杭が生きている限り、黒は増えます。
――そして、誰かがそれを“見ています”」
その言葉の直後、空間のどこかで、
丁寧な拍手みたいな音が一度だけ鳴った。
誰の姿もない。
なのに、確かに。
ハレルは反射で見上げそうになって、噛み殺した。
見れば固定される。
固定されれば、実験が進む。
(……カシウス)
サキが、震えを飲み込んだ声で言う。
「お兄ちゃん。……行こう」
ハレルはうなずいた。
5人は裂け目へ向かって踏み出す。
防波堤の上で、次の波が――もう形になりかけていた。