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「どうしましたか?」
歩みが止まっている私に声をかけてくれた。
「いえ。私、荷物を持ってもらったことがなくて。朝霧部長に持ってもらえて、なんだかカッコ良いと思ったっていうか。嬉しくて。ありがとうございます」
部長は瞬きを何度かして
「いいえ。こんなことで喜んでもらえるなら、毎日持ちますよ」
フッと優しく微笑んでくれた。
アパートに着き
「部長。座っててください。何もない部屋ですが、夕ご飯できるまでゆっくりしててください」私は部長をソファに座らせた。
「あ、上着預かります」
「ありがとうございます」
朝霧部長から預かった高そうなスーツをハンガーに大切にかける。
シワにならないようにしなきゃ。
ちょっと緊張しながら、ゆっくりとかけていると
「そんなに慎重にならなくて大丈夫ですよ。芽衣さんって面白いんですね」
彼が笑っている。
「朝霧部長のスーツなんて汚してしまったら、弁償できませんから」
あれ、今日も普通に会話できてる。
「俺は芽衣さんに怒られないように、大人しくしてます」
部長はそう言って目を閉じた。
眠いのかな?疲れているよね。
私は急いで夕食の支度を始めた。
チラッと部長を見ると、体勢が変わっていない。傾眠してる?
そっとひざ掛けを肩にかける。起きない。
相当疲れてるんだろう。
私は再びキッチンに戻り、準備をした。
「部長、起きてください」
私が声をかけると
「ああ、すみません。寝てしまいました」
部長はゆっくりと目をあけた。
「夕ご飯できました。こんなものですが」
変わり映えしないメニューだが、今日のハンバーグは大根おろしの和風にしてみた。お味噌汁とちょっとしたサラダも作ってみたけれど、美味しく作れたかな。
「すごく美味しそうです。良い匂いがします」
いただきますと朝霧部長は手を合わせ、箸を持つ。そしてハンバーグを一口食べて
「美味しいです!」
この前と変わらない表情にホッとする。
「口に合って良かった」
作った物を食べてもらうことになれていないから、緊張していた。肩の力が抜ける。
「お世辞じゃないです。本当に美味しい。それに、好きな人と食べるご飯って幸せです」
「えっ」
部長はサラっと言葉にしてくれたけれど、そうだ、私は部長から好きだって言われてて、今はプライベートでは友達という関係になっているんだ。
だけど一緒の部署になって、きっと私の悪評も聞かされただろうし、実際はどう感じているんだろう。
「部長は会社での私の姿を見ても、嫌いにならないんですか?」
朝霧部長は箸を止め
「どうして嫌いになるんですか?」
逆に私に質問をしてきた。
「えっと。私って、暗いし、みんなからの評判も悪いし、バカにされているし……」
「他人の評価なんて関係ないです。俺がどう思うのかなんて、自由ですから。変わらず、俺は芽衣さんのことが好きですよ」
ストレートすぎて、顔が熱くなる。
朝霧部長の言葉を信じたい。だけどまた信じて、あんな思いをするのなら、信じたくない。
傷つきたくないという弱さが強く心を支配する。
「俺は諦めません。芽衣さんに信用してもらうまで」
私の心を読んだかのように、彼はそう言った。
夕食を食べ終え、食器を片付け、部長が帰るのを見送ろうとした。
「今日はありがとうございました。おいしかったです」
「いえ。こちらこそ」
ペコっと頭を下げる。
「あ、そういえば。この前濡れてしまった部長の服、クリーニングに出しました。すみませんでした」
いつ渡そうかと思っていたけれど、ちょうど良かった。
「え、クリーニングなんか。良かったのに」
紙袋を渡そうとした時、部長の手に触れてしまい、思わず手を引っ込めた。
「ごめんなさい」
どうしてこんな態度しかできないんだろう。
部長が嫌なわけじゃなくて、肌に触れてしまったことにびっくりして、ドキドキして。
「こちらこそ。芽衣さんの嫌がることはしないって言ったのに。距離が近くてすみませんでした」
私が悪いのに、朝霧部長は謝ってくれる。
「じゃあ、また」
部長が部屋を出て行こうとした。
どうしよう、せっかくご飯まで食べてくれたのに。朝霧部長とこんな感じで別れたくない。
「ごめんなさい!部長が嫌いなわけじゃないんです。肌に触れてしまって、ドキドキして。それは、怖いとかじゃないドキドキで……。うまく伝えられないんですが、とにかく嫌とか怖いとかじゃなくて、部長に嫌われたくなくて」
ああ、何を言っているんだろう。
「大丈夫です。気持ちは伝わりました」
部長は柔らかな顔で
「じゃあ、慣れる練習です。握手、この前みたいにできますか?」
部長は手を差し伸べてくれた。
「あ、はい」
私は部長の手を握ってみた。大きな手。
「良かった。触れてくれて」
部長は
「ありがとうございました。明日会社で」
そう言って帰ろうとした。
「あの、部長。今度は部長から私に触れてくれませんか?」
私、何を言っているんだろう。
「芽衣さん?」
朝霧部長も私の発言に驚いている。
「慣れる練習、付き合ってください」
私、どうしちゃったんだろう。
こんなことを言って、朝霧部長に気持ち悪いって思われたらどうしよう。
きちんと部長の顔を見ることができなくて、下を向いた。
「芽衣さんが良ければ。触れます」
私は目を閉じた。部長が怖いからじゃない。緊張して動けない。
ドキドキしていると、部長の大きな手の感触が私の頬を包んだ。温かい。
「嫌じゃないですか?」
「はい」
私は恐る恐る頬に触れている部長の手に触れた。ごつごつしてて、男の人の手って感じだ。
目をゆっくりと開け、部長を見る。
「部長、顔が赤いです」
部長の顔が紅潮していた。
「俺も緊張してしまって。すみません」
部長でも緊張することあるんだ。
「だけど、この手を離したくなくて」
部長の手はまだ私の頬にある。
「朝霧部長なら怖くないです」
触れられた時、ビクっとしてしまったけど、大分落ち着いた。最初から恐怖はない。
「私、朝霧部長に慣れたみたいです。あ、すみません。言い方が失礼でした。ごめんなさい。 懐いたとか、ネコっぽい言い方の方が良いですか?」
そうだ、私は朝霧部長に心を許しているんだ。
「芽衣さん、そんなことを言われると、離したくなくなります」
部長は私の頬から手を離し、ゆっくりと私に近づいた。そして優しく抱きしめてくれた。
「怖くないですか?」
こういう時、手はどこにあるのが正解だろう。
「怖くないです。部長が大きくて、なんか安心します」
私もゆっくりと部長の背中に手を回した。
はじめてだ。こんなことをするのは。
ドキドキして、心臓がおかしくなりそう。
だけど居心地が良くて。離れたくない。
しばらく私は、部長の胸の中にいた。
部長が帰ったあと、ベッドに倒れ込む。
部長が抱きしめてくれた時の感触が残っている。
部長のことを考えると、ドキドキする。
それに、なんだかほわほわした気分になって、安心する。それなのに、不安にもなる。どう思われているのか、怖い。
あんなことをして、嫌われてしまったかも。
猫カフェで初めて話しかけられた時は、こんな気持ちなんてなかったのに。
嫌われたって良いし、誰になんて思われようが、別に関係なかったのに。
今は、部長のことばかり考えてしまう。
さっき別れたばかりなのに、今もう会いたい。
これって、もしかして……。