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翌朝
静寂を愛するはずの屋敷の玄関ホールには、不釣り合いなほど野卑な怒鳴り声が響き渡っていた。
重厚な扉の向こう側から聞こえてくるその声は、かつて私の世界を支配し、凍りつかせていた忌まわしい記憶そのものだった。
応接間に通された私の父と継母は
そこにある一脚の椅子、一つの花瓶に至るまで、豪華な調度品を値踏みするような卑しい目を向けていた。
そして、ディオール様に付き添われて私が部屋に入った瞬間、
彼らは待っていましたとばかりに顔を真っ赤にして怒鳴りつけた。
「おい!!親がわざわざ迎えに来てやったんだ、さっさとこっちにこい!」
かつての私なら、この声を聞いただけで平伏していただろう。
彼らは私を見るなり、親としての情など微塵も感じさせない冷酷な言葉を投げつける。
「この親不孝者が! 騎士団長様に泣きついて、どれだけ迷惑をかけていると思っているんだ!ほら、さっさと荷物をまとめろ。……ああ、ディオール様。この度は、うちの『娘』が大変失礼をいたしました」
「ただ、うちの娘を誘拐したとして、この屋敷の金貨数千枚ほどいただければ、今すぐ連れ帰りますので」
父の言葉を聞いた瞬間、私の全身の血が凍りつくような感覚に襲われた。
「娘」という名目。けれど、彼らが私を連れ帰った後に待っているのは「娘」などではない。
私という存在を担保に、この高潔な騎士から金を毟り取ること。
彼らにとって、私はやはり、最期までただの「金づる」でしかなかったのだ。
情けなさと恐怖で足が震え、視界が涙でぐにゃりと滲む。
しかしその時、私の肩に、大きくて温かい、揺るぎない力が込められた手が置かれた。
「……僕の屋敷で、あまり大きな声を出さないでもらいたいな。ラヴィが怯えている」
ディオール様の声は、低く、そして背筋が凍るほど冷徹だった。
彼は私を自らの広い背中に隠すようにして一歩前に出ると、氷の礫のような眼差しで両親を射抜いた。
その場にいた空気が一瞬で張り詰め、温度が数度下がったかのような錯覚を覚える。
「な、何を仰いますか。これは家庭の問題で……さあ、ラヴィ! 黙ってないで何か言え! お前のような欠陥品を置いておいてくれる場所なんて、うち以外にないんだぞ!」
逆上した父が私を激しく指差し、威嚇するように一歩踏み出そうとした。
その瞬間、私は無意識にディオール様の騎士服の裾をぎゅっと握りしめていた。
彼の体温が指先から伝わってくる。
守られている。
その実感が、私の中に眠っていた「本当の声」を呼び覚ました。
私は、震える足で床を踏みしめ、顔を上げた。
「……っ、私は、帰りません!」
「な、なんだと……!?」
「私は……あなたたちの道具じゃない。ここでは、名前を呼んでもらえる。温かい食事をもらえる。……『生きていていい』って言ってもらえるんです。私は、ディオール様のそばにいたい…この人に尽くして、恩返しがしたい。だから……だかりあなたたちみたいな親とも呼べない最低な人達とは、もう二度と会いたくありません!!」
声は震えていたかもしれない。
でも、生まれて初めて、私は誰かに強いられた言葉ではなく、自分の心の内にある叫びを言葉にできた。
絶句した父の顔が、怒りでどす黒く変色していく。
彼はプライドを傷つけられた獣のように激昂し、私を殴り飛ばそうと大きく右手を振り上げた。
「い、いっちょまえに口答えをするなああぁ!!!この、出来損ないがっっ…!!」
「───そこまでだ」
重々しい衝撃音が室内に轟いた。
ディオール様が腰の剣を鞘に入れたまま、目にも止まらぬ速さで父の腕を制したのだ。
物理的な衝撃だけではない。
彼が放った凄まじい威圧の風圧に、父と継母は悲鳴を上げる暇もなく腰を抜かし、無様に床にへたり込んだ。
「僕の目の前で、僕の大切なメイドに手を上げようとは……いい度胸だ」
ディオール様の声には、もはや隠しきれない怒りが宿っていた。
彼は蔑むような一瞥をくれると、懐から数枚の書類を取り出し、床に這いつくばる彼らの前に冷酷に叩きつけた。
「これは、近隣住民から集めた君たちの虐待の証言。そして、ラヴィを診察した医師による診断書だ。衰弱死寸前まで追い込んだ事実は、帝国の法律において重大な罪にあたる」
「な……そ、それは……!」
「さらに、君たちが抱えている多額の借金についても調べはついている。騎士団長への恐喝罪も加えれば、君たちが二度と日の光を浴びることはないだろう。……連れて行け」
ディオール様が冷徹に合図を送ると、控えていた騎士たちが一斉に部屋へとなだれ込んだ。
「離せ!」「これはなにかの間違いだ!」
と見苦しい絶叫を上げる両親は
容赦なく拘束され、引きずられるようにして連行されていった。
嵐が去った後の、静寂に包まれた応接間。
極度の緊張から解放され、私の膝がガクガクと崩れ落ちそうになった。
けれど、地面に沈むよりも早く
ディオール様の温かな腕が私を強く、壊さないように抱きしめてくれた。
「……よく頑張ったね、ラヴィ。最高の勇気だったよ」
「ディオール、様……。私、言えました。ちゃんと言えました……っ」
「ああ、聞こえていたよ。……君が『私のそばにいたい』と言ってくれたこと、一生忘れない。……ありがとう」
彼の胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくりながら、私は確信していた。
私を苦しめていた長く暗い夜が、今、ようやく明けたのだと。
これからは、この温かな鼓動が聞こえる腕の中で
誰のためでもない、私自身の人生を歩んでいけるのだと。
顔を上げると、窓の外に広がる午後の空は
いつかの嵐が嘘だったかのように、どこまでも高く、澄み渡っていた。