テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
191
레몬인
201
そあち♡໒꒱
88
なんたろ
1
第98話:『税務調査』の足音〜パンフレットの下に隠された、真の死刑宣告〜
「……はぁぁぁぁ。マジでビビらせやがって」
七万人のリスナーを集めた『茶封筒開封式』の緊急配信を終え、俺は三万円のゲーミングチェアの上で、どっと押し寄せた疲労に身を委ねていた。
帯広の四畳半のボロアパートは、配信の熱狂が嘘のように静まり返っている。
春先の冷たい夜風が、サッシの隙間から四十歳の身体に染み込んできた。
「ただの新設法人向けのパンフレットだったじゃねえか。国家権力も、あんな分厚い封筒で送ってくるなよな。心臓が止まるかと思ったぜ」
俺は、机の上に散乱している『正しい記帳の手引き』や『法人税の仕組み』と書かれたカラフルな冊子を、適当にまとめ始めた。
「結愛(ゆあ)。とりあえずこのパンフレット一式、明日百均でクリアファイル買ってきて突っ込んどくわ。お前も後でデータに目を通しといてくれ」
俺が裏回線に向かってそう告げると、アシスタントの結愛は、いつものように淡々と返事をした。
『承知いたしました、ルシフェル社長。ですが、税務署からの送付物は、念のため封筒の隅々まで確認することを推奨いたします。重要な書類が密着しているケースもございますので』
「密着ってなんだよ。これで全部だろ」
俺は、中身を出し終えたはずの分厚い茶封筒を逆さに持ち、バサバサと振ってみせた。
「ほら、空っぽ……」
その時だった。
『ペラッ』
茶封筒の奥底、マチの部分に引っかかっていた『一枚の紙』が、重力に従って机の上に滑り落ちた。
「……ん?」
俺は、その紙切れを何気なく拾い上げた。
それは、先ほどのカラフルで親切なパンフレットとは全く違う、ペラペラの、いかにも【お役所の事務書類】といった風情の、冷たいA4用紙だった。
「なんだこれ。アンケートハガキか何かか?」
俺は、薄暗い四畳半の電灯の下で、その用紙のタイトルに目を細めた。
そして。
俺の心臓は、先ほどの配信中とは比べ物にならないほどの、真の恐怖によって完全に凍りついた。
そこに、明朝体で記されていたタイトルは。
【事業内容および事業規模の急拡大に関する『お尋ね』】
「…………おたずね?」
俺は、震える声でその文字列を読み上げた。
『お尋ね』。
それは、一見すると丁寧で柔らかい言葉に聞こえる。
だが、税務署から送られてくるこの言葉の裏には、背筋が凍るような【本当の意味】が隠されていることを、俺はネットの知識で知っていた。
「ゆ、結愛……。ジェミニ先生……。なんか、ヤバそうな紙が出てきたんだけど……」
『画像認識システム、起動。書類をカメラに近づけてください』
ジェミニ先生の無機質な音声に従い、俺は震える手でそのA4用紙をウェブカメラに押し当てた。
数秒の沈黙。
そして、元コールセンターの猛者である結愛から、死刑宣告のような分析結果が下された。
『……ルシフェル社長。大変申し上げにくいのですが、これはパンフレットのような「一斉送信」の案内ではありません。帯広税務署が、社長の会社を【個別でロックオン】した証拠です』
「ロ、ロックオン……ッ!?」
俺は悲鳴を上げ、三万円のゲーミングチェアから転げ落ちそうになった。
『はい。文章を要約いたしますと、「あなたの事業の売上が、ここ数ヶ月で極端に異常な伸びを示しているため、どのようなビジネスモデルで、どこから資金が流入しているのか、詳細に説明しなさい」という内容です』
「異常な伸びって……!!」
『当然です』
結愛の冷徹な声が、俺の甘い認識を打ち砕いていく。
『ルシフェル社長は、ほんの半年前まで、この帯広の四畳半で微々たる収益しか上げていない底辺の個人事業主でした。それが突如として、月商数千万円規模に跳ね上がり、さらに『V-Breaking』の優勝賞金一千万円という莫大なキャッシュが口座に振り込まれたのです』
「そ、それは……スタプロからの正当な賞金で……!」
『国税庁の巨大なデータベース【KSK(国税総合管理)システム】から見れば、そんな事情は関係ありません。底辺だった人間がいきなり数千万の現金を手に入れ、慌てて法人を設立した。……システムはこれを、「極めて不自然なお金の動き」として検知し、アラートを鳴らしたのでしょう』
「アラートって……! 俺は何も悪いことしてねえぞ!! ただゲームして、税金にキレて、口喧嘩で優勝しただけだ!!」
俺は畳の上に這いつくばりながら、無実を叫んだ。
『税務署は社長が悪いことをしていると断定しているわけではありません。ただ、「これだけ急激に稼いだのだから、当然、莫大な税金を納める準備はできていますよね? 経費で誤魔化そうとしていませんよね?」と、確認……いえ、【牽制】してきているのです』
牽制。
その言葉の重みに、俺は息が詰まった。
「……もし、この『お尋ね』を無視したら、どうなるんだ……?」
俺が震える声で尋ねると、ジェミニ先生が冷酷なデータを弾き出した。
『お尋ねは法的な強制調査ではありません。しかし、これを無視した場合、あるいは回答内容に不審な点があった場合、税務署は「悪質な隠蔽の可能性がある」と判断し、次のフェーズへ移行する確率が98%に跳ね上がります』
「次のフェーズ……」
『はい。いわゆる【実地調査(税務調査)】です。ある朝突然、スーツを着た調査官がこの四畳半のアパートのチャイムを鳴らし、パソコンのデータから通帳の履歴、さらには領収書の一枚一枚まで、全てを徹底的に洗い出します』
「…………ッ!!」
俺の脳裏に、黒いスーツを着た冷酷な調査官たちが、土足でこのボロアパートに踏み込み、俺の全財産を差し押さえていく絶望のビジョンが鮮明に浮かび上がった。
「す、鈴木さんッ!! 鈴木さァァァァん!!」
俺は、帯広市役所にいる天敵(ケースワーカー)の名前を、すがるように叫んだ。
だが、すぐに気づく。
鈴木さんはあくまで「市役所」の人間だ。
今、俺に牙を剥こうとしているのは、国税庁という「国家」の巨大な集金マシーンなのだ。
鈴木さんどころの騒ぎではない。
レベルが違いすぎる。
「終わった……。俺の株式会社インフィニティ・ワンは、設立数ヶ月にして、国家権力に目をつけられたんだ……っ」
『ルシフェル社長。絶望している時間はありません。この「お尋ね」の提出期限は、今月末です。早急に、一円の狂いもない完璧な帳簿と、事業計画書を作成し、税務署に提出して「疑い」を晴らす必要があります』
結愛の容赦ない業務連絡が、俺の脳髄を叩く。
パンフレットに安堵し、リスナーと笑い合っていたのは、わずか数十分前のこと。
あの分厚い封筒は、ただの初心者ガイドの皮を被った、トロイの木馬だったのだ。
真の死刑宣告は、その一番奥底に、静かに隠されていた。
「……税理士……。結愛、明日一番で、帯広で一番強そうな税理士事務所のアポを取ってくれ……っ。いくらかかってもいい、経費で落とすから……っ」
『経費で落とす前提の無駄遣いは税務署の心証を悪くしますよ、社長』
四十歳。帯広の四畳半。
代表取締役・秋谷雪。
彼の背後には今、インボイスという名の悪魔だけでなく、『税務調査』という名の巨大な死神が、確かな足音を立てて忍び寄ってきていた。
逃げ場はない。
資本主義のデスゲームは、ついに国家権力との直接対決のフェーズへと突入したのであった。
コメント
1件
「パンフレットに油断した直後の『お尋ね』の落ち紙、これは心臓に悪いですね……(笑)。結愛の“ロックオン”っていう表現が妙にリアルで、国税庁のKSKシステムの名前まで出てくるところが逆に怖い。『鈴木さん!』って叫ぶ場面、思わず笑ってしまいましたが、笑い事じゃない緊張感もちゃんとあって、次どうなるのか気になりますね。」