着飾った美女達が、謁見の間を埋め尽くすばかりに群れている。
その光景に、ハッサンは凛とした眉を吊り上げた。
「ああ、もう消してくれ」
「おやおや、あなた様が、望まれたのですよ」
ハッサンが座る真珠で装飾された椅子の脇で、女魔法使いのザーハは、あっけらかんと言い放つ。
「私が、いつ望んだ?」
「まあぁ!ザーハを相手にするより、王宮のハーレームに詰める女を相手にしたいものだと、願ったではありませんか」
「願った?!私は、サルタンだぞ。お前に頼らなくとも、女に欠いてはいない!」
願ったのではなく、売り言葉に買い言葉で、お前が言わせたのだろう!
喉元まで出てきた罵りの言葉を、ハッサンは、ぐっと飲み込んだ。
仮にも、自分はサルタンと呼ばれる身。 古代信仰の最高僧、カリフから、三代に渡って、この地域の自治を任されている長なのだ。
亡き父の跡を十五で継いで、すでに、八年。女相手に、むきになる歳でもないだろう。
なにより、群れる美女達が、こちらを気にかけている。
女達は、何故ここにいるのか分からないと、ざわめいていた。
魔法によって、知らぬ間に住家である王宮の奥から連れてこられたのだ、当然だろう。
そして、姿を見せていないだけで、衝立やら、帳やらの裏には、ハッサン専属の召使達が控えている。
そう、ここにいるのは、美女達だけではない。
長としての威厳を守らなければ。
ふん。と鼻をならし、ハッサンは右手を振った。
その仕草に、ザーハは、うっとおしそうに魔法の杖を振る。
たちまち、ぱっと、女達は消え、がらんとした広間が戻ってきた。
「お次のお望みは?」
ザーハは、すましこむ。それが、魔法使いの義務だと言いたげに。
ともかく、仕える者の望みを叶えるという使命が、流れる血にしっかり刻み混まれているようで、ザーハは、次から次へとハッサンへ望みを問うてきた。
持つ魔法の杖先が、小刻みに揺れている。さっさと望みを言えと催促だろう。
「お前だ」
ハッサンの中に戯れ心が沸き起こった。
「おや?私?」
「望みはなんでも叶えると、誓ったろう?」
あれは三日前。
ハッサンは、シーマと呼ばれる、いかがわしい自由市場を探索していた。
共を数人付けただけ、いわゆるお忍び。つい気が緩み、足を踏み入れるのもためらわれる場所へ行ったのだった。
「一度こすれば、曇りがとれて、二度こすれば、願いが叶う」
なにやら、奇妙な口上が流れてきた。
耳を澄ませ、声をたどって行くと、路地裏で老人が商っている。
肌に塗る香油を入れた容器をずらりと並べ、
「どうです?願いが叶いますよ」
と、ハッサンに勧めてきた。
一瞬、銀で出来ているのかと思ったが、なんのことはない、型抜きされた真鍮製の安っぽい品物だった。
「まあ、見かけは、ぱっとしませんがね。ですが、すべて魔法使いが宿っておるのです」
まるで、おとぎ話だと、ハッサンは老人を呆れ見る。
が、そんな視線に憶する事なく、老人は香油入れを差し出してきた。
「はい。銀貨二枚ね」
結局、口車に乗せられたハッサンは 無駄な買い物をしてしまう。
そして、屋敷に戻り、なにげに香油入れをこすってみると……。
細く尖った注ぎ口から、もくもくと煙が吹き出した。
続いて、踊り子のように幾重にも腕輪を重ね、霞みのように消え入りそうな目の混んだベールを被る女が現れた。
ハッサンは、目を疑う。
ターバンを巻いた筋肉隆々の魔人が現れたのなら、それなり納得できる。
が、女。
まあ、絶世の美女とは言いがたいが、少しカールした黒髪を垂らす、どこか愛嬌のある娘だった。
しかし、現れたザーハと名乗る女魔法使いに、ハッサンが見惚れたのはつかの間のことで、 執務時間の目安に使っている砂時計を、召使が一、二度返した頃には、互いに親の敵を見つけたかのよう罵りあっていた。
ザーハの天性の人懐っこさと言うべきか、あけすけさと言うべきか、要は、その口の悪さが、ハッサンの気を逆撫でたのだ──。
「さてさて、私と言われましても」
ハッサンの望みに、ザーハは首を傾げている。
「お前といれば、飽きないからな」
「なるほど。それは、当然のことですわ」
ザーハは、魔法の杖をちらりと見た。
杖があれば、なんでも叶う。面白おかしく暮らせて行ける。
でも──。
香油入れを買った時点で、ザーハは、ハッサンのもの。あえて、お前が欲しいと願う事もないだろう。
「ああ!あなた様は、この魔法の杖が欲しいのですね。ですが、私がおらねば、使う事は出来ないから……」
「違う。違う。お前だよ。美女と三日いると飽きると言われているだろう?だが、気がついた。お前には、その心配がないとね」
してやったりと、ハッサンは、ザーハを見た。
「まぁっ!」
「ああ、それから香油入れは始末した。お前が他の者に取られないようにな」
これで、逃げ場所を失ったと、悔しがるザーハの姿が見れる。ハッサンはご機嫌だった。
ところが。
「あらまあまあ、それは困ったわ」
言って、ザーハはくすりと笑う。
「困る事はない。私の妻になれば、住みかでもある香油入れが無くとも 快適に過ごせるのだから」
ハッサンは、ギョッとする。
妻?!今、自分がそう言った。
口が滑ったと言うより、なぜ、そんな事を言ったのかと、ハッサンは焦りきる。
「まあ!魔法の杖って、相当な威力なのね。願い事がすぐ叶うなんて!」
すかさず喜ぶザーハに、ハッサンは、仕組まれたのだと気がついた。
「なっ!お、お前、自分のために魔法を使ったか!」
ザーハには、ハッサンの怒りは通じてないようで、いけないかしら?と、上目使いの視線を送ってくれる。
同時に、わらわらと召使達が現れて、口々に祝いの言葉を述べ始めた。
立ち聞きしていたかと一喝してやりたいのは山々。 が、ハッサンは、受ける祝辞に、なぜか心地よさを感じるのだった。
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