テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
週末。久しぶりに休みが取れた日。
藤澤は香水店「MORI」の扉を開いた。
「こんにちは」
「お、来たね」
大森は調香室の奥から顔を出しながら、白衣を脱いで前に出てくる。
「元気そうじゃん。今日は倒れてない?」
「元気な客に失礼ですね」
「元気な“君”だから言えるの。安心した」
さりげない大森の言葉が優しく心に沁みた。
藤澤はカウンターの前に座る。雨の日のこと、「好きじゃないのは嘘だと思う」と伝えた日から、まだ数日しか経っていない。
それなのにもうだいぶ何かが変わってしまった気がする。
落ち着くはずの香水の空間が、今は妙に心臓に響く。
「で、今日は何の用?」
「新作を、試してもらいたいって言ってましたよね?」
「ああ、そうそう。藤澤専用香水。No.6」
大森は棚から小瓶を取り出す。ラベルにはまだ名前がない。
ただ端に「for R」──それだけが小さく記されていた。
「深いグリーンとシダー、少しミルラ。静かな夜の余韻をベースにしてある。スパイスでジャスミン。君の“芯”みたいなものを混ぜた。…..香ってみて」
藤澤は瓶を受け取るとムエットに数滴落としてゆっくり香る。
深く澄んでいて、どこか透明。
けれどほんのり甘くて苦みのような情熱が芯に残る。
「……これ、ぼくのイメージなんですか?」
「僕の中の君」
「どういう意味ですか」
「今まで会ってきた君、話した君、寝ぼけた君、黙って耐える君。その全部が混ざってる。だから“君を香りにした”って言える」
藤澤はしばらく黙っていた。
「…じゃあ、ぼくが名前つけてもいいですか」
「もちろん。命名権は君にある」
「うーん…難しいですね。でも、これは“僕”だけど“僕じゃない”。大森さんが“好きになった自分”だから…」
言いかけて藤澤は一度息を吐いた。
「“Rendezvous”とか、どうですか」
「ランデヴー?」
「“会う約束”って意味もあるし、“密会”って意味もある。それに、自分でも自分の気持ちに会いにいく、そんな感じがするから」
大森はしばらく黙って、香水瓶を見下ろしていた。そしてそっとペンを取り、ラベルに書き込む。
処方名:Ryouka No.6 “Rendezvous”
「すごく、いい名前」
「ほんとですか」
「うん。名前をもらえた香りは絶対に忘れられない」
それにもうそれ、半分告白みたいなもんだよ
そう微笑んで大森に言われ
藤澤は耳まで赤くなった。
「ち、違います。そんな、告白とかじゃ、まだ…」
「うん、まだでいい。でも僕はしっかり受け取るよ。好きって言われるより、君がこれに名前をつけてくれたことのほうがよっぽどグッときた」
「バカですね」
「でしょ。バカでよかった」
その日の帰り道、藤澤のポケットには小瓶が入っていた。
“Rendezvous”と書かれた、自分が命名した特別な香り。
それをときどき嗅ぎながら、藤澤は自分に問いかけていた。
──これはもう、恋ですか?
でもその答えは、香りの中にもう書いてあった。