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もうすぐ九月。
人工芝の敷かれた屋上は、ランチタイムを楽しむにはまだ暑かった。
瑠璃と寿は唯一の日陰にあるプラスチックの白いベンチに腰掛け、コンビニで買った焼肉弁当と冷やし中華の封を開いた。
白い袋にポリエチレンのラップを入れていると、何人かの女性社員がベンチを覗きに来たが、先客ありと気づいてその場を去っていった。
内緒話をするには丁度いい状況だった。
「それで? どうだったって?」
寿が冷やし中華のスープを黄色い麺にちょろちょろとかけながら、まじまじと瑠璃の顔を見た。
瑠璃は電子レンジで熱々になった焼肉弁当の蓋をそっと剥がし、白い袋に器用に捨てた。
「ん、マジかーーーーー!って叫んでた」
「マジか!って、あの黒木が言うの!?」
「うん、びっくりした」
「可愛いとこあるじゃん。ギャップで萌え萌えしたでしょ」
「……した」
「この幸せ者が!」
ずるずると麺を口に運びながら、寿は青い空を見上げた。
「で?」
「で?」
「その後、どうしたのよ」
「どうしたのって?」
「うふふふ」
「うふふも何も、焼肉に連れて行ってくれた」
瑠璃は白胡麻が振り掛けられた豆板醤の焼肉を頬張った。
「どこ」
「大島」
「くっそ高いとこじゃん、じゃなくて!」
「牛タンが美味しかった」
「あんた、昨日の今日で焼肉弁当って、肉食なんじゃないの?」
「ふぉ? ふぉう?」
面白くない顔をした寿が箸を振り回す。
汚いな、もう。
「じゃなくて! キスとかラブラブ♡的なイベントは無かったの!?」
「か、軽く」
「軽くぅ?」
「軽く、ちゅって」
「どあっふぁぁぁぁぁ! あんたたち、舌吸わないで牛タン食ってたの!?」
「し、舌って……」
「35歳と25歳が揃いも揃って、苛々するわ!」
片側三車線の通りで、スピード違反か何かで警察車両に停車を求められた赤い軽自動車が路肩に寄せられている。
お気の毒さま。
「まぁ、いきなりホテルもないか」
「ちょ、やめてよ」
「でも可愛いパンツ履いて行ったんでしょ」
「……」
「ほらね、期待してたね!」
「してないし!」
「そう言やぁ、奈良はいきなり押し倒したんでしょ、野獣ね」
「建の事はもうどーーーでも良い」
「女はシビアだよねぇ。男のが女々しくて今頃、泣いてるんじゃない?」
「泣けば良いのよ」
「お、強気だね」
「もう忘れる」
「忘れろ、忘れろ」
二人同時に手を合わせた。
ごちそうさまでした。
「でもさ、奈良が初めての男だったんでしょ」
「な、どう!」
「だってあんた高校も大学も男と付き合ってなかったじゃん」
「よく見てるわね」
「この際、白状しちゃいな。奈良、上手だった?」
「やめてよ!」
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「イッた事あるの?」
「そ、それは……」
「あるんだ」
「……ない」
「ない! なんで、下手なの!?」
「下手かどうか分かんないけど、言うほど気持ち良く無かった」
寿は瑠璃の肩を両手でポンポンと叩いた。
「良い男で上書きしちゃいな」
「う、またそれ」
「見るからに洋ちゃんは床上手、高度な技術の持ち主」
「どこで見たのよ」
「あの! 書類にハンコを捺す手付き! 今度見てご覧!」
「う、うん」
「キスも気持ちよかったんでしょ!」
「うん」
「上出来! お母さん、やっと安心できるわ」
「いつ、私を産んだのよ」
寿があんなことを言うから、思わず見てしまうじゃない。
「あ、ハンコ持った。朱肉、ギュギュッて(ぎゅ……ぎゅ)た、確かに流れるような指先の動き……やーーーだーーー!」
確かに黒木の手つきは淫靡な雰囲気を纏っていた。
親指と中指だけで印鑑を持ち、人差し指は軽く触れるようなタッチで上下する。
その黒木の指先の動きを凝視し、頰に手を当てたり、赤らんだり、スチールデスクの下で脚をバタバタさせる瑠璃の横顔を、寿は頰杖を突きながら口元を緩めて見ていた。
(いやーーー、もう、瑠璃ったら黒木だいすき♡ちゃんじゃん)
黒木はその熱い視線を右手に感じ、デスクの上の書類から顔を上げたい衝動に駆られ、それと闘っていた。
(瑠璃さんが私を見ている、絶対、見ている。み、見たい、その顔が見たい)
いや駄目だと雑念を振り払うように黒木は首を左右に振った。
きっと今、瑠璃の顔を見てしまったら思わず微笑んでしまうだろう。
その時、「係長、認証印お願いします」と男性社員が目の前に立った。
「あ、わかりました。ここに置いて」
顔を上げた瞬間、その男性社員のスーツ越しに瑠璃と黒木の視線が絡み合った。
真っ赤な顔になった瑠璃を見た黒木は、薄い唇を左手で隠して目を泳がせた。
「係長、どうされました?」
「あ、捺しておくから。後で取りに来て」
「はい」
(る、瑠璃さんと目が合ってしまった、今日も可愛い)
(黒木係長と目が合っちゃったーーーーーーー!)
そんな二人の甘い雰囲気を、敏感な女性社員たちが見逃すはずもなく、営業部のグループLINEではお祝いの言葉が飛び交っていた。
そもそも営業部の面々としては、異動先で二股の浮気をした奈良よりも、二年越しの黒木係長の片思いが実ればと思っていた。
そして先々週、寿が企画したコンパの夜に黒木と瑠璃が二人で宴席を抜け出し、これはもう何かあると目を光らせていたら、この熱々状態。
いやぁ、やりましたね!
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応援した甲斐があった〜♡
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黒木係長と満島さん、お似合いだと思いません?
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同意!
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係長に花束贈呈とかしちゃう?
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マジか! ウケる!
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このまま結婚とかありえる?
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それもありじゃね?
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その夜、瑠璃の携帯電話には謎のお祝いメッセージが届き、寿に尋ねたところ、営業部のグループLINEでは黒木と瑠璃が結婚式を挙げるという話題にまで盛り上がっているらしい。
寿からのLINEメッセージにも、オタマジャクシが三匹並んでラインダンスを踊っていた。
(なんで、三匹?)
片や黒木の携帯にも「長年大変だったな」「お疲れ」「お前は俺たちの希望だ」と、他部署の係長から労いのメッセージが届いていた。自宅では父親がホクホク顔で新聞から目を上げた。
「洋平」
「何ですか」
「そんな難しい顔するな」
「おまえ、いつお相手のお宅にご挨拶に伺うんだ?」
「はぁ!?」
三共保険株式会社 金沢支店 営業部は、お祝いムードに包まれていた。