コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
「それで社長。最近はほぼ木下さんのお宅へ入り浸ってらっしゃる感じですか?」
総務の田岡美代子にニンマリされて、実篤は「まぁ、そうなる……かな」とうなずいた。
「ええなぁ。もうすっかり新婚さんな二人じゃないですかぁ~。あーん、憧れるぅ~♥」
ほぅっと吐息を落とされて、実篤は心の中(それはそうなんじゃけど)と小さく吐息を落とす。
くるみと毎日のように一緒にいられるのは本当に嬉しい。
先日のくるみの誕生日だって最高に楽しかった。
でも――。
十一月の挙式までまだあと半年もあるのだと思うと結構長いなと感じてしまう。
本音を言うとすぐさま式を挙げてしまいたいぐらいだ。
そんなことを考えていたらつい本音がポロリと口を突いて出てしまった。
「何で俺、十一月二十二日に式場の予約いれたんじゃろぉ。もっと早よぉにすれば良かった」
毎週木曜日にくるみがクリノ不動産横の駐車場にパンを売りに来てくれるのを裏方として手伝っていて、骨身にしみて実感させられてしまった。
客の中にはくるみ目当ての男が結構多い。
それはきっと、よそで販売をしていても言えることなんじゃないだろうか。
クリノ不動産で営業してくれている時はまだいい。
問題は、自分が目の届かないところでくるみが売り子をしている時だ。
いつ、自分よりもっと若くてかっこいい〝悪い虫〟に誘惑されるか分かったもんじゃないではないか。
そんな有象無象の前では、くるみの左手薬指にはまった婚約指輪は、思ったほど効力がない様に思えて――。
婚約なんて、ある種の口約束みたいなものだ。
婚姻関係を結んだ夫婦と違って、結びつきが弱く感じてしまうのは自分に自信がないからだろうか。
「ひょっとして木下さんのこと、誰かに奪られたりせんかって不安に思うちょってんですか?」
田岡がそのセリフを聞き逃してくれるはずもなく、実篤をじっと見上げてきた。
自分は八雲や鏡花と違って、美しい顔立ちをした母親似ではない。
いかめしい顔の父親の血を色濃く引いてしまっているのは嫌と言うほど自覚している実篤だ。
美人で若いくるみの横に、そんな自分が立っていられるのは奇跡だとすら思っている。
田岡の真摯な瞳に、誤魔化しはきかないと諦めた実篤が白旗を上げるように吐息まじり。
「くるみちゃんを信じちょらんわけじゃないんよ? じゃけど……俺はそんなにええ男じゃないし、正直いつも不安なんよ」
そう言ったら、今まで黙って二人のやり取りを聞いていた経理の野田千春が「じゃったら籍だけでも先に入れちゃったらええんじゃないですか?」と言ってきた。
「籍……だけ?」
実篤の中では挙式と入籍は同日に、という頭しかなかったので、野田の言葉にキョトンとする。
「うちは主人とそうしましたよ? 何せ主人も私も若い頃はお金がなかったですけぇね。籍だけ先に入れちょいて……式は子供が一歳になった頃に」
そう続けた野田に、実篤は瞳を見開いた。
「……それってお祝いは」
「もぉ社長ぉ~。今の話聞いて、一番最初に気になるん、そこなんですかぁ?」
すぐさま田岡に突っ込まれてしまったけれど、どうしても気になってしまったのだから仕方がない。
「お祝いって。結婚記念日やらのことですか? それじゃったら……うちは一応毎年入籍した日に祝うちょります」
――そこから二人での生活が始まったわけですけぇね、と付け加える野田に、実篤はほぅっと吐息を落とした。
(そうか。そういうのもありなんじゃ)
何だか目からうろこが落ちたような気分がした実篤だ。
注文している結婚指輪が仕上がる頃――六月中旬――になったら、くるみに相談してみよう。
そんな風に思った。
***
六月の半ば。
発注していた結婚指輪が出来上がったと宝石店から連絡が入って、くるみとふたり。休日が合致している直近の水曜を利用して店を訪れた。
店頭で確認のために、とパカッとふたを開けられた白いベロア素材のリングケースは、通常のものより横長。
それもそのはず。
中には実篤用の大きなリングと、くるみ用の小さなリングが仲良く並んで収められていたのだから。
ケース内のふわふわの溝にグッとはめ込まれたプラチナ製の指輪を二人して手に取って。
まるで示し合わせたみたいに二つのリングを重ね合わせてしまったのにはちゃんと理由がある。