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ユーラナイト王宮に、久々の雨が降った。
鈍色の雲が空を覆い、石畳を濡らす静かな音。
普段なら心を穏やかにさせるはずのその光景も、今のオリビアにとっては、ただ胸を重たくするだけだった。
(……あの時、言えばよかった。言いたかった)
胸元の引き出しには、まだ王子から贈られた髪飾りが静かに眠っている。
彼が「フリではない」と言ってくれたあの瞬間。
まっすぐに向けられた瞳。
あれが真実なら、私はもう“好きになってもいい”って思ったのに――
「……王子様は、やっぱり私とは“違う世界の人”なのね」
ポツリと零れたその呟きは、雨音に吸い込まれていった。
***
一方その頃、王子・アルベールもまた、執務室で書類を前にして動けずにいた。
「……どうした、集中できていないようですが」
側近エドワルドの問いに、王子は低く答える。
「……オリビアの表情が、昨日より冷たかった気がする」
「……そりゃまあ、髪飾りを贈った直後に他国の令嬢のもとへ行かれましたからね」
「行ってない。部屋の前で引き返した」
「そういう問題ではありません」
エドワルドの言葉が刺さる。
だが、それは事実だった。
(……俺が彼女の言葉を、ちゃんと聞き切っていれば)
あのとき、彼女は何かを言いかけていた。
声が震えていた。
それでも俺は、「あとで」と言って――彼女の心を置き去りにしてしまった。
(今すぐにでも会いに行きたい)
けれど、そんなことをしても彼女を困らせるだけだと――
そう思っていた。けれど。
***
その日、王宮では急な政務の混乱により、午後から多くの者が配置換えされ、
その混乱の中で――
「……オリビア様が……!? 庭園で……雨の中に?」
ミーナの声に、エドワルドは振り返る。
「……どうして雨の中に!?」
「おそらく……考えごとをしているうちに、戻る機会を逃されたのでは……」
その瞬間――
ダッ。
アルベール王子が、椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がった。
「……俺が行く」
「王子様!? お待ちください、雨が――!」
「関係ない。彼女が濡れているなら、俺が行くしかないだろう」
普段なら冷静でどこか冷たい王子が、今はただのひとりの男として――
迷わず、愛しい人のもとへ駆け出していた。
***
庭園の東端。
噴水のそばの東屋の中で、オリビアはひとり座っていた。
「……傘……取りに戻るべきだったわよね……」
雨は緩やかだが冷たい。
けれど、その冷たさが心地よかった。
(……こうしていれば、少しだけ“考えない”で済む)
彼のことを。
胸のざわめきを。
期待してしまった自分を。
けれど、足音が、その思考を断ち切った。
「……オリビア!」
「っ……!」
振り返った先には、びしょ濡れの王子の姿があった。
雨に濡れた金髪、シャツの端に滴る水。
それでも、真っ直ぐにこちらを見ているその瞳は、あまりにも真剣で――
「……な、ぜ……」
「……遅くなって、すまない」
王子は、ただそれだけを言って、近づいてくる。
「なぜ、来たのですか……王子様なら、誰かに命じれば……」
「お前のそばには、俺がいなければ意味がない」
その言葉に、オリビアの心が止まりかける。
「昨日、“あとで”と言ったが――あれは、間違いだった」
「……!」
「今、言う。俺は、お前が好きだ」
「…………っ」
言葉は、雨音よりも大きく、確かに届いた。
「最初からずっと、お前が綺麗すぎて、まぶしくて……言葉にできなかった。だけど今は、違う」
王子の濡れた手が、そっと彼女の髪に触れ――
ポケットから、あの髪飾りを取り出す。
「やっぱり、お前の髪に――俺の手で、つけたい」
「…………」
オリビアは、小さく頷いた。
王子の手が、震えながら髪を整え、宝石を留める。
それは、まるで“契り”のようで――
「……私も、王子様が好きです」
静かに、けれどはっきりと伝えられた想いに――
王子は、感情が溢れて押し止められなかった。
だから。
「……キス、してもいいか」
「……っ、はい」
その返事を聞いた瞬間、王子はそっとオリビアを引き寄せ、
雨の音の中で――初めて唇を重ねた。
***
その姿を、偶然通りかかった侍女たちはしっかり目撃していた。
「…………」
「やっっっっっっっっっば……!」
「今の……絶対キス……!!」
「もうこれ、国民に報告していいですか!? いや、絵にしますか!? 壁画に!? 王宮の天井に描きましょうか!?」
王国の恋愛史に新たな1ページが刻まれた瞬間だった。