(勝った、はずだった)
そう思っていた。
椎名先生は姿を見せなくなり、
教室の空気は、また“私の支配下”に戻ったように見えた。
村瀬も、玲那も、もうこの場所にはいない。
私の声も、言葉も、もう発さなくても空気が拾ってくれる。
(完璧だった)
でも――
何かが、ズレ始めていた。
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「ねえ、片倉さんって、昔からあんな感じだったっけ?」
「ちょっと怖いよね。笑わないし、誰ともつるまないし」
放課後、誰かの“無邪気な悪意”が、また空気に紛れていた。
(なんで……? 私は何もしてないのに)
その“何もしなさ”こそが、今の空気にとって“不気味”なのだと、
私は薄々気づいていた。
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翌朝。昇降口で、知らない1年生に声をかけられた。
「すみません、3年の片倉先輩ですよね?」
「……そうだけど」
「これ、落とし物……じゃないかもしれませんけど……」
差し出されたのは、一枚の折りたたまれた紙。
中を開くと、手書きの文字でこう書かれていた。
「あなたが奪った空気、いずれあなたを窒息させるよ。」
名前はなかった。筆跡にも覚えがない。
けれど、その“言い回し”だけは、心の奥に引っかかる。
(誰? こんな言葉、使うの……)
⸻
放課後、図書室。
久々に姿を現した西園寺が、本のページをめくりながら口を開いた。
「空気って、不思議だよね。
君が勝った瞬間に、もう“負けの準備”は始まってるんだ」
「……何が言いたいの?」
「茅野、玲那、村瀬、椎名……」
彼はページをめくるたびに、名前を並べていった。
「彼らに共通しているのは、“君に近づきすぎた”ってこと。 でも、
もうひとり、“最後まで近づけなかった子”がいたの、覚えてる? 」
私は喉が詰まったようになった。
「……誰?」
西園寺は目を上げて、言った。
「“茅野”とだけ、ずっと繋がっていた子。
君がその存在を一度も意識しなかった、“空気の端”にいた子」
「……名前を言って」
「……言わない方が面白いと思わない?
だって、もうすぐ向こうから来るよ。
君の名前を、“呼ばずに”ね」
⸻
教室に戻ると、机の上にまた紙が置かれていた。
今度は、こう書かれていた。
「茅野瑠海は、今でも笑ってると思う?」
「その笑顔の理由、思い出せる?」
文字が滲んでいた。
それが、涙なのか、雨なのか、わからなかった。
私は思わず周囲を見渡した。
誰もこちらを見ていない。
けれど、“見えない視線”だけが、確かに存在していた。
⸻
(空気が変わっている)
(また、“私以外の誰か”が支配しようとしている)
そして、それが“誰か”を、私はまったく見当もつけられずにいた。