テラーノベル
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痛みで目が覚めた。
「っ……いっ……!」
腹の奥がじんじんと熱を持っている。
呼吸をするたび、鈍い痛みが波のように広がった。
私はそっと服をめくった。
腹一面に広がる紫と赤のあざが、じわりと脈打っている。
触れなくても、熱と痛みが皮膚の奥で暴れていた。
「私……これで生きてるの……?」
理解が追いつかないまま、声だけが漏れた。
しばらく動けそうにない。
痛みが引くまで時間がかかりそうだった。
なら、今できることをやるしかない。
背中に触れていた重みを思い出す。
「りっく……」
肩から外すと、リュックの布が破け、砂と草が入り込んでいた。
中に手を入れた瞬間、鋭い痛みが走る。
「いたっ!」
反射的に手を引くと、ポーチの中で手鏡が粉々に割れていた。
破片が指に刺さり、血がにじむ。
ノート、スマホ、ペンケース、ポーチ。
どれも角が潰れたり、砂が入り込んだりしている。
ただ、手鏡だけが一点に衝撃が集中したように完全に砕けていた。
「衝撃……あったんだ……」
砂地と草むらに落ちたおかげで助かったのは分かる。
リュックが衝撃を吸収してくれたのも事実だ。
横になったままでも書ける。
私はノートを開き、震える手で記録を続けた。
認識されなくても、踏まれたり巻き込まれたりして“事故で死ぬ”可能性は普通にある。
でも、それ以上に大事なことがある。
この世界で生き延びるために、絶対に忘れてはいけないこと。
息を整え、私は小さく呟いた。
「レベルを上げてはいけない……」
この“私基準の10日間”で、生まれ落ちたばかりのレベル0の魔物を何度も見た。
そいつらは、まるで石ころのように誰からも相手にされず、踏まれそうになっても避けられもしない。
だが、近くの弱い魔物を仕留め、赤い光を食べた瞬間──
頭上に数字が浮かび、周囲の魔物たちの視線が一斉にそいつへ向いた。
“レベルが上がった瞬間に、世界の扱いが変わる”。
私はそれを確かに見た。
レベルが上がるということは、魔物に“認識される”ということ。
認識されるということは、“獲物として扱われる”ということ。
これらの事実が、今になってようやく理解できるようになった。当時はそれどころではなかったからだ。
ページを閉じると、強烈な空腹が襲ってきた。
さっき拾った赤い光を少しだけかじり、身体を軽くする。
すぐにまた空腹が来る前に、次の食べ残しを探さなければならない。
私はゆっくりと身体を起こし、歩き始めた。
赤い光を食べるとレベルが上がるのは、観察を重ねた限りではほぼ確実だ。
ただ──レベルが上がるには条件がある。
自分で獲物を仕留め、その赤い光を食べること。
だから、食べ残しをあさる私は、赤い光を食べてもレベルが上がらない。
魔界のルールが、たまたま私に有利に働いているだけ。
魔物たちは、相変わらず私を見ない。
ぶつかることはあっても、攻撃されることはない。
私は、“存在しているのに認識されない物体”として、この世界を歩き続けた。
そして、事件は起きた。
草むらの一角が、不自然に押しつぶされていた。
まるで巨大な何かが通ったように。
しゃがみ込むと、草を倒した大きな足跡がいくつも残っていた。
見覚えはある。
私はノートを開き、ページをめくる。
「……あった。」
もう、この程度では手は震えない。
「あいつの……足跡……」
その先には、小さなねずみのような魔物が数十匹、踏みつぶされて死んでいた。
骨も肉も形を保たず、赤黒い染みだけが残っている。
白い芯がいくつも転がっていた。
赤い光がわずかに残っているものだけを拾い集めた。
「……助かる……」
見慣れた光景だ。
胸の奥が冷えるだけで、もう驚きはしない。
むしろ、今日は収穫が多いことに、わずかな喜びすら覚えた。
夢中で拾い続けていたそのとき、足元で、ぐにゃりと柔らかいものを踏んだ感触がした。
「えっ?」
次の瞬間、「ぎゅえっ」と潰れたような悲鳴が一瞬上がり、そこで途切れた。
踏んだ拍子に、弱っていた小さな魔物にとどめを刺してしまったのだと分かった。
私は反射的に飛びのいた。
踏んだ魔物の身体がぱくりと裂け、赤い光がふわりと浮かび上がった。
腰が抜け、その場に座り込む。
「終わった……死ぬ……」
だが、すぐに気づく。
「そうだ……食べなきゃ……上がらない……」
私はまだ食べていない。
赤い光をそっと地面に置き、離れようとしたとき──
ズシン。
ズシン。
地面が揺れた。
「この揺れ……」
胸の奥がざわつく。
身体が先に反応する。
あのときと同じ、重く沈むような振動。
ズシン。
ズシン。
揺れは、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。
足音だ。
巨大な何かが、こちらへ向かって歩いて来ている。
「……私じゃないよ……ね……?」
喉がひりつく。
“違うはずだ”と自分に言い聞かせながら、それでも確かめずにはいられなかった。
震える手で、捨てずにとっておいた割れた手鏡の破片を持ち上げ、頭上を映す。
そこには見慣れているはずなのに、見慣れない数字が浮かんでいた。
【レベル1】
「うそ……なんで……なんでよ!」
悲鳴にも似た言葉が口をつく。
それと同時に、胸の奥が抜け落ちるような感覚。
理解が追いつかない。
赤い光は食べてないのに……。
ただ、もう一度確認する間もなく、草むらの向こうで影が揺れた。
「……や、やっぱり。」
姿を現したのは──
一つ目だった。
その頭上には、淡く光る数字。
【レベル43】
「レベル43……」
息が詰まる。
今まで遭遇したどの魔物よりもレベルが高い。
巨大な影が、ゆっくりとこちらへ迫ってくる。
ぬめっとした大きな目が、まっすぐ私をとらえた。
「あの時とは……違う……今、私は……獲物なんだ……」
一つ目は、ゆっくりと歩み寄ってくる。
そして、低く湿った声が響いた。
「人間か……お前は女だな。」
その顔は、笑っているように見えた。
「……え……なんで……聞こえる……?」
喉が震える。
今までただのうなり声だったものが、意味として流れ込んできた。
一つ目は、私の目の前に立つと、覆いかぶさるように影を落とし、動きを止めた。
次の瞬間──
口ではなく、大きな目の縁から、よだれのようなぬめっとした液体が垂れ、ぽたり、と私の頭に落ちた。
「ひ……っ。」
膝から崩れ落ちる。
身体が勝手に震える。
一つ目は、私のノートの記録にはなかった“もうひとつの口”──
腹のあたりに裂け目のように開いた大きな口を、ゆっくりと広げていった。
私を食おうとしている。
その瞬間。
──ずばっ。
返り血と肉片が雨のように降りかかる。
一つ目の分厚い身体が、まっぷたつに裂けていた。
私は反射的に顔をそむけた。
倒れ込んだ巨体が地面を揺らし、その影がどくと──
今まで一つ目の陰に隠れていた地面に、淡い光がすっと差し込んだ。
そして──光の向こうに“それ”が立っていた。
ゆらり、と揺れる黒髪。
ところどころ裂け、泥と血で汚れた古い甲冑。
割れた兜の隙間から覗く顔は、影に沈んでよく見えない。
足音ひとつしない。
まるで地面に触れていないかのような静けさ。
落ち武者の亡霊のような、異様な佇まい。
その手には、血が“ぬるり”と滴り落ちる刀が握られていた。
たった今、一つ目を斬ったばかりの、生々しい赤。
頭上には数字。
【レベル67】
息が止まる。
助けられた──
そう思った、その瞬間。
その古びた兜が、ぎし、と音もなくわずかに傾いた。
まるで、私の存在を“確かめる”ように。
胸の奥が、ひゅっと冷えた。
……助かったんじゃ、ない。
違う。
私は──
また、狙われている。
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