テラーノベル
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一つ目の体が、前の方で崩れた。
私との距離は、数歩ぶん。
砂埃だけが、ふわりとこちらへ流れてくる。
落ち武者風の魔物が、一歩、前に出た。
その足が、ためらいもなく一つ目の頭を踏みつぶす。
ぐしゃり。
乾いているのか湿っているのか分からない音がした。
その拍子に、赤い光がぶわっと浮かび上がる。
そいつは、迷いなく腕を伸ばした。
光を鷲掴みにし、そのまま口元へ押し込む。
噛む音はしない。
なのに、荒々しく“食った”ことだけは分かった。
そして、数字が変わる。
68
69
70──
レベル70。
(レベルの高い魔物を倒すと、そのぶん上がる……そういうことなんだ)
ただの観察。
ただの理解。
後でノートに書いておこう。
……そう思った瞬間、気づいた。
あ、もう書けないんだ。
(残された命は……あとどれくらいなんだろうか)
もう書く意味なんてないのに、その習慣だけが、まだ身体に残っていた。
風が吹いた。
刀を持つ腕が、大きく振り上がった。
……来る。
殺される。
反射的に叫んでいた。
「真帆、千夏……ごめん!」
その瞬間、兜の“前の部分”が、ぱかっと開いた。
「……え、奈月じゃん?」
「えっ……?」
真帆がじっと私の顔を見て、目を細めた。
「いや、待って。奈月、その顔……何それ。肉片とか血とか、べったりついてるじゃん! そりゃ気づかないって!」
言われて初めて、自分の髪に張りついた赤黒いものがぱり、と乾いた音を立てた。
「……生きてた……真帆……!」
「そりゃ生きてるよ〜。奈月こそ、よく生きてたね」
その軽い言い方に、胸の奥がじんわり熱くなる。
声を聞いた瞬間、張りつめていたものが一気にほどけて、遅れて震えが指先にまで広がっていく。
真帆はちゃらちゃらしてるけど、本当に心配してくれていたことを私は知っている。
中学の頃からずっと、見た目は軽いのに、誰よりも友達思いで、誰よりも情が深い子だ。
だからこそ、涙が出そうになった。
でも、すぐに我に返る。
「千夏は!? 千夏はどうしたの!?」
真帆の表情が、ほんの一瞬だけ曇った。
「……わかんない。見てない。」
その一瞬の陰りが、真帆が千夏のことを本気で心配している証拠だった。
胸が締めつけられる。
千夏の笑い声が、一瞬だけ脳裏に浮かんだ。
「てか奈月、なんでそんなボロボロなの?」
「……いろいろあったの。」
「ふーん。あ、これ? これはね──」
真帆は自分の甲冑を指さした。
金具がかちゃりと鳴る。妙に重そうな音。
「落ちた時にさ、周りにいっぱい転がってたの。鎧とか刀とか、戦国時代みたいなやつ。使えそうなものだけ拾ったの。」
「転がってた……?」
「うん。なんか、すごい本物っぽいやつ。刀とか、普通に魔物切れたし。私たちと一緒に落ちてきたのかなって思ったけど……よく分かんないや。」
鎧の金属は、どこか“作り物じゃない感じ”がした。
刀は、光の角度で生々しく光る。
真帆は兜を外し、髪をかきあげた。
「クサッ!」
思わず声が漏れた。
血と泥と汗が混ざった匂いが、甲冑の中から一気に解放された。
真帆は気にした様子もなく笑った。
「……真帆。さっきの一つ目のやつなんだけど。」
「ん?」
「声が……聞こえたの。聞こえたっていうより……脳に直接、押し込まれたみたいな感じで。『人間か』とか、『女だな』とか……そんなふうに。」
思い出しただけで、背筋がざわっとした。
あれは音じゃない。
言葉がそのまま頭に流れ込んでくる、気持ち悪い感覚だった。
真帆はあっけらかんとした顔で言った。
「へぇ〜。私、けっこう早い段階で聞こえてたよ?」
「……早い段階?」
「うん。落ちてすぐ……ってわけじゃないけど、なんか、気づいたら“うるさいな〜”って思ってた。」
その瞬間、私は確信した。
「……レベル1になったからだ。」
「え?」
「レベル1になった瞬間、私は“魔界に認知された”んだよ。だから、魔物の声が言葉として……いや、言葉みたいなものとして頭に直接入ってくるようになった。」
言葉にした途端、胸の奥がひやりと冷えた。
「……つまり私は、もう“完全な人間”じゃないってこと。」
真帆は首をかしげる。
「え〜? いいじゃん。仲間入りってことでしょ?」
「よくない!!」
真帆はケラケラ笑っていたが、私は笑えなかった。
“魔界に認知された”という事実が、じわじわと重く沈んでいく。
「剣道やっててよかったわ〜。中学の時みたいに、打ち込みの練習台にしてたら勝手にレベル上がってったし。」
「……中学の時みたいに?」
思い出す。
真帆は、中学時代の剣道全国チャンピオンだった。
私はよく応援に行って、体育館の隅で「すご……」としか言えなかったのを覚えている。
その真帆が、魔界で魔物を相手に“打ち込みの練習”をしていたという事実が、じわじわと恐ろしくなってくる。
「全国チャンプの火力、魔界で発揮しないで……」
真帆は笑った。
その笑顔は、昔から変わらない。
中学の頃、千夏が泣いていた時も、真帆はこんなふうに笑って、「大丈夫だって〜」と肩を叩いていた。
その記憶が胸に刺さる。
千夏は、どこにいるんだろう。
「真帆、どうしてここに来たの?」
「え? レベル上がりすぎて周りに敵いなくなったからちょっと好奇心で。」
「好奇心で魔界を散歩しないで……」
「でもね、魔物に聞いたの。『他に人間見なかった?』って。」
「その答えは……?」
「見たことあるって。だから、その方向に進んでる。」
「……私基準の10日間はなんだったの……」
ぽつりと漏れた独り言に、真帆が首をかしげた。
「え、何それ。私基準の10日って?」
その言葉に、胸の奥がぎゅっと締めつけられた。
ああ──
私はひとりで、あの荒野で、“私の感覚だけ”を頼りに生き延びていたんだ。
魔物に追われて、隠れて、震えて、眠れなくて、それでも必死に数えていた“10日”。
それが、真帆の何気ない一言で、一気にほどけてしまった。
「……うぅ……」
視界がにじんだ。
涙が勝手にあふれてくる。
「え、ちょ、ちょっと待って奈月!?なんで泣くの!? 私なんか変なこと言った!?」
真帆が慌てて私の肩をつかむ。
その手が、思ったより温かかった。
「だって……私……ずっと……ひとりで……」
言葉にならない。
10日分の恐怖と孤独と安堵が、全部まとめて胸から溢れ出した。
真帆はしばらく黙っていたが、そっと私の背中をぽんぽんと叩いた。
「……そっか。よく頑張ったね、奈月。」
その声は、いつもの軽さとは違っていた。
「よし、行こ。千夏探しに。」
真帆が刀を肩に担ぎ、前を向く。
その背中は頼もしく、どこか“人間じゃない影”が揺れて見えた。
「……ねえ真帆、その甲冑……重くないの? 邪魔じゃない?」
私が思わず口にすると、真帆は振り返って笑った。
「え? 全然。むしろ格好いいじゃん、これ!。」
「いや、そういう問題じゃなくて……重さとかさ……」
「んー、なんかね、レベル上がったら気にならなくなったんだよね。最初はちょっと重かったけど、今は軽い軽い!」
軽い軽い、と言いながら金具がかちゃりと鳴る。
どう聞いても“軽い音”ではない。
真帆は何でもないことのように笑って、前を向いた。
「任せて。奈月は私が守るから。」
その言葉は軽い。
でも、軽いのに……重かった。
荒野の風が、二人の間を抜けていく。
砂の匂いと、鉄の匂いと、真帆の……汗の匂いが混ざる。
私は真帆の背中を追い、魔界の荒野へ歩き出した。
千夏を探す旅が、今始まる。
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