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「……仕事を頼みたいんだが」
ペンを落としロドリゲスは顔をあげた。
「わっびっくりした」
濃紺の外套を着た片腕の男が立っていた
「軍師~」
「会いたかったですよ」
机から身を乗り出す
「まあ、元気そうで何より」
「全然元気じゃないですよー」
「でも
嫌な予感しかしないなあ。軍師の“頼みたい”は、
だいたい人が死ぬ話なんですよ」
「今回は人を生かす話だ」
「それ、戦場では同じ意味でしょう」
軍師は苦笑して、地図の北街道門を指で叩いた。
「帝国軍はここから来ると見る」
「来ますねえ。地形的にいちばんましですし、補給線も引きやすい。
南は湿地、西は岩場、東は狭すぎる。まともな指揮官なら北です」
「まともじゃなかったら?」
「その場合はもっと面倒です」
ロドリゲスはそう言いながら、羽根ペンを取り、地図の上にさらさらと線を書き足していく。
「帝国軍が北門を攻めるとして、やることは三つです。
ひとつ、遠距離から揺さぶる。
ふたつ、破城槌か攻城塔を押し込む。
みっつ、門に兵を集中させて、こちらの守備を飽和させる」
「うん」
「で、普通の城はその全部に付き合うから落ちるんです」
「!?」
「付き合わなければ?」
ロドリゲスは顔を上げた。
さっきまでのへらへらした目つきが、ほんの少しだけ鋭くなる。
「敵に、攻めてるつもりで死んでもらえばいい」
軍師はわずかに目を細めた。
「続けて」
「まず、北街道門の上にマンゴネルを二基。角度は浅め。
狙うのは兵じゃなくて道具です。破城槌、攻城塔、大盾列、そのへん。
上り坂で速度が死ぬから、当てるのは難しくない」
「攻城連弩は?」
「門楼の脇。正面じゃなくて斜めに置くんです。正面からだと盾に吸われるから。
横腹を抜ける位置なら、押してる兵ごと串刺しにできます」
「ふむ」
「あと、熱油とか石を落とす準備を皆したがりますけど、あれは最後でいいです。
早く使うと敵が慎重になる。怖いのは、敵が慎重になることです。
雑に突っ込んできてくれるのがいちばんありがたい」
軍師が笑う。
「お前、性格が悪いよ」
「軍師に言われたくないですよ」
ロドリゲスはぶつぶつ言いながら、今度は城壁内側に印をつけた。
「問題はここからです。門前で壊すだけじゃ足りない。
帝国は兵が多い。壊されたら壊されたで、死体を踏んで次を押してくる」
「それで?」
「門を守るんじゃないんです。門前を殺す」
「具体的には」
「射線を重ねます。
北門正面に一段。
左右の側壁から二段。
さらに後方の高所から弓兵で一段。
門前に入った敵は、どこへ動いてもどれかの射線に引っかかるようにする」
「三重殺か」
「理想は四重ですけど、人が足りないでしょう。だったら地形で補う。ここ」
ペン先が、北街道門へ続く坂道の途中を示す。
「土を掘って、見えにくい浅い溝を何本も作る。
転ばせるためじゃないです。歩幅を乱すためです。
隊列が乱れれば、盾の角度がずれる。盾の角度がずれれば、矢が入る」
「……嫌らしいな」
「戦争ですよ?」
軍師は頷いたが、その視線はロドリゲスの手元ではなく、彼の顔に向いていた。
「で、本当に頼みたい仕事はここからだ」
帝国軍軍議
幕舎の中央に、一枚の地図が広げられていた。
カルデル城。
北街道の坂。
城門。
丘。
川。
油皿の灯が揺れ、地図の上に黒い影を落としている。
その周囲を、帝国の将軍たちが無言で囲んでいた。
地図の前に立つのは、グラントだった。
軍監府副官。
ゼイオンの意を最も正確に写す男。
静かな声が、幕舎の空気を切る。
「……以上が、カルデル城攻撃作戦の全容である」
細い指が、地図の北街道をなぞる。
「総兵力、一万二千」
「主攻は北街道門」
「本陣は歩兵三千騎兵二千で構成する」
「総指揮は、私――グラントが執る」
異論は出ない。
それは意外でも何でもなかった。
グラントが作戦指揮を担うこと自体、
軍監府においては珍しいことではない。
いや、むしろこの場にいる誰もが理解していた。
これはグラントの作戦ではない。
ゼイオンの作戦なのだと。
「先鋒はヴァルド」
指先が、坂道の一点を示す。
「重装歩兵五千。北街道を正面より圧迫する」
ヴァルドが鼻で笑った。
卓上に置かれた狼貌の兜が、灯を受けて鈍く光る。
巨躯の男は肩をすくめた。
「はっ」
声には不満とも嘲りともつかぬ響きがあった。
だが、拒む気配はない。
グラントは目もくれず、次へ進む。
「カルヴァ」
壁際にいた男が顔を上げた。
腕を組み、いつものように一言も発さない。
「軽騎兵二千」
「本陣後方に展開。戦線の状況如何によっては遊撃とする」
カルヴァは短く答えた。
「はっ」
それだけだった。
余計な言葉はない。
問わぬ限り、己の考えすら口にしない男である。
グラントは地図の上に、新たな駒を置いた。
「第一段階。弓兵制圧」
「第二段階。門前圧迫」
そこで一拍、わずかな間が落ちた。
幕舎の空気が、かすかに沈む。
「第三段階――民を前進させる」
沈黙が生まれた。
ヴァルドの眉が、ぴくりと動く。
「気が進まんな」
その一言は、この場にいる全員の胸中を代弁していた。
だがグラントはうなずくだけだった。
「城側は撃てない」
「門は開く」
「合理的だ」
あまりにも平坦な口調だった。
まるで人の生き死にではなく、荷車の配置でも論じているかのように。
ヴァルドはしばらく黙っていた。
やがて、低く言う。
「……こんなことをせずとも勝てる」
グラントは即座に返した。
「戦を早く終わらせることができる」
それが答えだった。
勝てるかどうかではない。
どれだけ早く、どれだけ無駄なく終えるか。
それだけが、この軍の基準だった。
ヴァルドは卓上の狼兜を手に取った。
わずかに目を伏せる。
そして、諦めたようにそれを被った。
「わかった」
その返答とともに、幕舎の空気は決した。
もはや軍議ではない。
命令の確認でしかなかった。
斥候からの報告を受けたとき、
スカーレットの女王レイナは、しばらく言葉を失っていた。
まるで理解できない、という顔だった。
やがて彼女は馬を進め、
城が目視できる丘まで出た。
望遠鏡を覗き込む。
城の前に並ぶ帝国軍。
そしてその最前列――
子供の列。
鎖をつけられた少年。
泣き叫ぶ少女。
槍兵に押されながら歩く小さな影。
レイナの眉がわずかに動いた。
「あれは……何じゃ」
隣の副官ジャスミンが低く言う。
「人間盾……かと」
しばし沈黙。
風だけが草原を渡った。
レイナは望遠鏡を下ろす。
そして静かに言った。
「ジャスミン」
「は」
「城へ赴け」
副官は顔を上げた。
レイナは続ける。
「紺色のマントをまとった、片腕の男に会え」
「……」
「この城におるはずじゃ」
ジャスミンは息を呑んだ。
「助けよ、と伝えよ」
副官が何か言いかけた。
だがその言葉は、女王の次の声で止まる。
「できぬと申したら」
レイナは前を向いたまま言った。
「その場で殺せ」
声に怒りはなかった。
ただ、氷のように冷たかった。
「卑怯者と阿呆の戦いなど」
「見たくもないのでな」
風が赤いマントを揺らした。
レイナは小さく呟く。
「あの時の約束じゃ」
そして遠くの城を見つめる。
「軍師」
カルデル城、北門。
城壁の上には弩が並び、兵が慌ただしく動いていた。
坂の向こうには、まだ帝国軍の影は見えない。
その城壁に、一人の男が上がってくる。
ドーン・セルゴ。
王弟カスティーユ公の護衛官。
元近衛兵。
鎧の音は重いが、足取りは静かだった。
城壁の上で軍師が振り向く。
「来たか」
セルゴは一礼する。
「呼ばれた」
軍師は隣の青年を指した。
細い体。
乱れた髪。
紙束を抱えている。
ロドリゲスだった。
「今日から北門の守備はこいつの計算で動く」
ロドリゲスが顔を上げる。
「え?」
軍師は続けた。
「セルゴ」
「お前はロドリゲスの命令に従え」
セルゴは一瞬だけロドリゲスを見た。
そして答えた。
「わかった」
ロドリゲスが固まる。
「えっ」
「いやちょっと待ってください」
紙束を抱えたまま軍師を見る。
「本当に僕に従わせるんですか?」
軍師は平然と言う。
「そうだ」
ロドリゲスがセルゴを見る。
セルゴは黙って立っている。
「えっ」
「本当に?」
セルゴは答える。
「命令ですから」
ロドリゲスは頭を抱えた。
「いやいやいや」
「僕ただの計算係ですよ?」
セルゴ
「わかった」
「違う違う」
「まだ何も言ってない!」
軍師は城外を見ながら言った。
「帝国軍が来る」
ロドリゲスが小さくため息をつく。
「……ですよね」
紙束を広げる。
「じゃあまず」
北門の坂を指す。
「ここに弩を二列」
「マンゴネルは門上」
「射角は――」
セルゴが聞く。
「理由は」
ロドリゲスは一瞬止まり、少し驚いた顔をする。
「え?」
セルゴ
「理由」
ロドリゲスは坂を指した。
「ここ上り坂なんです」
「兵の速度が落ちる」
「盾の角度が崩れる」
「だから」
紙に線を引く。
「ここから撃てば」
「理論上、門前で止められる」
セルゴは少し城外を見た。
そして言う。
「わかった」
ロドリゲスが軍師を見る。
「この人、本当に従うんですけど」
軍師は小さく笑った。
「言っただろう」
「お前の命令に従う」
ロドリゲスは頭をかいた。
「いやー」
「困ったなあ」
坂の向こうを見ながら言う。
「じゃあ」
「戦争、計算通りにやってみますか」
そのとき、遠くで軍鼓が鳴った。
帝国軍だった。
「よく来てくれた、軍師」
王弟カスティーユは、幼さの残る顔に懸命に威厳を貼りつけていた。
「よくぞ御無事で」
「ヒューゴのことは突然のことで……。だが、ロドリゲスが私を励ましてくれた」
「よい若者です」
サイリスは静かに頭を下げた。
幼くして王族に生まれ、この城塞都市を背負わされた少年にのしかかる重圧は、並大抵のものではない。
その細い肩に乗るものの重さを思い、胸の奥にわずかな痛みを覚えた。
そのとき、扉が乱暴に叩かれた。
「急報!」
伝令の声に、室内の空気が一変する。
「ギボン城に敵襲! 敵はガザフ公かと思われます!」
間髪入れず、次の伝令が飛び込んだ。
「ワイズ城にイマグール伯の軍が襲来!」
「マルゴー城が包囲されました! モトロール公の軍勢です!」
カスティーユの顔から、さっと血の気が引いた。
「北部三公が……帝国に寝返ったのか……」
その言葉に、サイリスは低くつぶやいた。
「愚かな……」
「怠惰な平和は、こうも人の判断を狂わせるものか……」
「軍師……」
怯えをにじませる王弟に、サイリスはきっぱりと言った。
「御心配には及びません」
「敵の狙いは明白です。北部三公の動きにこちらの目を向けさせ、
兵を分散させたうえで、本命たるカルデル城を攻めるつもりでしょう」
サイリスは一歩進み出る。
「必ず撃退いたします」
その声音には、ためらいがなかった。
それは若き王弟を安心させるための言葉であると同時に、自らに課した誓いでもあった。
「ドーン・セルゴをお借りしたい。先ほど北門の指揮をお願いしてあります」
カスティーユは小さくうなずいた。
しかしサイリスの胸中は、別の不安に沈んでいた。
たとえこの城を守りきったとしても、北部はこれから荒れる。
一度帝国になびいた諸侯と、その地に生きる民。
その混乱は、戦の勝敗だけでは到底収まるまい。
城外には、まだ姿を見せぬ敵軍が迫っていた。
だがサイリスにとって真に憂うべきものは、すでに国内に生まれてしまった亀裂そのものだった。
「そちはカルデル城には行かぬのか」
皇帝は玉座にもたれたまま、静かに言った。
その前に立つのは、黒外套の将。
ゼイオンである。
「少し、気になることがありまして」
「なんじゃ」
「ヤギュウが消息を絶ちました」
皇帝の眉が、わずかに動いた。
「ふむ」
「それだけではありません」
ゼイオンは続ける。
「北部でも南部でも、いくつか妙な動きが見えます」
「グラツィア王国は……再度王都に軍を集めているようです」
皇帝は小さく笑った。
「いよいよ決戦か」
そして、脇に控えていた武官へ顔を向ける。
「フウマを呼べ」
武官は一礼し、すぐに下がった。
ゼイオンが問う。
「どこに使います」
「うむ」
皇帝はゆっくりと言った。
「ヤギュウは国外の目」
「フウマは国内の目じゃ」
「だがヤギュウが消えた以上、影を動かす目が必要じゃ」
しばらくして、扉が静かに開いた。
そこに立っていたのは、一人の男。
気配がない。
まるで、最初からそこにいたかのようだった。
「お呼びでしょうか、陛下」
フウマ。
影の軍団の一人。
帝国の内側を監視する、皇帝直属の影。
皇帝はただ一言だけ告げた。
「ヤギュウを探せ」
「そして――」
「王都の動きを見てこい」
フウマは膝をつく。
「御意」
次の瞬間、彼の姿はもうそこにはなかった。
ゼイオンは小さく呟く。
「ヤギュウが消えた理由も知りたいですな」
皇帝は答えなかった。
ただ遠く、南の空を見ていた。
見張りの兵が叫んだ。
「何だあれは!」
城壁の上にどよめきが走る。
城外の街道から、異様な軍列が現れていた。
最前列。
そこに並んでいたのは――
子供だった。
十人、二十人ではない。
何百人もの子供たちが、ばらばらの服のまま押し出されてくる。
泣き続けている。
歩くことすらおぼつかない小さな足で、前へ前へと進まされていた。
その背後。
整然と並ぶ黒い壁。
重装歩兵。
長槍が一斉に突き出され、子供たちの背を押すようにして進軍している。
城壁の上で、兵たちがざわめいた。
「人質か……」
「いや、盾か……!」
ロドリゲスは青ざめていた。
「どうしようどうしようどうしよう」
細い体を震わせながら、城外を見つめる。
「こんなの……撃てないよ……」
横に立つセルゴは、黙っていた。
腕を組み、ただ敵軍を見ている。
泣き声が風に乗って届く。
ロドリゲスが叫ぶ。
「弓兵、弓をおろせ、撃つな!撃つなってば!」
セルゴが静かに口を開いた。
「ロドリゲス」
ロドリゲスは振り向く。
「落ち着け」
ロドリゲスの顔が、完全に固まった。
「え」
セルゴは淡々と続ける。
「門を開ければ敵は入る」
「閉じれば子供は死ぬ」
沈黙。
城壁の上の全員が、ロドリゲスを見ていた。
この城の判断は――
このひょろひょろの若者に委ねられている。
ロドリゲスの口から、震えた声が漏れた。
「どうしよう、わかんないよ」
「計算しろ!」
「そうだ、計算だ、少し待ってて」
セルゴは短く答えた。
「わかった」