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たこ焼き手裏剣
167
謳
5,049
返事を待ってほしいと言ってから、数日が過ぎた。
たった数日だった。
それなのに、おんりーには思っていたよりもずっと長く感じられた。時計を見れば、告白された夜からまだそれほど時間は経っていない。けれど、ぼんじゅうるの言葉を知ってしまったあとでは、同じ一日でさえ、以前とは違う重さを持っていた。
仕事はいつも通りあったし、収録もあった。五人で集まれば誰かがくだらないことを言い、別の誰かが笑い、ゲームを始めれば勝ち負けに夢中になる。次の予定を確認して、編集の話をして、帰る頃にはいつものように「お疲れ」と言って別れる。
表面だけなら、何も変わっていない。
ただ、その中にぼんじゅうるがいるだけで、おんりーには以前と同じようには感じられなくなっていた。ぼんじゅうるが笑えば、ついそちらを見てしまう。声が聞こえれば、話の内容を聞き取ろうと意識が向く。隣に座られれば、近いと思うのに、離れてほしいとは少しも思わなかった。
告白された翌日、顔を合わせるまでは、もう少し普通にできると思っていた。
ぼんじゅうるも大人だし、自分もそうだ。返事は待ってほしいと伝えたし、ぼんじゅうるも急がなくていいと言った。それなら、答えが出るまでは今まで通りにすればいい。そう考えれば、やるべきことは簡単に思えた。
理屈としては、簡単だった。
けれど、実際にぼんじゅうるを目の前にすると、そんなふうに割り切れるものではなかった。自分の中にある感情が、思っていた以上に大きく、そして繊細だったことに、おんりーは戸惑っていた。
「おはよ。」
「おはよう。」
それだけの挨拶なのに、自分の声がいつもより少し固かった気がした。普段なら何も考えずに返せる言葉が、今日は喉の奥で一度引っかかってから出てきたように感じる。
ぼんじゅうるも笑った。
いつも通りに見える笑い方だった。
けれど、その目がほんの一瞬だけ、こちらを確かめるように揺れたことに、おんりーは気づいていた。
怒っていないか。
避けていないか。
昨日のことで、何か変わっていないか。
そんなことを確認するような視線だった。
それを見た瞬間、おんりーの胸の奥に、小さな痛みが残った。自分が返事を保留にしたせいで、ぼんじゅうるは今、以前のように振る舞っているように見せながら、ずっとこちらの反応を気にしている。
待ってほしいと言ったのは自分だ。
だから、ぼんじゅうるがどう接していいか分からなくなるのも当然だった。それなのに、おんりーは、そんな顔をさせたかったわけではないと思ってしまう。自分のために時間が必要だっただけなのに、その時間がぼんじゅうるを不安にさせていることが、申し訳なかった。
数日の間、ぼんじゅうるは一度も返事を急かさなかった。
「考えた?」とも、「どう?」とも聞かなかった。
二人きりになっても、告白の話を自分から持ち出すことはなく、むしろ普段通りにしようとしていた。おんりーに余計な負担をかけないように、何もなかったように振る舞おうとしているのが分かった。
ただ、それが上手くできているかといえば、そうでもなかった。
休憩中、二人きりになった時には、普段なら考えなくても続く会話が、数往復で止まった。天気の話をして、ゲームの話をして、互いに「いつもの」と答えて、それ以上の言葉が出てこない。沈黙が嫌なわけではないのに、何かを言わなければいけないような気がして、けれど何を言えばいいのか分からなかった。
最後には、ぼんじゅうるが耐えきれなくなったように笑った。
『……めっちゃ会話下手になってない?』
あの時、おんりーも笑った。
笑った途端、胸の奥に溜まっていたものが少しだけほどけた。気まずくしたいわけではない。ぼんじゅうるも、きっと同じなのだと思った。二人とも、今までの関係を壊したくなくて、壊さないように慎重になりすぎている。
だから余計に、適当な返事をしてはいけないと思った。
好きなのか。
そのことだけを考えるなら、答えは多分、もっと早く出ていた。
好きだと思う。
というより、今になって考えてみれば、好きだったのだと思う。
いつからかは分からない。けれど、ぼんじゅうるが部屋へ入ってくると、何となく気づいてしまう。聞き慣れた声がすると、意識がそちらへ向く。隣に座られれば近いと思うのに、わざわざ離れたいとは思わない。
二人で飯へ行った帰りには、駅へ着くまでの道が少し短く感じられた。別れたあとに『また』と送ってしまった夜もあった。あの時は、自分でもその二文字にどんな意味を持たせたかったのか、考えないようにしていた。
ぼんじゅうるに見られていることに気づけば、嬉しかった。
その視線が自分に向いていることを、何度も確かめたくなった。けれど、その嬉しさを認めてしまえば、今までの関係が別のものに変わってしまう気がして怖かった。
ぼんじゅうるは誰にでも優しいし、距離も近い。人を褒めることにも慣れていて、気持ちを言葉にすることにも、自分よりずっと抵抗がない。
だから、自分だけが特別なのだと考えないほうがいいと思っていた。
そのほうが安全だった。
期待しなければ、傷つかずに済む。今の関係を、今のまま守っていられる。そう思っていたのに、ぼんじゅうるは自分の口から、はっきりと言った。
『おんりーのこと、好きなんだよね。』
聞いてしまった。
勘違いではなかった。
そう分かった時、胸の奥に広がったのは、戸惑いよりも先に、確かな嬉しさだった。その気持ちは、何度考え直しても消えなかった。むしろ、否定しようとするほど、そこにあることがはっきりしていった。
それでも、すぐに「自分も好き」とは言えなかった。
ぼんじゅうるのことだけを考えているのなら、それでよかったのかもしれない。けれど、おんりーにとって大切なのは、ぼんじゅうるだけではなかった。
この場所も。
仕事も。
メンバーも。
今の関係も。
全部、大切だった。
五人でいる時間が好きだった。誰かが勝手なことを言って、誰かが笑って、時々真面目な話をして、収録が長引けば全員少し疲れて、それでも終わる頃にはまたくだらないことで笑っている。その中にいることを、おんりーは自分が思っていた以上に大切にしていた。
だからこそ、もしぼんじゅうると付き合ったら、何が変わるのだろうと考えてしまう。
仕事中も意識するようになるのか。他のメンバーに気を遣わせるのか。もし喧嘩をしたら、もしうまくいかなくなったら、二人だけの問題では済まなくなるかもしれない。今まで自然だった五人の時間に、余計なものを持ち込んでしまうかもしれない。
考え始めれば、不安はいくらでも浮かんだ。
多分、考えすぎなのだと思う。それでも、大切だからこそ、考えずにはいられなかった。ぼんじゅうるを軽く扱いたくなかったし、今の場所も、そこにある時間も、軽く扱いたくなかった。
その日の収録が終わったあと、おんりーは自分の荷物を片づけながら、少し離れたところにいるぼんじゅうるを見ていた。
ぼんじゅうるは、おらふと何か話している。何を言われたのか、大きく笑った。身体を少し後ろへ倒して、声を隠さず、その場の空気ごと明るくするように笑う。
その姿を見ているだけで、おんりーの胸の奥が、ゆっくりと緩んでいった。
ああ、と思った。
好きなんだろうな。
今度は、その考えを否定しなかった。
ぼんじゅうるが笑っていると、安心する。自分がその笑顔を見られる場所にいたいと思う。できれば、これからもずっと、ぼんじゅうるの隣にいたいと思った。
その気持ちを認めた瞬間、何日も絡まっていたものが、少しずつほどけていった。
変わりたくない。
それが本当なのだと思っていた。
けれど、違った。
変わるのが怖いだけだった。
今までが大切だから、失う可能性のある変化を避けたかった。けれど、告白されたあとの数日を過ごしてみて、おんりーは分かった。もう、完全に元と同じには戻れない。
ぼんじゅうるが自分を好きだと知っている。
そして、自分もぼんじゅうるを好きなのだと思っている。
それを知ったまま、何も知らなかった頃と同じ顔で隣にいることは、多分できない。
なら、変わることを拒むのではなく、どう変わるかを考えればいい。
ぼんじゅうると、二人で。
そう思ったら、少しだけ怖さの形が変わった。なくなったわけではない。これから先も不安はあるだろうし、何かを失う可能性が消えたわけでもない。
それでも、怖いからやめる、ではなくなった。
「おんりー。」
声をかけられて顔を上げる。
いつの間にか、おらふは帰っていた。ぼんじゅうるが少し離れた場所に立っている。
「まだいたの?」
「うん。」
「俺もう帰るけど。」
そこで一度、言葉が止まる。
ぼんじゅうるの目が、ほんの少しだけ揺れた。
「……一緒に帰る?」
以前なら、何でもない誘いだった。
今は、断られても大丈夫なように、少しだけ逃げ道を残している声に聞こえた。おんりーは、その響きに気づいた。胸が少し痛くなる。ぼんじゅうるは、返事を待っている間も、こうして自分に負担をかけないようにしている。
「うん。」
返事をすると、ぼんじゅうるの目元が、ほんの少しだけ緩んだ。
その小さな変化を見て、おんりーは決めた。
今日、言おう。
外へ出ると、夜の空気は思ったより冷えていた。昼間に降った雨の跡が歩道の端に残り、街灯の白い光をぼんやり映している。濡れたアスファルトの匂いと、遠くを走る車の音が、静かな帰り道に薄く重なっていた。
二人で歩く。
距離は、以前より少しだけ遠かった。本当に数センチ程度かもしれない。それでも、おんりーには分かった。ぼんじゅうるが、少しだけ自分から離れている。肩が触れないように、腕が当たらないように、意識して距離を取っている。
負担にならないように。
多分、そういうことなのだと思った。
その気遣いが嬉しかった。ちゃんと待ってくれていることが伝わってきたからだ。同時に、少し寂しかった。以前なら、肩が触れても何も言わなかったのに、今はぼんじゅうるのほうが、自分に触れないようにしている。
自分がそうさせた。
そう思うと、もう少し近くへ行きたくなった。けれど、いきなり距離を詰める勇気はなくて、ただ隣を歩きながら、何度も言葉を探した。
「ぼんさん。」
呼ぶと、ぼんじゅうるはすぐに返事をした。
「ん?」
その声は、ほんの少しだけ高かった。おんりーから話しかけられるのを、ずっと待っていたみたいに聞こえた。
「ちょっと話していい?」
ぼんじゅうるの歩幅が、わずかに変わる。すぐに、何の話なのか分かったのだと思う。歩く速度が少し落ち、隣にいるおんりーの言葉を聞き逃さないようにしているのが伝わってきた。
「うん。」
短い声だった。
おんりーの胸も、少し速くなる。
言おうと決めた。けれど、決めたからといって、簡単に言葉が出てくるわけではなかった。喉の奥が乾いて、胸の中に溜まった感情が、言葉になる前に何度も形を変える。
少し先に小さな公園があった。
夜だから、人はいない。二人で中へ入ると、街灯が一つ、湿ったベンチを照らしていた。濡れた土の匂いがして、木の葉が風で触れ合うかすかな音が聞こえる。
ベンチには座らなかった。
何となく、二人とも立ったままだった。
ぼんじゅうるは、普段よりずっと静かだった。いつもなら、緊張を紛らわせるように何か冗談を言うのに、今日は何も言わず、おんりーの次の言葉を待っている。
「……返事。」
おんりーが言うと、ぼんじゅうるの喉が小さく動いた。
「うん。」
声は落ち着いている。
でも、手が一度だけ動いた。ポケットへ入れようとして、やめた。その動きだけで、緊張していることが分かった。平気なふりをしているだけで、ぼんじゅうるもまた、この数日を不安なまま過ごしていたのだと思う。
おんりーも、多分、同じだった。
「待ってって言ったじゃん。」
「うん。」
「ごめん。」
「だから謝らなくていいって。」
ぼんじゅうるが少し笑う。
その笑い方は優しかった。けれど、どこか怖がっているようにも見えた。おんりーには分かった。多分、今から自分が何を言うのか、ぼんじゅうるはまだ分からない。
嫌ではないと言った。
それでも、好きとは言っていない。
ぼんじゅうるにとって、この数日は、ずっと答えの出ない時間だったのだろう。期待してしまえば、もし違った時に傷つく。だから期待しないようにして、それでもおんりーの一言を待っていた。
そのことを思うと、曖昧なまま引き延ばしたくはなかった。
「嫌だったわけじゃない。」
ぼんじゅうるの目が動く。
「むしろ。」
言葉が止まった。
胸の奥にあるものは、もう分かっている。けれど、口に出すのは少し恥ずかしかった。自分の気持ちを言葉にしてしまえば、もう後戻りはできない。今までのように、曖昧なまま隣にいることはできなくなる。
ぼんじゅうるは、何も言わずに待っている。
その沈黙がありがたかった。急かされていないことが、今のおんりーには必要だった。
「嬉しかった。」
ようやく言う。
小さい声だった。
それでも、ぼんじゅうるには届いたらしい。表情が一瞬、完全に止まった。目が少し開き、唇もわずかに動く。
おんりーは、告白された夜の自分も、こんな顔をしていたのかもしれないと思った。そう考えると、緊張していた胸の奥が少しだけ緩み、ほんの少し可笑しくなった。
「……え。」
本当に、同じような声まで出た。
「だから。」
「うん。」
ぼんじゅうるの返事が、明らかに変わる。期待している。でも、期待して傷つかないように、まだ慎重になっている。そんな声だった。
「嬉しかったけど。」
案の定、ぼんじゅうるの目が少し不安そうになる。
おんりーは、それを見てすぐに続けた。
「考えたかった。」
「……うん。」
「ぼんさんのことだけじゃなくて。」
ぼんじゅうるは黙っている。
「みんなのこととか、仕事とか。」
「うん。」
「今の感じとか。」
おんりーは、一度視線を落とした。濡れた地面に、街灯の光が揺れている。その揺らめきを見ていると、自分の中にある不安まで、そこへ溶けていくような気がした。
「全部、大事だから。」
思っていたより、声は静かに出た。
「ぼんさんも。」
そこで一度、ぼんじゅうるを見る。
「みんなも。」
また、少し言葉を探す。
「ここも。」
ぼんじゅうるは、何も言わない。ただ、聞いている。その表情を見ていると、言葉にすることを怖がっていた自分が、少しずつほどけていった。
「壊したくなかった。」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥にあった不安が、初めて外へ出た気がした。ぼんじゅうるの顔が、ほんの少しだけ柔らかくなる。
「付き合ったら、何か変わるじゃん。」
「まあ。」
「それが。」
おんりーは一度息を吸った。夜の冷たい空気が喉の奥まで入り、震えそうになる声を落ち着かせる。
「怖かった。」
言ってしまうと、思っていたより簡単だった。
ぼんじゅうるは少し黙った。それから、ゆっくりと口を開いた。
「俺も。」
おんりーが顔を上げる。
「俺もずっとそれ怖かったよ。」
ぼんじゅうるは、少し困ったように笑っていた。その笑顔には、告白した時からずっと隠していた不安が滲んでいる。
「今の感じなくなるの嫌だった。」
その言葉を聞いて、おんりーの胸が少し緩んだ。
同じだった。
ぼんじゅうるも、自分と同じように、この関係を大切にしていた。だからこそ、言えなかったのだ。好きだと伝えることで、今まで自然に続いていた時間を壊してしまうかもしれないと、ぼんじゅうるも怖がっていた。
「結構長いこと。」
ぼんじゅうるが続ける。
「言えなかった。」
「そうなの。」
「うん。」
「全然分かんなかった。」
「嘘つけ。」
反射で言われて、おんりーが笑う。
「ちょっとは分かってたでしょ。」
「まあ。」
「ほら。」
ぼんじゅうるも笑った。
その笑い声を聞いて、おんりーはようやく少し安心した。数日前までの、いつもの笑いだった。けれど、もう完全に同じではない。
それでも、いいのだと思った。
変わってしまったことを、無理に元へ戻す必要はない。二人が今まで大切にしてきたものを失わずにいられるなら、そこへ新しい気持ちが加わってもいい。そう思えるようになったことが、おんりーにとっては大きかった。
笑いが落ち着くと、また静かになった。
けれど、今度の沈黙は前ほど苦しくなかった。言葉がなくても、ぼんじゅうるがここにいて、自分の返事を待っている。そのことが、以前とは違う安心感になっていた。
おんりーは、自分の気持ちをもう一度だけ確かめる。
怖さは、まだある。
付き合ったら、何かが変わる。ぼんじゅうるを見る目も、隣にいる意味も、きっと少し変わる。これから先、今まで知らなかった不安や戸惑いに出会うこともあるだろう。
でも、その変化を嫌だとは思わなかった。
むしろ、少し楽しみだと思った。
ぼんじゅうるとなら、変わっていくことも受け入れられるかもしれない。今までの関係を守りながら、二人にしか作れないものを増やしていけるかもしれない。
そのことに気づいた時、もう答えは決まっていた。
「ぼんさん。」
「うん。」
「自分も。」
そこまで言って、止まる。
ぼんじゅうるがこちらを見る。何も言わない。でも、呼吸が少し浅くなった。緊張しているのが分かる。おんりーも同じだった。
それでも、今度は逃げなかった。
「好きだと思う。」
ぼんじゅうるの眉が、ほんの少しだけ上がった。
「……思う?」
おんりーが黙る。
「そこ拾う?」
「いや。」
ぼんじゅうるが笑う。
けれど、その声の奥には、もう嬉しさが隠れ始めていた。おんりーは、その表情を見て、曖昧な言い方をした自分が少し可笑しくなる。ここまで来ても、まだ照れや怖さが残っているのだと思った。
「ごめん。」
「まだ言ってる途中。」
「はい。」
おんりーは小さく息を吐いた。
口にすると、やっぱり少し恥ずかしい。けれど、今度は曖昧にしたくなかった。ぼんじゅうるが何日も待ってくれた分、自分もきちんと伝えたかった。
「好き。」
短い言葉だった。
それだけなのに、口にした瞬間、胸の奥にずっとあった重さが、ゆっくりほどけていった。言葉にするまで、あれほど怖かったのに、伝えてしまえば、そこには不思議なほどの安堵があった。
ぼんじゅうるは、すぐには何も言わなかった。
ただ、おんりーを見ている。
その目が少しだけ潤んで見えた。街灯のせいかもしれない。おんりーは、そこまで確認しなかった。確認してしまえば、ぼんじゅうるの感情まで見てしまう気がして、今はただ、その表情を受け止めていたかった。
「……マジ?」
「うん。」
「ほんとに?」
「何回聞くの。」
「だって。」
ぼんじゅうるが笑う。
その笑い声は、ほんの少し震えていた。嬉しさを隠しきれず、それでもまだ信じきれないような、子どもみたいに素直な声だった。
「ちょっと待って。」
「何。」
「めちゃくちゃ嬉しい。」
あまりにもそのまま言うから、おんりーは反射的に視線を逸らした。耳が熱い。胸の奥まで熱が広がって、冷たい夜の空気が少しも気にならなくなる。
「そう。」
「反応薄。」
「知ってるでしょ。」
「知ってる。」
ぼんじゅうるが笑う。
その声を聞いて、おんりーも少しだけ笑った。自分の中にあった緊張が、ようやく笑えるところまでほどけてきたのが分かる。
「じゃあ。」
ぼんじゅうるが言う。
「何。」
「これ。」
一度、言葉が止まる。
急にまた緊張したような顔になる。さっきまであれほど嬉しそうにしていたのに、今度は別の不安が浮かんでいた。
「付き合うってことでいいの?」
おんりーは、ぼんじゅうるを見る。
告白した夜より、今のほうがずっと不安そうだった。返事を聞いたあとまで確認しないと安心できないらしい。そのことが少し可笑しくて、同時に、そこまで自分の言葉を大切に受け止めてくれていることが嬉しかった。
「今さらそこ確認する?」
「いや、大事じゃん。」
「まあ。」
「まあって何。」
おんりーは、ほんの少しだけ笑う。
「いいよ。」
ぼんじゅうるが、また止まった。
「……。」
「何。」
口元が、どんどん緩んでいく。本人も、もう隠すつもりがないらしい。嬉しいという感情が、そのまま表情に出ていた。
「やば。」
「何が。」
「嬉しい。」
また、同じことを言う。
おんりーは、もう一度視線を逸らした。今度は、さっきほど恥ずかしくなかった。ぼんじゅうるが嬉しいと思ってくれていることが、胸の奥にじんわりと広がっていた。
二人で、また駅へ向かって歩き始める。
さっきまでより、少しだけ距離が近かった。本当に少しだけ。手は繋がない。肩も、意識して触れない。付き合うと決まったばかりで、その事実にまだ身体のほうが追いついていなかった。
けれど、隣にいるぼんじゅうるの存在が、さっきまでとは違う意味を持っていることだけは分かる。今まで何度も歩いた道なのに、足元が少し浮いているような、不思議な感覚があった。
「なんか。」
ぼんじゅうるが言う。
「何。」
「変な感じ。」
「自分も。」
「付き合ってるんだよね。」
「何回確認するの。」
「いや。」
ぼんじゅうるが笑う。
「嬉しくて。」
「はいはい。」
いつもの返しだった。
でも、おんりー自身にも分かるくらい、声が少し柔らかくなった。ぼんじゅうるの嬉しさを、もう他人事のようには聞けなかった。自分も同じように嬉しいのだと、少しずつ実感し始めていた。
駅の手前で、信号が赤になる。
二人で止まる。
その場所には、見覚えがあった。以前、同じように並んで、ぼんじゅうるから「寒い?」と聞かれた。「手、冷たい?」とも聞かれた。
あの時、ぼんじゅうるの手はポケットから出てこなかった。自分も何もしなかった。触れそうで、触れなかった。
今になって思えば、あの時も、多分、二人とも同じことを考えていたのだと思う。近づきたいのに、近づいてしまえば何かが変わる気がして、どちらもその一歩を踏み出せなかった。
ぼんじゅうるの手が、今日はポケットの外にある。
おんりーは、その手を見た。
ぼんじゅうるも気づく。
視線が合う。
何も言わない。
ぼんじゅうるは、手を出さなかった。多分、待っているのだと思う。自分が返事をしたばかりだから、勝手に触れないようにしている。
そのことが、おんりーには分かった。
だから、自分から少しだけ手を動かした。
指先が、ぼんじゅうるの手の甲へ触れる。
ほんの一瞬だった。
冷えた夜気の中で、ぼんじゅうるの手は思ったより暖かかった。その温度に触れた瞬間、おんりーの胸が強く鳴る。平気なふりをしていたけれど、やはり緊張している。たった指先が触れただけなのに、身体の内側までその感触が伝わってくるようだった。
離そうとした。
恥ずかしくなったのかもしれない。まだ早いと思ったのかもしれない。
でも、その前に、ぼんじゅうるの指が動いた。
そっと、おんりーの指先へ触れる。
いきなり握らない。ほんの少しだけ、確認するように触れてくる。その慎重さが、ぼんじゅうるの緊張と優しさをそのまま表しているように感じられた。
おんりーは、逃げなかった。
そのことを確かめてから、ぼんじゅうるの指がゆっくりと、自分の指の間へ入ってくる。
触れている。
ただ、それだけだった。
それなのに、おんりーは、今まで何度も隣を歩いた帰り道が、まるで初めての道みたいに感じられた。繋がった指先から伝わる温度が、これまで見ないふりをしていた気持ちまで、はっきりと教えてくる。
ぼんじゅうるが、小さく息を吐いた。
「……何。」
おんりーが聞く。
「いや。」
少し間があった。
「やば。」
「また?」
「嬉しい。」
何度言うの、と言おうと思った。
でも、言わなかった。
代わりに、おんりーは絡んだ指を少しだけ握り返した。
その瞬間、ぼんじゅうるの手にわずかに力が入る。嬉しいのだと思う。それが、言葉よりもはっきりと指先から伝わってきた。
信号が青になる。
二人で歩き始めた。
いつもの道。
いつもの駅。
いつもの帰り道。
街灯も、車の音も、濡れたアスファルトの匂いも、何も変わっていない。
それなのに、繋いだ手だけが、今までとは違っていた。その温度を感じながら、おんりーは思った。
全部を一度に変えなくてもいい。
ぼんじゅうるも、メンバーも、この場所も、仕事も、全部、今まで通り大切にしていい。その中に、新しく二人の関係が増えただけなのだ。
失うのではなく、増える。
そう考えたら、変わることが少しだけ怖くなくなった。大切なものを守りながら、これから新しいものを重ねていけばいい。ぼんじゅうるとなら、きっとそれができる気がした。
隣を見る。
ぼんじゅうるは、まだ少しにやけている。
「ぼんさん。」
「何。」
「顔。」
「え。」
「にやけすぎ。」
「いいじゃん、今日くらい。」
「今日だけ?」
「……多分しばらく。」
おんりーは、思わず少し笑った。
ぼんじゅうるも笑った。
その笑い声が夜道に重なり、繋いだ手が、もう一度だけ強く握られる。
おんりーは、その温度を感じながら、胸の奥に残っていた最後の不安が、ゆっくりと溶けていくのを感じていた。
怖さがなくなったわけではない。
これから先、何もかもが上手くいくと決まったわけでもない。
それでも、今はこの手を離したくなかった。ぼんじゅうるが隣にいて、自分もその隣にいる。その事実を、何度でも確かめていたかった。
繋いだ手は、そのままだった。
そして、その温度を、おんりーはもう離したくないと思った。
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ネブラスカさん、第3話読ませていただきました。 もう、胸がいっぱいです……。おんりーが自分の気持ちを認めて、ぼんじゅうるに伝えるまでの過程があまりにも丁寧で。特に「変わるのが怖いだけだった」と気づく場面、同じ不安を抱えていたぼんじゅうるが「俺もずっとそれ怖かったよ」って返すところ、涙が出そうになりました。お互いを大切に想うからこその慎重さと、最後の信号待ちで触れる指先の温度が、二人の新しい関係の始まりを静かに祝福しているようで……本当に素敵なエピソードでした。続き、楽しみにしています🌷