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※この物語はフィクションであり、実在の人物及び団体とは一切関係ありません。
プロローグ
点滅するような光が、室内に溢れていた。
目がちかちかするほどの光の正体は、カメラのフラッシュだ。
光る度に、かしゃかしゃとシャッターを切る音が響き渡る。
室内のカメラマンたちは皆、前方にカメラを構えていた。
中には大きなビデオカメラを操る姿もあった。
注目の先には、白い長机がある。
その向こうに、一人の女性が座っていた。
大勢の報道陣に囲まれているというのに、その姿に緊張や焦りはない。
ただ凛として、記者やカメラマンたちを見据えている。
「――それでは、質疑応答に入らせていただきます」
室内の端から、司会進行らしき男性の声が響いた。
それを合図に、報道陣の最前列にいた記者の一人が声を上げる。
「この度は、アカデミー賞で歴代二人目になる助演女優賞受賞、おめでとうございます」
祝いの言葉に対して、女性は長机にあったマイクを手に取り「ありがとうございます」と微笑みながら応える。
これを皮切りに、記者からの質問が殺到した。
「日本人歴代二人目のアカデミー賞受賞、という快挙を成し遂げた感想をお聞かせください」
「この快挙を、まず誰に報告しましたか?」
「今後の目標を聞かせてください」
「このまま活動の拠点をアメリカに移されるというお話を聞きましたが、本当ですか?」
次々出てくる質問に、女優は丁寧に答えていった。
しばらくすると、質問と回答の応酬は落ち着きを見せ始める。
聞きたいことを聞けたのか、質問がまばらになってきた。
そんな頃――女優は、マイクを手に取った。
「質問のほうが落ち着いてきたようですので、今度は私のほうからお話をしてもよろしいでしょうか」
突然の申し出に、記者たちはざわついた。
だがすぐに「何かネタになる話が聴けるかもしれない」と思ったのか、ぴたりと会場は静まり返った。
聞こえるのは、カメラのシャッター音だけだ。
その反応を肯定と受け取った女優は、「ありがとうございます」と小さく頭を下げた。
「このような名誉な賞をいただくことができた今だからこそ、お話しておきたいことがあります。少しお時間をいただくことになりますが……聞いていただけると嬉しいです」
――こうして、一人の女優の告白が始まった。
第1章「偽りの好意」その1
昼休みの教室は、どこの学校も騒がしい。
それはここ、流星堂(りゅうせいどう)学園も同じだった。
ただ、昼休み開始からしばらく経過した現在。
三〇人分の席がある教室の人影は少ない。
食堂か購買部へすでに繰り出している生徒が大半だからだ。
そんな中、教室の片隅には二人の男子生徒がいた。
「……じゃ、俺ちょっと行ってくるわ」
席についていた男子生徒――権堂(ごんどう)修介(しゅうすけ)は立ち上がる。
「それにしても、ゴンが呼び出しなんて珍しいよな」
しみじみと呟くクラスメイトの筒井(つつい)透(とおる)。
ゴンとは、「権堂」というゴツそうな名字なのにひ弱そうに見えることからついたあだ名だ。
犬みたい、と思わなくもないが、あまり修介は気にしていない。
「戻ったら、メシ行こう。席取っておくから」
「悪い。助かるわ」
「代わりに、次の脚本課題の話に付き合ってもらうからな」
「お安い御用で」
言いながら、修介は一足先に教室を出た。
修介が廊下に出ると、空間を隔てる壁はなく、対角線上にある二年一組の教室の扉まで見える。
この校舎は吹き抜けになっているので、空間が開けて見えるのだ。
吹き抜けを囲む縁に寄りかかってお喋りする女子生徒たちや、ふざけて追いかけっこをしている男子生徒もいた。
どこにでもありそうな、昼休みの風景。
しかしここ、流星堂学園は、少し特殊な学校だった。
権堂修介――流星堂学園の演劇・映画学科、二年六組の監督・演出・脚本コース所属。
昼休みの光景だけ見ると、普通の高校生そのものの彼らだが、一般的な高校生とは学んでいることが少し異なっている。
流星堂学園は、芸術系の分野に力を入れた学校だ。
演劇や映画、音楽、絵画、文芸などの学科が存在し、それぞれが敷地を持っている。
高等学校として最低限の教科の勉強をしつつ、他は各々が目指す分野についての勉強に励む。
「――あれ、ゴンゴン。今日は一人なん? つっつーは一緒じゃないんかい?」
急に呼び止められ、修介は反射的に振り返った。
最初に飛び込んできたのは、目に痛いほどキラキラした金髪。
次にだらしなく着崩したブレザーの制服。派手なシルバーアクセサリー。
……同じ制服を着ているとは、思えない。というか同じ人間だと思えない。
修介がそんな感想を持ってしまうのは、俳優コース所属、二年五組の一茶(いっさ)隆文(たかふみ)だ。
ちなみに、つっつーとは先ほどまで一緒にいた筒井のことだ。
「食堂で合流するけど……その前に職員室に行くんだよ」
「今職員室? ゴンゴンなんかしたん?」
「いや、べつに覚えはないけど……しかも、呼び出したのって白石(しらいし)なんだよ」
「ふーん。何でゴンゴン単品を、ウチの担当が呼ぶんだろーな」
首を傾げて不思議そうにする一茶。
修介にとって不思議なのは、ごく普通を絵に描いた自分と、派手な一茶が知人だということだ。
コースが別な関係でクラスは違うが、体育などの合同授業で一緒になったときに話をしたのがきっかけで、顔見知りになった。
特別親しくはないが、顔を合わせると必ず話しかけてくる。
不思議な人物だ。
「あ、一茶やっと見つけたー!」
「今日外で一緒にごはんするって言ってたでしょー」
すると、一茶の背後から猫撫で声が聞こえてきた。
彼の背中から、女子生徒二人が顔を出す。知らない顔だ。
「今いっくっよー☆」
いきなり現れた女子生徒二人に驚き一つ見せず、自然な動きで二人の肩に手を回す。
仕草の一つ一つが本当にチャラい……! 修介は呆気に取られるしかなかった。
「じゃ、ゴンゴンまたなー」
軽く手を振ると、一茶は修介に背を向けて歩いていった。
二人の女子に挟まれながら。
(ちゃ、チャらい……いや、知ってたけど)
俳優コースという、煌びやかな世界の住人と自分とでは、住む世界が違う。
そう敬遠してしまう一方で、一茶自身は分け隔てなく誰とでも話すので、素直にすごいと思っていた。
そのうち、勝手に当て書きの脚本でも作ってみようか。
自分の考えたキャラクターを他人が演じるところを想像するだけで、ちょっと楽しくなってくる。
一茶はどんな役をやらせると面白いだろう。
そんなことを思いながら、修介は白石のいる職員室へ向かった。
流星堂学園の職員室は、演劇・映画学科校舎の一階から三階にある。
芸術系の講義や実習が中心なため、それぞれの担当コースごとに職員室が分かれている。
修介の目的の教師がいるのは、三階の俳優コースの職員室だ。
化学教師なので、授業で顔を合わせたことは何度もある。
だが用件が不明な中近寄るのは少し怖い。
何かした覚えなんてないんだから、堂々としてろ。
自分に言い聞かせながら、修介は目的の職員室までやってきた。
コンコンコン。
ノックをしてから、スライド扉を開ける。
「失礼します。二年六組の権堂修介です。白石先生に用事があって来ました」
「おー、権堂。こっちこっち」
すぐに飛んできたのは、のんびりした声だった。
修介はもう一度「失礼します」とビクビクしながら呟き、早足で室内を進む。
職員室奥の端、窓際で手招きしている男性。
彼が修介を呼び出した教師・白石正義(まさよし)だった。
「よく来たな。座れすわれ」
言いながら、窓際に立てかけてあるパイプ椅子を広げて、自分の椅子の前に置いた。
「あ、ありがとうございます」
「ずいぶん固くなってるな。どうかしたのか?」
どうかしたのかじゃねぇよ! と思うのだが、にこにこしている白石を前にすると、言葉にできなかった。
白石正義。
教科担当は化学、俳優コース担当。
担当に相応しい白衣姿と、温厚で穏やかな気質を標準装備している。
生徒たちからの人気や親しみは高く、修介にとっても例外ではない。
とはいえ。
「……いや、なんで呼ばれたのかなーって」
「ああ、もしかしてなんか怒られるとか思ったか? 権堂は成績中の中なんだから、そんな心配することないって」
「……それ褒めてます? 貶してます?」
「褒めてる褒めてる。無理に尖ろうとしない素直さ。そこが権堂のいいところなんだし」
軽い言い方なのに、居住まいを正されながら言われると真摯さを感じてしまう。
自分が地味で普通なことは、修介が一番よくわかっている。
気にしているところを褒められても、本来は嬉しくもないはずなのだが。
「あ、ありがとう、ございます」
「いいえ、どういたしまして」
白石に言われると、そうなのかな、と思ってしまう修介なのだった。
「そんな権堂に、お願いがあります」
突然白石は、ぴっ、とわざとらしく人差し指を立てた。
「はい、なんでしょうか」
「君、俳優コースの定期課題に協力してみる気はないか?」
「……定期課題?」
課題自体は、どの分野だろうがある。
だが定期課題なんて言い方は耳慣れない。
「そう。うちの俳優コースは、二年になるとグループを作って、定期的に舞台発表の課題をやるんだよ」
「さすが俳優コース……」
「しかも柔軟性や瞬発力を高めるために、スパンは短めで、一度発表が終わるとメンバー入れ替えも可能。色んな人と接する機会を作りやすいよ」
「……ちょっと待ってください。なんでそこに、俺が協力するんですか?」
「だって君、監督・演出・脚本コースの生徒だろ」
「いやそうですけど。でもウチじゃそんな話出たことないですよ」
「そりゃそうさ。俳優コースの課題だからな」
「……じゃあなんで、俺に協力なんて?」
今の話を要約すれば、「課題に使う脚本を提供してくれ」ということなのだろう。
それくらいは修介にもわかる。
「脚本なんて、他にもたくさんあるじゃないですか」
「何言ってるんだ君は。せっかく同じ演劇・映画学科に脚本の勉強をしている生徒がいるのに、わざわざ既存のもので課題をやる必要はないだろ?」
「だからって、なんでわざわざ俺一人を呼ぶんですか」
「……それをわざわざ言わせるとは、権堂もなかなか隅に置けないなぁ」
からかっている、というわけではないのだろうが、言葉尻だけだとそう聞こえる。
複雑な気持ちで修介は続く言葉を待った。
「ようするに、君は選ばれたんだよ。数いる脚本書きの生徒の中から、俳優コースの課題に相応しい脚本家としてね」
あまりに軽い言い方に、修介はきょとんとする。
「選ばれた? 誰が?」
「君だよ、権堂修介くん」
「……何に?」
「だから脚本家にだって。君はボケるの好きなのか?」
「ボケるって……」
「君の脚本は、脚本の先生から読ませてもらっててね。興味深かったんだ。ぜひ、うちの俳優コースの課題に使いたい」
「……いやでも」
「確かに自分の授業や課題もあるから、少し忙しくなるかもしれないな。けど安心するといい。単位を出すことになってるからな」
「え、そうなんですか」
「協力料というか、まぁこれだって立派な作品課題に値するからね」
「そう、ですか……」
自分の脚本を使いたい。
ただの一学生で、まだヒヨッコですらない自分に、そんな言葉が与えられるなんて。
実感が、修介の身体にいじんわり広がる。
「どうだい? やってくれるか?」
一拍の沈黙。
返事を待っているのだと気づいて、修介は慌てて声を上げた。
「や、やります! やらせてください!」
「――やったぁ!」
「っ!?」
瞬間、第三者の声が割り込んできた。
思わず修介は辺りを見回す。
すると、ひょこっと机の陰からブレザー姿の女子生徒が姿を現した。
「綾咲(あやさき)、おまえいつの間に来たんだ?」
「ふふふ、ちょっと前からいましたよ。気配を消すのだって、女優の嗜みですからね!」
軽快にやり取りしながら、声の主は修介の隣に並んだ。
ふわふわの髪。
大輪の花のような明るく元気な笑顔。
小さくてちょこちょこした動きで腕を伸ばし、びしっ! と決めている。
手首を彩るブレスレットがキラキラ光った。
――綾咲姫乃(ひめの)!
叫び出しそうな自分を、修介は寸でのところで押さえつけた。
「僕に用事か?」
「みっちゃん先生に用事だったんですけどね。でもいいとこに居合わせちゃった!」
くるん、と白石に向いていた姫乃の顔が修介を見る。
(うわぁ、目が大きくてキラキラしてる……つーかなんでそんなこっち見るんだよ!)
修介は、軽いパニックに陥っていた。
それもそのはず――綾咲姫乃は、修介がこっそり憧れていた生徒なのだから。
演劇・映画学科二年三組、俳優コース所属。
キラキラふわふわした普段の様子とは裏腹に、いざ演技が始まるとそれがどこかに行ってしまう、可愛いだけではない女優の卵だ。
まだ修介が一年の頃、学園祭の舞台発表で見て一目惚れしてしまったのである。
だが、クラスも遠く、教科授業で一緒になる機会もない。
修介が一方的に知っているだけ――そのはずなのに。
「はじめまして、権堂修介くん。わたし、綾咲姫乃っていうんだ。よろしくね」
「な、なんで名前……」
「はー、でもよかったぁ! 定期課題の脚本協力に権堂くんが入ってくれるなんて嬉しい!」
「……っ」
「……もうちょっと手加減してやれよ。権堂、固まってるぞ」
「え、なんでなんで!? わたし何か変なこと言った?」
「接点ないのにフルネーム知ってたら、ビビって当然なんじゃないのか」
「あ、そっか」
思っていたことをほぼ代弁してくれた白石に、修介は内心で感謝した。
どうして、彼女が自分を知っているのか。気になって仕方がない。
「一年のとき学園祭で、脚本展示してたでしょ? あれ読んで、いつか権堂くんの本で演じてみたいなーって思ってたんだよー」
キラキラ輝かせた瞳は、まさに尊敬の眼差しだ。
そして、学園祭という言葉。
まさか、姫乃に興味を持ったのと同じ学園祭で、修介に興味を持ってくれていたとは。
これは、何かのめぐり合わせなのだろうか。
「ぜひぜひ、わたしのグループの脚本担当になってほしいな!」
そんな、期待に満ちた瞳で見つめられたら――嫌なんて言えはずがない。
もっとも、修介は元から嫌なんて言うつもりなどなかったけれど。
「ぜ、ぜひ……俺のほうこそ」
「ほんと!? やったー!」
言うが早いか、姫乃は瞬時に修介の両手を取ると、
「顔合わせ前に本命の脚本家かくほー!」
と、修介の両手を掲げた。
「綾咲はずるいなー。抜け駆けだって他のグループに恨まれても知らないぞ」
「だいじょうぶ! 白石センセが黙ってくれてればバレないバレない」
「ここをどこだと思ってるんだ」
「あ、そっか。先生がたー! このことはご内密にー!」
と、姫乃は職員室に響き渡る声で宣言した。
職員室内から笑いや「調子のるなよー」という微笑ましいヤジが飛ぶ。
そんな状況の中で一人、修介は物思いにふけっていた。
――まさか、あの綾咲姫乃が自分の脚本を読んでいたなんて。
しかも読んでいただけなく、それを気に入ってくれていたなんて。
これは何か、大変なことの始まりなのでは。
このときの修介はそんなふうに、期待に胸躍らせていたのだった。
「偽りの好意」その2へつづく。