中也が刃物を持った女の人に連れて行かれた。
そして暫くすると、中也が這入って行った部屋から叫び声が聞こえる。
「…………」
中也が大丈夫なのか、僕は少し心配になった。
中也の叫び声が響く度、横に居る身を縮ませた三人の男の人達は、ヒイィッと声を上げた。
まるで次は自分かもしれないと云う恐怖で、青ざめた顔をしている。
先刻まで笑ってた人は中央にある席に座り、お菓子に夢中になっていた。
僕は其の場にしゃがみ込む。
「…………………」
中也が部屋から出てくるのを待ち続けた。
***
──────ギイイィィィ………
暫くすると、不気味な音を立てて扉がゆっくりと開いた。
僕は顔を上げる。
「………っ、!」
部屋の中から中也が出てきた。
何故か肌は新鮮さを感じさせるようにピカピカと輝いているが、其の表情は心労めいている。
僕は立ち上がろうとした。
大丈夫?って聞こうとした。
でも────“躰が動かなかった”。
「中也さん!大丈夫ですか!?」
白髪の男の人が、中也に近付いた。それに続いて他の二人も中也に近付く。
「……ぁ、まぁ…大丈夫だ………」
小刻みに震える躰で中也は云った。
「何回やられました?」
其の言葉に、中也は息を呑んで、一呼吸置いてから云った。
「五回────其れ以降の記憶はねェ。多分もう二三回はやられてンな」
中也が云った言葉に三人は衝撃を受け、中也の肩にポンッと優しく手を置いた。
「凄いですね中也さん!僕なんて何時も二回でおちますよ!?」
「初めてで五回も耐えられるなんて………」
「お疲れ様です」
「いや、此れを何時も受けてると思うと────手前等も凄ェよ」
共感染みた話を四人はする。僕は其れをじぃっと見ていた。
刹那、高い靴音が響き渡る。
「さぁて」
部屋の中から出てきた女の人が、艶めく唇を動かした。
「次は誰だい?谷崎かい?」
「ヒッ…!」
橙髪の男の人は、恐怖に染まった声を上げる。勢い良く後ろに下がった。
「いえッ!与謝野女医!僕は全然元気ですので……!!」
ぶんぶんと首を横に振りながら、橙髪の人が云う。
「そうかい……」
そう云って女の人は黙り込むと、名案が浮かんだ時のような表情をして、ニヤリと笑みを浮かべた。
「それじゃあ敦達にしようか?」
白髪の男の人と、眼鏡をかけた男の人の躰がビシッと固まる。
そして二人して橙髪の人の背中を押した。
「谷崎さんお先にドウゾ!!」
「えぇ!?一寸、敦君!!?」
「健闘を祈るぞ谷崎!」
「国木田さんまで!?」
三人が厭だ厭だと云いながら背中を押し合う。
「結局如何するんだい?妾(アタシ)は誰からでも良いよ」
女の人の瞳に光が宿った。男の人達はびくりと躰を動かし、固まる。
そして──────。
「お願いします谷崎さんっ!!」
「頼んだぞ谷崎っ!!」
「ぇ、うわ!!」
二人の男の人が、思い切り橙髪の人の背中を押した。
笑みを浮かべた女の人は、橙髪の人が来ている服の襟首を掴む。
「谷崎だね、決まりだ♡」
「ヒッ……」
橙髪の人の表情に恐怖が交じる。
──────ギイイィィィ…………バタンッ……
***
「手前等、何だかンだ苦労してンだな……」
少し遠くから見ていた中也が、白髪の人達に云った。
「あはは……」
白髪の人が苦笑いする。
「太宰」
中也が僕に視線を移して、“僕ではない誰かの名”を呼んだ。
僕は中也に視線を移す。
「なあに?」
中也はしゃがみ込んで僕と視線を合わせた。
「俺はもう行く。薬を届けにまた此処にくるから、探偵社で待ってろよ?」
其の言葉は、僕を妙な心境へと連れて行く。
温かい、何か。
「……ぅん、判った………」
僕の返事に中也は笑って立ち上がる。
中也は白髪の人に視線を向けた。
「オイ敦、大宰の事頼んだぞ────って、敵組織の俺が云う事じゃねェか…」
「ぁ、いえっ!有難うございます、中也さん。ではまた後日………」
「おう」
中也が振り返って、扉の方へと向かう。
視界に入った其の背中は、また来ると知っておきながら、何処か遠くに行ってしまいそうだった。
「ぁ………」
僕は思わず声をもらして、右手を動かす。
『心細かったら──────』
「っ、中也ッ…………」
僕は伸ばした儘の手を宙で止めながら、中也の名を呼ぶ。
中也は振り返った。
「ん?如何した?」
「ぇ……あ、えっと…………」
襯衣の胸元を、僕は左の手でギュウッと握りしめる。
どくん。
鈍い心臓の音が、一つ、躰の中に響き渡った。
──────行かないで。
──────置いて行かないで。
──────傍に居て。
そう。云いたかった。
でも僕は。
「ッ………なん、でもないよ、!」
そう云って僕は笑顔を作る。
手を伸ばし、服を掴む事ができなかった右手を、ヒラヒラと横に振った。
「またね、中也」
「おう、またな」
中也はそう云って、部屋から出た。
──────パタン……
***
中也が出て行ってから、僕は大きなソファの上に座っていた。
と云うのも、特にやる事がなかったからだ。
「太宰さん!」
“僕ではない誰かの名”を呼ぶ明るい声が聞こえる。
視線を移すと、其処には学生服を着た黒髪の女の人が優しい笑顔で立っていた。
手にはお盆がある。お盆の上には洋菓子が乗っていた。
「洋菓子がありますの、食べますか?」
その言葉に、僕は“子供らしい笑顔を作って”云う。
「うん、食べたい!僕お腹空いちゃったから」
「あら、其れなら丁度佳かったですわ!」
女の人の言葉に、今度は嬉しそうな笑顔を作って僕は、ありがとう、と云った。
全て作り笑いだ。
本当はお腹も其処まで空いていない。
でも、若し断ったら何があるか判らない。何をされるか判らない。
とてつもない恐怖を感じてしまう。
だから僕は────道化の仮面をかぶる。
「そうでした、紅茶もあるんですの。取ってきますわね。きっと太宰さんのお口に合いますわ!」
女の人は、まるで僕が喜ぶのを嬉しそうに云う。
何で、其処までしてくれるのだろう。只の子供に。
『──────皆君を、愛してくれている』
本当………なのかな?
「____…」
僕は自分の掌を見る。そしてギュッと握って胸元に寄せた。
温かい………。
「太宰さん!」
刹那、白髪の人がしゃがみ込んで僕に視線を合わせながら話しかけて来た。
僕は急に話し掛けられた事に驚いて、ビクリと躰を揺らす。
「ぁ…吃驚させちゃった?ご免ね」
白髪の人はそう云って僕に謝った。僕は首を横に振る。
「ぇ、っと………なに?」
「いや、太宰さん記憶も幼児化してるって聞いたから、慣れてないと思って……」
頬をかきながら、白髪の人は苦笑して云った。
心配してくれた………?
僕は目を見開く。
「……大、丈夫……………」
「そっか、なら佳かった」
優しい笑顔で、白髪の人は云った。
「………………」
僕は床に視線を落として、腿の上に置く手を握りしめる。
罪悪感に襲われた。
「ぁ、そうだ。太宰さんに────「敦ー!」
白髪の人の言葉を、誰かが遮った。僕達は揃って声が聞こえてきた方を向く。
中央の机に、空になったお菓子の袋を横に振っている男の人がいた。
「乱歩さん、如何かしましたか?」
「お菓子、空になったから違うの持って来てー!次は猪口令糖が好い!」
まるで自分は動かないと云うような口振りで、男の人は云う。
「はい。猪口令糖ですね、一寸待っててください」
白髪の人はそう云って、別の部屋の扉を開けた。
──────パタン…
僕は閉じられた扉を見つめる。
「ねぇ」
刹那、先程まで中央の席に座っていた男の人が、僕に声を掛けてきた。
僕を緑色の瞳に映す。
この人────確か、ランポさんって……皆云ってた……。
ランポさんは僕をじぃっと見つめた。
「ぁ……えっと…………」
ランポさんのよく判らない行動に、僕は目を回す。
変な汗が頬を伝った瞬間
「君さ、先刻からずっと作り笑いばかりしてるよね」
その声が、酷く耳に響いた。
「えっ……」
思わず声をもらす。
ランポさんは、只事実を述べたとでも云うような表情をしていた。
「太宰もそうだけど、君も君だね。────いや、太宰の方がまだ佳い方かな……」
ボソリとランポさんは呟く。
如何云う意味か、僕は判らなかった。
「えっ…と…………あの……」
「なに?素敵帽子君の処行きたいんじゃないの?」
「………!」
────パチッ──────パチパチッ─────
煌めきと揺らめきが、眼の前で起こった。
思わず目を見開く。
「何で……?」
「いや、先刻素敵帽子君の服掴もうとしてたじゃん?」
ランポさんが首を傾げながら云った。僕は開いた口を閉ざす事が出来ない。
「如何せ太宰がそう云う風に促したんだろうけど────まぁ、良っか」
そう云って、ランポさんはしゃがみ込んで僕と目線を合わせる。
「ちゃんと二日後の朝には帰って来てよ?皆心配してるんだから」
ランポさんは立ち上がって、僕の手を優しく引っ張った。
「それじゃあね、――――くん」
トンッ
振動が躰に伝わる。
「っ!」
僕は目を見開き、後ろに振り向く。ランポさんに背中を押されたのだ。
扉の外にふらついた足取りで出た。
「ぁ、如何して僕の名前をッ……?」
その言葉に、ランポさんは自信に満ちた笑顔で云った。
「判るに決まってるじゃないか!なんたって僕は────」
「世界一の名探偵なんだからねっ!」
***
僕は中也が云っていた“ブソウタンテイシャ”から出て、大きなビルに向かっていた。
其処は僕が目を覚ました場所だった。
お医者さんと、優しい女の人。そして金色の髪をした女の子が居た場所だ。
多分、中也は其の人達と知り合いで、帰った先が大きなビルだと思う。
だから僕は────中也に会いに行く。
「……………」
僕は辺りをキョロキョロと見渡しながら、足を進めた。
確か此処を通ったような…………。
微かな記憶に頼り、僕は前に進んでいく。
ふと、足を止めた。
地面に視線を落とす。
「────また、独りぼっち………」
僕はポツリと呟いた。そしてポケットから携帯電話を取り出す。
『何か遭ったら俺の事呼べ。直ぐに駆け付ける』
中也はそう云って、“あの時”僕に此の携帯電話を渡した。
光のような笑顔と共に。
「っ…………」
僕は顔をしかめて、携帯電話を握りしめる。
──────ポツッ
頭の上に、水滴が落ちた。
雨……?
顔を上げる。何時の間にか空は灰色に覆われていて、雫が降ってきた。
雨だ。雨の勢いが増していく。
「わわっ!」
僕は頭が濡れないように手で覆いながら、雨宿りできる所を探した。
歩いていた他の人達も、僕と同じように驚いて走って行く。
雨が視界を遮り、人混みにぶつからないよう避けながら僕は走った。
「はっ……はぁっ……はぁ……は……」
彼方此方から水が滴る音、流れる音が聞こえる。湿気たような空気は冷たく、少し寒かった。
──────パチャッ
水面を叩いたような音が下から聞こえる。
僕は水溜りを踏んでしまい、足を下ろした勢いで、水は空気中で丸い形を帯びた。
ズボンに染み込む。
脚が冷たくなり、靴に水が入った感触は何処か気持ち悪かった。
僕は息を浅く吐いて、走り続ける。屋根が大きい処を探した。
普段は何も感じないのに、其の時の雨は如何しても痛かったからだ。
***
雨音と、水が滴る音が耳に響く。
髪の毛先に綺麗な球体になった雫は、重力の重みで地面に落ちた。
雨に濡れた襯衣は肌にベッタリと付く。
その感触が気持ち悪かった。
「………………」
僕は膝を立てて両脚を抱える。寒さを堪えるように背中を丸めた。
──────ザアアァァァァ……
雨の音が煩かった。
顔を上げる。然し周りには誰も居ない。
「………帰れなくなっちゃったな…」
ボソリと呟いた。
此処に来るまでに、僕は殆ど瞼を閉じながら走って来た為、帰り道を記憶できていない。
だから僕は、帰れなくなっていた。
ポケットから、ゆっくりとした動作で携帯を取り出し、開く。
君の温もりに──────只々触れたかった。
携帯から響く電子音が切れるのを、僕は待ち続ける。
ブツッと音がした。
「…………中也、?」
何処か震える声で、僕は中也の名前を呼ぶ。
『太宰か?如何した?』
こもった中也の声が携帯電話から聞こえた。
声を聞いて淋しさが薄れ、何処か落ち着く。
小さく安堵した。
「ぁ、えっとね……中也…」
『うん?』
「僕………迷子になっちゃった……」
『……………』
「…………」
沈黙が続く。
僕は中也が聞いているのか、ふと心配になった。
「……ぇ?中也聞いてる……?」
『……………』
もう一度声を掛けたが、一向に返事は来ない。
切れたのかと思い、耳元から携帯を離した瞬間────『迷子ッッッ!!?』
こもって離れていても尚、中也の声圧が顔面に直撃した。
後ろの壁に頭をぶつける。
『って事は太宰ッ!外出たのか!?』
中也の言葉に、クルクルと回る頭を抱えながら落とした携帯を拾った。
「ぅ、うん……」
『敦達は!?一緒じゃねェのか!?』
「えっと……一人で外に……」
『はあぁ!!?』
「……ッ!」
ぉ…怒って、る……?
刹那、携帯電話から物音が聞こえてきた。
そして何かにぶつかるような、ゴンッ、と云う音が聞こえた後、『痛っ!』と叫ぶ中也の声がする。
何かに躰をぶつけたのかな?
そして勢い良く扉が閉まるような音が聞こえ、雨の音が携帯から少しづつ聞こえてきた時、中也が私に声を掛けた。
『オイ、太宰!今何処に────あ゙ぁ゙!迷子だから判ンねェのか!』
走る音が携帯から聞こえる。
『今見える目立ちそうなデカイ建物あるか!?』
「たてもの………」
僕は辺りを見渡す。
人は全くもって見えなかったが、中也の云うデカイ建物は見えた。
「右の一寸奥の方に…………赤い煉瓦(レンガ)の建物がある………」
『他には何か見えるかッ!?』
そう云う中也の呼吸音は、荒くなっていく。
僕は少し顔をしかめて、赤い煉瓦の建物とは別の方を見渡した。
「ぇ、っと────ぁ…眼の前の奥の方に観覧車が見える……」
『よし判った!俺が今から其方行くから絶対動くなよ!』
「……うん…」
ブツッと音がして、電話が切れる。
僕は暫く携帯を見つめた後、両脚を抱えて背中を丸めた。
携帯を抱きしめる。眠るようにゆっくりと瞼を閉じた。
不安も、恐怖も、最早なかった。
只、君が来てくれる事に────僕は深く安堵した。
***
水面を叩いたような音が、遠くから聞こえる。
ソレは大きくなり────徐々に僕の方に近付いて来た。
「……?」
ゆっくりと瞼を開け、僕は顔を上げる。
今度は荒い呼吸音が聞こえて来た。影が近付いてくる。
「はっ……はぁっ……ッ──────太宰っ!!」
その声に、僕は目を見開いた。煌めきと揺らめきが、眼の前でパチパチと音を立てて起こる。
中也が雨に当たりながら、僕の元へ走って来た。
「………中…也……?」
口先から声をこぼす。
中也は僕の目の前に立つと、足を止めて膝に手を当てた。
「はぁっ………佳かったッ、やっと……っ…はぁ……見つかった……」
そう云って、中也は呼吸を整える。
中也の頬に流れた汗が、ポタッと地面に落ちた。ふと僕は、中也の服が濡れていない事に気付く。
雨に当たっているように見えたのに、何で濡れてないんだろう……。
少し不思議に思った。
「中也……走って来たの…?」
首を傾げて、僕は聞く。
「あぁ…?まぁ……手前、ェ……が、迷子だったしな…………」
中也は深く息を吸った。
呼吸を整わせた中也は、しゃがみ込んで僕と目線を合わせた。
──────ポンッ
僕の頭を中也が撫でる。温かかった。
「悪ィな、独りにさせちまって……」
「っ……」
瞳の奥から、何かが込み上げてくる。僕はグッと堪えた。
横に首を振る。
「別に……大、丈夫……」
如何して、君が謝る必要があるんだろう。
謝る必要なんて、これっぽっちも無いのに……。
僕の大丈夫と云う言葉に、
「ははっ、そうかよ」
と、苦笑しながら中也は云った。
未だに撫でる中也の手は、温かく、心地が良い。
刹那、僕の頭から中也の手が離れた。
「……?」
僕は顔を上げる。
何故か中也は絶望した顔をしていた。
「中也…?如何したの?」
首を傾げて、僕は聞く。すると、中也は再び僕に、悪ィ、と云った。
そして──────。
「急ぎ過ぎて傘忘れた」
僕は目を丸くする。
「でも中也、雨に濡れてないよね?如何して?」
「コレは異能で……………あー、まぁ此方は良い」中也は僕に背を向けると、顔だけ此方に向けた。「近くのコンビニで傘買って来るから、少し待ってろ」
そう云って、中也は僕の目の前に掌を出す。
来るな──待ってろ──と云う意味合いで。
「えっ…」
僕は思わず声をもらした。何処か震えている。
中也は其れに、
「大丈夫だ、直ぐに戻って来る」
と云って、安心させるかのように僕に笑顔を見せた。
また、躰が動かなかった。
また、行かないでと云えない。
「ッ………」
僕は拳を固く握り締めた。とても惨めだ。
中也が僕に背を向ける。
走り出した。
「ぁ………」
声が溢れる。伸ばした手が、また宙で止まった。
屋根の下から中也が出ただけで、中也とこの世界の全てが、僕から切り離されたようだった。
また──────あの感覚に陥る。
また来ると知っておきながら、何処か遠くに行ってしまいそうな感覚。
もう会えないのかも知れないと云う、微かな恐怖。
行かないで。
置いて行かないで。
視界に入る全ての動作が、スローモーション
に見える。
また──────僕の躰は動いてくれないのかな………?
『心細かったら──────』
「っ…!」
僕は顔を上げて、少し前のめりに立ち上がる。
勢い良く踏み出した所為で、足が少し滑った。不格好に、僕は中也の元へ走り出す。
水溜りを踏んだ。
其の音に、中也はゆっくりと振り返る。
「中也っ!!」
僕は走りながら中也の名を呼んだ。中也が目を見開く。
「はっ…!?太宰!!?」
混乱しながら、中也はその場に立ち止まった。
手を伸ばして、僕は中也の手を掴む。
息を吸った。
「──────行かないで!!」
「____…」
中也が目を丸くした。
其の瞬間───────ザアアァァァァ!!
「おわっ!!?」
中也にも雨が勢い良く当たる。中也が声をあげた。
あれっ……?何で中也まで濡れて………。
「太宰、戻るぞ!」
僕が目を丸くしていると、中也が僕の手を引っ張った。
先程まで居た場所に戻る。
躰が再び濡れて、一段と寒くなった。
「……………」
顔を俯けて、僕は中也から手を離す。
「ぁーくそっ、俺まで濡れたじゃねェか……」
帽子を取り、赭色の髪を絞って水気を切りながら、中也が云った。
唇を固く閉じて、顔をしかめる。ズボンを握り締めた。
息を吸う。
「…………ご、免なさい……」
声が震えていた。
矢っ張り、僕は莫迦だ。
本当に──────────「何で謝るンだ?」
中也の其の言葉が、耳に響く。
「っ!」
僕は顔を上げて中也に視線を移した。
中也は首を傾げる。
「謝る必要なンてねェだろ?」
「えっ……何で、?だって僕が中也の手、引っ張っちゃったから、濡れて………」
「あンなの不可抗力みてェなもンだから、しゃあねェよ」
「でも………」
僕は言葉に詰まる。
中也は頭をかいて深く息を吐き出した。
「“行かないで”、か…………」
先刻、僕が中也に云った言葉を、中也は口にする。
「…………」
僕は視線を移した。
ポタッ。
中也の赭色の髪の毛先から、溜まった水分が雫となって地面に落ちる。
中也の表情を見て、僕は目を見開いた。
「____…」
彼は──────優しい笑顔をしていた。
「手前が俺の事濡らしたンだ、傘なンて買う必要ねェな」
何処か悪戯めいた笑顔で云った後、中也は羽織っていた外套を僕に掛けた。
少し濡れている。
「ぇ、と……中──────」中也が僕の手を引っ張って、屋根の外に飛び出した。「ぅわっ!?」
僕は少し前のめりになって、転びそうになる。
雨の中、僕と中也は走った。水たまりを踏む。
中也は楽しそうに笑いながら走っていて、でも僕は走るのに精一杯だった。
けど──────ワクワクして何処か楽しい。
中也の笑顔につられて、僕は口元が自然に緩んだ。
雨の勢いが少しづつ弱まっていく。太陽が灰色の雲から顔を出した。
日照り雨。
「如何せだし、濡れて帰ろうぜ!」
楽しそうに中也は云った。
煌めきと揺らめきが眼の前で起こる。
僕は──────嬉しかった。
だって、中也は──────皆が云う“ダザイ”って人じゃなくて、ちゃんと僕を見てくれているようだったから。
ソレが僕は──────凄く嬉しかったんだ。
太陽の光が中也に重なり、より一層中也の笑顔が眩しく見える。
「っ───────うん…ッ!」
作り笑いではない自然と出た笑顔は、初めてだった。
何処かで虹が、空を彩った。
コメント
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最高すぎて墓に300回くらい入ったわ(?)見るの遅くなってごめんね🥺 行かないでっていう太宰さんも可愛いししかも絶対乱歩さんが言ってた_ _ _ _ってピーーーーーじゃん!!