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『付き合ってないけど別れ話は却下されました』~d×n~
side翔太
「ごめん。俺たちもう終わりにしよう」
静まり返った部屋に俺の声だけが響いた。
目の前には長机が三つ。
その向こうに監督と脚本家と見たことのない偉そうな人が座っている。
三人とも何とも言えない顔で俺を見ていた。
やがて監督が手元の台本へゆっくり視線を落とした。
「もう一回お願いしてもいいかな」
「はい」
「今度は本当に好きな人と別れるつもりで」
「はい」
俺は一度目を閉じた。
大切な人。
失いたくない人。
顔を思い浮かべようとしてなぜか真っ先に涼太が出てきたので慌てて頭の中から追い払う。
いや何で涼太なの。
恋人役だよ。
男同士という点は台本と合ってるけどそこだけでしょ。
息を吸い、もう一度相手役の代わりに置かれた椅子を見つめた。
「ごめん。俺たちもう終わりにしよう」
今度こそちゃんと切なく言えた。
そう思ったのに監督は眉間へ深いしわを寄せた。
「うーん」
「ダメでしたか?」
「別れ話というよりコンビニに行ってくる人みたいなんだよね」
「そんな軽かったですか?」
「五分後にはお菓子を抱えて戻ってきそう」
「別れた相手にもプリンくらい買って帰りますけど」
「そういうところかな」
どういうところなの。
隣にいた脚本家が申し訳なさそうに口を開いた。
「笑顔が明るすぎるのかもしれません」
「笑ってました?」
「口角がずっと上がっていました」
「すみません。緊張すると笑っちゃうんです」
「それと『終わりにしよう』が『おかわりにしよう』に聞こえました」
「食いしん坊みたいになってるじゃん」
思わずいつもの調子でつっこんだら三人がそろって笑った。
違うんだよ。
笑わせに来たんじゃないんだよ。
俺は恋人を失うめちゃくちゃ大事な場面を演じに来たんだよ。
監督は笑いを収めると台本を閉じた。
「芝居そのものは悪くないんだよ。ただ君からは別れの痛みが伝わってこない」
「痛み……」
「本当に好きな相手へ別れを告げた経験は?」
「ないです」
「告げられた経験は?」
「それもないですね」
「じゃあ誰かに相手役を頼んで練習してみて。十日後もう一度見せてほしい」
落ちたわけではない。
再審査の機会をもらえただけありがたい。
けれど部屋を出た瞬間俺は長い息を吐いた。
本気の別れ話なんてどうやって練習するの。
廊下の壁に背中を預けたままスマホを取り出す。
恋人役を頼めるくらい気心が知れていて俺が何を言っても笑わず真面目に付き合ってくれそうな相手。
考えるまでもなかった。
『涼太、今日の夜空いてる?』
送信してから三秒で既読がついた。
『空いてるよ』
返信早っ。
『ちょっと頼みがあるんだ』
『何?』
『俺の恋人になってほしい』
送ってから言葉が足りてないことに気づいた。
慌てて文字を打っているうちに涼太から着信が来る。
「もしもし」
『今どこ?』
「事務所だけど」
『俺も近くにいる。五分で行く』
「いや待って。今のは仕事の練習で――」
『詳しい話は会って聞く』
「涼太?」
切れた。
本当に聞いてた?
俺の恋人になってほしいのところしか聞いてないんじゃない?
しかも五分と言ったくせに三分後には廊下の向こうから涼太が歩いてきた。
黒い帽子を深くかぶり息ひとつ乱れていない。
「早くない?」
「近くにいたから」
「どこに?」
「下の階」
「それは近くにいたんじゃなくて同じ建物にいたって言うんだよ」
涼太は俺の前で足を止めた。
いつもと変わらない無表情に見えるのに目だけが妙に真剣だった。
「それで恋人って何をすればいい?」
「やっぱりそこしか聞いてないじゃん」
俺はオーディションのことを最初から説明した。
恋愛ドラマの相手役を演じること。
別れ話の場面がうまくできず十日後に再審査になったこと。
その練習相手になってほしいこと。
話を聞き終えた涼太は少しだけ視線を下げた。
「練習なんだ」
「そう。びっくりした?」
「別に」
何なのその一瞬だけ捨てられた子犬みたいな顔。
俺が本気で付き合ってくれと言ったとでも思ったんだろうか。
いやいや、ないない。
涼太が俺にそんなことを言われて喜ぶ理由がない。
「で、やってくれる?」
「いいよ」
「助かるよ。じゃあ早速――」
「その前に設定を決めよう」
「設定?」
「俺たちがどうやって出会っていつから付き合ってどんな関係だったのか」
「そこまでいる?」
「本気で別れる演技をしたいんでしょ」
「まあそうだけど」
「付き合っていた時間が分からなかったら失うものの大きさも分からない」
なるほど。
さすが涼太。
頼んだ相手を間違えてなかった。
このときの俺はまだ知らなかった。
涼太の言う『設定を決める』が俺の想像より百倍くらい本格的だということを。
近くの小さな会議室へ移動した涼太はノートを開くと真っ白なページの一番上へ大きく書いた。
『交際設定資料』
「まず付き合って何年?」
「三年くらいでいいんじゃない?」
「三年二か月?」
「何で二か月足したの?」
「細かいほうが思い出を作りやすいから。記念日は?」
「今日でいいでしょ」
「今日付き合ったのに三年二か月?」
「架空の話に時空の整合性を求めないで」
涼太は真剣な顔で次々と質問してくる。
「告白したのはどっち?」
「涼太」
「どうやって?」
「普通に好きって」
「場所は?」
「公園」
「時間帯は?」
「夜」
「翔太は何を着てた?」
「知らないよ!」
別れ話へたどり着く前に付き合い始めるだけで一時間が過ぎた。
初デートは水族館。
初めて手をつないだのはその帰り道。
記念日には毎年同じ店で食事をする。
半年前から同棲中。
「ちょっと待って。同棲までしてるの?」
「三年二か月ならしててもおかしくない」
「俺の家と涼太の家どっち?」
「翔太の家」
「何で?」
「俺の歯ブラシもう置いてあるから」
思わず顔を上げた。
「置いてあったっけ?」
「この前泊まったときに置いといた」
「勝手に同棲の下準備しないで」
涼太は俺のつっこみを無視しさらに書き進める。
「翔太が寝るときに着てる薄いグレーの服。あれパジャマで合ってる?」
「何で知ってるの?」
「泊まったとき見たから」
「俺の服のサイズまで書く必要ある?」
「別れたあと家に置いてある服をどうするか決めないと」
「そんな場面台本にないんだよ!」
なんだかんだでようやく設定が完成したころには外はすっかり暗くなっていた。
俺は机の向かいに座る涼太を見つめ台本を持ち直した。
「やっと本題だね」
「うん」
「涼太は俺と三年二か月付き合って半年前から同棲してる恋人」
「分かった」
「それで俺から別れ話をされる。涼太のセリフは『分かった。今までありがとう』だから」
「うん」
一度息を吸う。
頭の中で今作ったばかりの架空の思い出を並べた。
水族館へ行った。
帰り道に手をつないだ。
毎年同じ店で記念日を祝った。
一緒に暮らして同じ朝を迎えた。
そして今日全部終わる。
続きは、pixivとnoteにて同タイトルで公開中です。
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「だ、ダメ!まだ見ないで!」
「なんで?一緒に練習するって約束したでしょ」
「そ、それはそうだけど……心の準備が……」
「心の準備?」
涼太は首を傾げながらパラパラと台本をめくり始めた。
俺は心臓が口から飛び出しそうになりながら涼太の顔を盗み見た。
涼太の視線が文字を追って動いている。
第1話第2話……順調に進んでいく。
そして第5話のページを開いた瞬間。
涼太の動きがピタリと止まった。
部屋の空気が一瞬にして凍りついたような気がした。
涼太の無表情がさらに冷たさを増していく。
黒い瞳が台本の一点に釘付けになっている。
間違いない。
『激しく求め合う』の文字を見つけたのだ。
「……涼太?」
俺は恐る恐る声をかけた。
涼太はゆっくりと顔を上げ俺を見た。
その目は今まで見たことがないくらい暗く静かな怒りを湛えていた。
「翔太」
「は、はい!」
「これ何?」
「えっとそれは……台本だね」
「それはわかってる。この第5話のシーン」
「あー……うんなんか追加されたみたいで……」
「相手は誰?」
「まだ決まってないけど……」
「キスするの?」
「……うん」
「ベッドに行くの?」
「……ト書きにはそう書いてあるね」
※最初から最後まで甘く、濃く、容赦なく。読み応えたっぷりのR-18作品となっております。
コメント
1件
「設定決めるのが百倍本格的」ってところ、めっちゃクスッときたw 涼太がノート開いて「交際設定資料」って書く真剣さよ…歯ブラシもう置いてあるってさらっと言うの、恋人じゃなくてもなんかズルいわ。でも本番の別れ話練習、ホントにやるのかな?続きが気になる🔥