テラーノベル
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――シェアハウス 夜
静まり返ったリビング。
さっきまで、なつとらんが笑っていた空気が、もう嘘みたいに消えていた。
ソファの端に座っているのは、いるま。
その少し離れた床に、こさめが座っている。
距離は、まだある。
けれど――
前より、遠くはない距離だった。
「……」
沈黙。
時計の音だけが、やけに大きく聞こえる。
こさめは、膝を抱えながら、ちら、といるまを見た。
いるまは俯いたまま、動かない。
でも――
逃げてはいなかった。
前なら。
きっと、もう部屋に閉じこもっていた。
扉を閉めて。
鍵をかけて。
全部、拒絶していた。
でも、今は――ここにいる。
同じ空間に。
それだけで、奇跡みたいだった。
「……いるま」
小さく、呼ぶ。
びくっ、といるまの肩が揺れた。
でも、逃げない。
「……なに」
かすれた声。
弱い声。
こさめは、少しだけ安心した。
「……さっき」
言葉を探す。
慎重に。
壊さないように。
「……怖かった?」
その瞬間。
いるまの指が、ぎゅっと握られた。
沈黙。
長い沈黙。
そして――
「……わかんない」
ぽつり、と落ちた声。
「怖いのか、悲しいのか……」
「……わかんない」
こさめの胸が、ぎゅっと痛んだ。
わかる。
その感じ。
感情が混ざって、わからなくなる時。
壊れそうになる時。
「……でも」
いるまが続ける。
「……思い出した」
こさめの呼吸が止まる。
「……全部」
震える声。
「……殴られたことも」
「……閉じ込められたことも」
「……誰も助けてくれなかったことも」
息が詰まる。
でも。
いるまは、止まらなかった。
「……思い出したら」
「……ここにいていいのか、わからなくなった」
その言葉に。
こさめの心臓が、大きく跳ねた。
「……どうして」
思わず、聞いていた。
いるまが、ゆっくり顔を上げる。
その目は――
泣いていた。
「……壊れてるから」
静かな声。
「俺は」
「……壊れてる」
こさめは、すぐに首を振った。
「違う」
はっきりと。
強く。
いるまが、驚いた顔をする。
こさめは、立ち上がった。
一歩。
一歩。
近づく。
いるまの前まで。
でも――
触れない。
まだ、触れない。
「壊れてない」
まっすぐ、目を見る。
「傷ついてるだけ」
いるまの目が揺れる。
「壊れてない」
もう一度、言う。
「いるまは」
「壊れてない」
その瞬間。
いるまの目から、涙が落ちた。
ぽろり、と。
止まらない。
「……なんで」
震える声。
「なんで……そう言えるの」
こさめは、少しだけ笑った。
優しい笑顔。
「俺も、言ってほしかったから」
いるまの呼吸が止まる。
「壊れてないって」
「誰かに」
静かな言葉。
でも。
重い言葉。
いるまは、何も言えなかった。
こさめは、それ以上近づかない。
でも、離れない。
その距離で、そばにいた。
それだけを選んだ。
無理に触れない。
無理に救わない。
ただ――
ここにいる。
一緒にいる。
それだけ。
沈黙。
でも――
さっきまでの沈黙とは違う。
冷たくない。
ひとりじゃない沈黙だった。
しばらくして。
いるまが、小さく言った。
「……こさめ」
「なに」
「……なんで」
少し迷って。
それでも、言う。
「……なんで、離れないの」
こさめは、少しだけ考えて。
そして。
答えた。
「離れたくないから」
シンプルな答え。
嘘のない答え。
いるまの目が、大きく揺れた。
「……怖くないの」
こさめは、少し笑った。
「怖いよ」
正直に。
「でも」
続ける。
「それより」
「一緒にいたい」
いるまの呼吸が止まる。
胸の奥が、熱くなる。
知らない感覚。
怖い。
でも――
嫌じゃない。
「……」
いるまは、少しだけ。
ほんの少しだけ。
ソファの端から――
こさめの方へ、体を寄せた。
ほんの数センチ。
でも。
大きな一歩だった。
こさめは、何も言わなかった。
ただ――
その距離を、受け入れた。
夜は、まだ続く。
壊れていた心は。
まだ、完全には治らない。
でも。
隣に、誰かがいる。
それだけで――
少しだけ。
世界が、この場が、優しくなる。
コメント
2件
どうやったらそんな神が誕生するのか教えて((じゃあなかす