【side宗親】
よりによって、夜に春凪と出掛ける予定の日に社長から呼び出しとか。
何の嫌がらせだよ!と思った。
定時を過ぎてからの不自然な招集。
業務連絡ならばあり得ないことなだけに大体察しはついていたけれど、社長室に通されてみると案の定予想通りと言うべきか。
父・嵩峰が待っていた。
この会社――神代組の社長を部下か何かの様に斜め後方に従えた状態で父が言ったのは、なるべく早く身を固めてオリタ建設に戻ってこいという話で。
有無を言わせぬ口調で「式の準備や手配は全部オリタ建設がやる。お前は神代組の引き継ぎを迅速に進めることだけを考えなさい」と付け加えられた僕は、小さく吐息を落とした。
「春凪との式は彼女の意向に沿うものをしたいと思ってるので、口出しするなというのは断固お断りいたします」
もちろん、僕だって社長の息子ということでオリタの方ではそれなりに責任ある立場に置いてもらっているのは心得ている。
全部が全部思い通りにはならないのは承知しているし、ある程度は両親の方の存意も汲まねばならないだろう。
ああ。僕だって自分だけのことならいくらでも聞いてやるさ。
だけど――。
春凪にとって、結婚式は一生に一度の晴れ舞台だ。
僕は夫として春凪の意思を最大限尊重する義務がある。
表向きは父親がトップということになっている織田の会社も、実質的に力があるのは織田の血を引く母・葉月の方だ。
大方母からせっつかれて来たんだろうが、ご苦労なことだな、と思って。
惚れた女にメロメロと言う意味で、僕は目の前の父親に共感を覚えないではない。
だから全否定をすることだけは控えたのだけれど。
父は結婚式のことのみならず、僕の妻になるという大義名分で春凪の身の振り方についてもアレコレと口出しして来たから。
存外それらの話が長引いてしまった。
お陰様で着替えに戻るのもシャワーを浴びに帰るのも諦めた僕は、押っ取り刀でMisokaに向かう羽目になって――。
だけど後から思えば、もっと早く駆けつけるべきだったんだ。
***
Misokaの近くで既視感のある春凪の車の鍵――というか凄く目立つ真っ赤なハートが付いたキーホールダーを見つけた僕は、春凪が店に入る前に落っことしたのかな?と思って。
「これ、春凪の……」
と拾い上げたところで薄暗いビルとビルの隙間から物音が聞こえた。
ふと目を凝らすと、男が女の子を押し倒しているところで。
周りにはその子の持ち物だろうか。
女性ものと思しき鞄や荷物が散らばっていた。
僕の方からは、男は背中を向けていて見えないけれど、明らかに女の子が必死に抵抗して足をバタつかせているのが見て取れて。
何よりその足元――オープントウのサンダルに既視感があった僕は、手にしたキーホールダーと相まって一気に血の気が引くのを感じた。
もちろん男として――というか人として――誰かが襲われていたら助けるのは当然だと思う。
だけどその対象が自分の婚約者となれば相手と差し違えてでも助けねばならない。
男の背中越し。
春凪が首を絞められて苦しそうに顔を歪めているのが見えて。
僕は、気が付いたら男の首根っこを捕まえて投げ飛ばしていた。
本当は捕まえるべきだったのかも知れない。
だけど男のことなんてどうでもいいと思ってしまうほど、僕は傷ついた春凪から目が逸らせなかったんだ。
僕が春凪と一緒にMisokaへ来られていたら――。
今更思ったって仕方のない〝たられば〟が頭の中を駆け回って、どうしようもなく自分に腹が立った。
それと同時、春凪をこんな目に遭わせた男の事を絶対に許せないと思って。
春凪の手前、努めて冷静に見えるよう装ったけれど、本当はどうしようもないぐらい心が掻き乱されていた。
怪我をした春凪の応急処置をするためにMisokaに行って明智に嫌味を言ってしまったのだって、怒りの矛先を間違えていることは重々承知していたけれど、どうにも感情が抑え切れなかったんだ。
明智には悪いことをしたと思う。
幼い頃から両親に口酸っぱく躾けられてきたポーカーフェイスなんて、春凪の一大事を前にしたら何の役にも立たないことを思い知らされて。
自分の気持ちを表に出すまいと努力すればするほど、不機嫌さが滲み出て、春凪まで怯えさせてしまうとか、僕も大概ダメな男だよね。
***
両膝の擦過瘡だけでなく、パッと見だけで首筋と手首に痛々しい鬱血痕を付けられた春凪を見て、どれだけ怖い目に遭わされたんだろうと胸が痛む。
ラベンダー色の綺麗なワンピースの前開きボタンを、手が震えるんだろうか。
上手くとめることが出来ないみたいにもたつく春凪を見かねて、僕が代わりにやってあげようと手を伸ばしたら、酷く怖がられてしまった。
手負いの小動物が懸命に自衛するみたいに、小さく丸められた春凪の背中を見て、胸がズキズキと痛みを伴って締め付けられる。
春凪が、胸元が肌蹴ないよう必死で押さえ続けているから確認は出来ないけれど、もしかしたら胸の辺りにも何か良くない痕を付けられているんじゃないかと思って。
僕が触れようとするたび、まるで自分は僕にそうされる資格がないかのような反応をする春凪が、『元カレに触られたところが全部気持ち悪い。お風呂入りたい』と強請ってきた時、僕はあの男を心底抹殺してやりたいと思ったんだ。
一度は取り逃したけれど大丈夫。
再度取り押さえる事なんて、僕が――というより織田が――本気になれば造作もないはずだ。
春凪の、『自分は汚れてしまった』という感覚は、きっと表面的な〝汚れ〟よりも内面的な〝穢れ〟に近い。
恐らく脱衣所や風呂場の鏡を見れば、嫌でも自分に残された痣と向き合うことになるから。
春凪を一人で入浴させたら、落ちるはずのない嫌悪感を清めようと肌を傷付けるぐらいゴシゴシと擦るに違いないんだ。
そう思った僕は、一人で風呂に向かおうとする春凪を半ば強引に引き留めて、一緒に入ることにしたんだけど――。
春凪の服を脱がせてみたら、僕が大好きな春凪の綺麗な胸に、明らかに乱暴に扱ったと思しき指の痕がクッキリと残っていた。
春凪は、元々バストに対するコンプレックスが強い子だ。
そんな彼女の繊細な心をズタズタに傷付けて捨てたあの男が、何を言ってココにこんな痕を残したのかと思うと、考えただけで虫唾が走った。
コメント
1件
あの男をズタズタにして欲しい💢