テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
第12話:シの旋律
その音源は、再生禁止指定の第零級。
どの試聴者も倒れ、
作曲者は……ツグルの父だった。
深夜、ツグルの部屋。
防音壁に囲まれた小さな空間の中央に、旧式のオーディオコンソールが置かれている。
モニターには、唯一無二のファイル名が表示されていた。
【shi_no_senritsu.pro】
作曲者:ナナセ・アキト
構造:EDM(Emotion-Death-Memory 交差構成)
注意:“感情を持って聴くと死に至る”
ツグルは静かにヘッドホンを装着する。
深緑ジャケットにタートル。髪は湿ったように額にかかり、目元はやや赤い。
机の上には、父が遺した音声ノートと、ドラックミュージックの初期音源ディスクが並んでいた。
父のメモには、こう書かれていた。
「ドラックは“今の感情”を再生する。
EDMは“忘れた感情”を呼び戻す。
この曲は——“記憶そのもの”を旋律に変換したものだ。
聴くことで“自分が最後に何を感じたか”が再生される。
それが“死”であっても。」
ツグルは、かすかに笑った。
「……笑って死ぬか、思い出して死ぬか。
この世界、どっちかしかないのかよ」
再生——1秒前。
彼の脳裏に、ドラックを愛用していた母の笑顔が蘇る。
笑ったまま壊れていった彼女を、音で止められなかった。
再生。
……音は、鳴らない。
代わりに、幼い頃の記憶が映像のように流れ始める。
父が笑っていた。母が微笑んでいた。
自分も、自然に笑っていた。
だが、次第にその映像が逆再生を始める。
笑顔が消え、感情が剥がれ、言葉が失われていく。
そして最後に残ったのは、“無音の旋律”だった。
それは、すべての音の手前にある“生まれたての心”のような揺らぎ。
目を開けたツグルは、泣いていた。
「……なんで俺、生きてる……?」
ファイルは、再生時間「0.00」で終了していた。
“彼の中でだけ、旋律が鳴った”という証拠は、どこにも残っていない。
数日後。
ツグルは1本の音源を公開する。
タイトルは、《Smiling Silence》
分類:EDM
説明文:
「これは、あなたの中の“笑わなかった顔”に向けて作った曲です。 聴いても、何も変わらないかもしれません。 でももし、思い出せたら—— それが、あなたの旋律です。」
その音は、誰も殺さなかった。
でも、再生数は伸び続けている。
その理由を知っているのは、聴いた者だけ。
画面の前で、ひとりの少女が微笑む。
ドラックミュージックも、EDMも使っていない。
ただ、静かに目を閉じて、こう呟く。
「やっと、自分の顔で笑えた」
【完】
『シの旋律』