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話終えた寧々さんは、私に包丁を向けたまま、憎しみの浮かぶ目で、私を見る。
この人が、斗希の妻である私も憎いと思う気持ちが、分かる。
今もこの人が斗希に対して特別な気持ちを抱いているとは思わないけど、
この人から見て、何も知らず呑気に斗希に愛されているように見える私が憎いだろう。
「そうそう。斗希さん、篤さんのお姉さんとデキてるみたいだけど。
きっと、あなたと結婚してからも、続いてるんじゃない?」
その言葉で、もしかして、と思う。
「あの写真を、川邊専務のお姉さんの旦那さんに送ったのは、寧々さん?」
「なあんだ。
斗希さんの奥さんも知ってるんだ?
あの人、浮気とかそうやって奥さんに堂々と言うんだ?
普通なら有り得ないけど、斗希さんならそれも有り得そうな気もするな」
そうクスクスと笑っているけど、目は憎しみで歪んだまま。
「川邊専務の奥さんの梢さんにもそうやって…」
「何の話?」
寧々さんは、私のその言葉の意味が分からないのか、首を傾げている。
玄関の方から、扉が開く音がした。
リビングに入って来たのは、斗希と川邊専務の二人。
斗希はスーツだけど、川邊専務は私服で、この人の私服姿を初めて見たからか、一瞬誰か分からなかった。
「斗希さん、篤さん、久しぶり。
私はあなた達の事、前々から見てたんだけどね」
「お前、本当に、寧々か?」
川邊専務のその言葉に、斗希は何も言わないけど、同じ事を思っているのが分かる。
「あ、そっか。顔違うでしょ?
けっこういじったの。
なんでか、分かる?」
斗希や川邊専務には分からないかもしれないけど、
先程迄の寧々さんの話を聞いていた私には、分かる。
「あのDVDは出回らなかったけど、
あのパッケージの画像は、ネットで流れててさ。
顔変えなきゃ、外も怖くて歩けなくて。
誰があの画像見たか分からない。
そこら辺歩いてる人、みんなそれ知ってんじゃないかって、疑心暗鬼になった時期あって。
AVのギャラでしたんだけど。
それでそのお金全部失くなっちゃった」
「けど、お前。
あの時、金が欲しくてって…。
そんなのも分かってて出たんじゃねぇのか?」
川邊専務は、寧々さんから隣に居る斗希に視線を向けた。
「多分、この場に居る人間で、
篤だけが全てを知らない」
「は?どういう事だ?」
「そう。斗希さんの奥さんにも、全部話しておいたから。
思ったよりもリアクションないから、奥さん、斗希さんがクズなの知ってて結婚したんだね。
もしかして、奥さんも斗希さんのように、クズなの?」
寧々さんは、私に包丁を向けたまま近付いて来ると、
素早く私の背後に回り、私の首に包丁の刃を当てる。
「電話でも言ったけど、斗希さんの奥さん、殺すけど?」
耳元で、笑い声が聞こえる。
「寧々、お前が俺に腹立つのは分かるけど、斗希や斗希の嫁は関係ねぇだろ?
俺があの時金に困ってなきゃあ」
「篤さん、本当に何も知らないんだ。
私、斗希さんに騙されたの。
いいように利用された。
私、斗希さんが好きだったから。
AVに出たら、付き合ってくれるって言われていて…。
それで私…本当はAVなんて出たくなかったし、お金だっていらない!」
その感情的な声に、心が切り刻まれるように痛んだ。
「おい、斗希お前っ!」
川邊専務の手が、斗希の襟首を掴む。
「けど、もうそれはどうでもいい。
大事なのは、これから。
あんた達が、私の目の前で苦しんでくれたら、それでいい」
その言葉に、川邊専務は斗希を掴んでいたその手を、離した。
「寧々、どうすればいい?
殴りたきゃあ、俺の事を殴れ」
「篤、寧々は俺達二人を、こうやって同時に呼んだんだ。
それに、何か意味があるんじゃない?」
斗希の言葉に、寧々さんがクスリと笑うのが分かった。
「簡単なお願い。
今、私の目の前で、どちかが、片方を殺して。
包丁くらい、この部屋にあるでしょ?」
「寧々、お前自分の言ってる事分かってんのか?」
「分かってる。
どちらかが死んで、どちらかが殺人犯として、この先、社会的にも精神的にも苦しんで生きて行って」
「あ?んな頼み、聞けるわけねぇだろ?」
「なら、この斗希さんの奥さんを殺すし。
私、篤さんの住んでる所も知っているし、あの綺麗な奥さんも、子供も、殺すけど?」
「お前…」
「なんか、篤さんばっかり話してるけど、斗希さんはどうする?
斗希さんは、この人よりも自分が可愛いって感じだもんね」
寧々さんのその言葉を聞きながら、
斗希はその寧々さんの条件を呑んで迄、私を助けたいとか思わない気がした。
そもそも、私と斗希は愛し合って結婚したわけじゃない。
「寧々の言う通りにしたら、結衣の事もそうだけど。
篤の家族にも、何もしない?」
斗希はそう言って、台所へと行き、
包丁を手に取った。
それに、この場所に居た斗希以外が息を呑む。
「斗希、まじでやるなら、お前が俺を刺せ」
川邊専務も、斗希のその姿を見て、覚悟を決めたようにそう口にした。
「俺も、そのつもり。
篤が殺人犯になったら、会社もそうだし。
梢ちゃんや子供達を、殺人犯の家族にしてしまう。
リスクが多い。
その点俺は…。
どうでもいい家族しか居ないし。
そりゃあ、結衣にはちょっと悪いけど、離婚したら他人だし。
うちの事務所の所長には迷惑かけるかもしれないけど、あの人人使い荒いし、いいか」
本気、なのだろうか?
冗談でしょ?
斗希も、川邊専務も。
斗希は分からないけど、川邊専務が本気なのは、その表情から伝わって来る。
「へぇ、斗希さん。
奥さんの事、大事なんだ?」
「まぁね。
自分でも、意外だった」
そう、斗希は私に笑い掛けて来るけど。
「辞めて!斗希!
私は刺されても構わないから!」
斗希を殺人犯にしたくないのもそうだし、
川邊専務の事も、死なせたくない!
それに、それで川邊専務にした事への罪が償えるなら…。
「小林、お前だけじゃない。
寧々は俺の家族も、って言ってんだ。
今、寧々の事をぶっ殺しでもしない限り、こいつは俺の家族も狙う。
もし、今寧々を取っ捕まえて警察に突き出しても、ずっと刑務所に居るわけじゃないし。
それに、寧々の事、ぶっ殺すのもそうだし、警察に突き出したくねぇ。
俺らのせいで、こいつは…」
「篤さんは、なんだかんだいい人だって、お姉ちゃん言ってたなー。
馬鹿だけど、って。
斗希さんと足して2で割れば、あなた達いい感じなんじゃない?」
「どうだろ?
2で割るだけじゃ足りないくらい、篤は馬鹿だから」
斗希は、両手で包丁の柄をぐっと握り、川邊専務の方へと歩く。
そして、少し距離を置いて、その足を止めた。
それは、一瞬で。
斗希はその柄を、自分の方に握り直すと、
迷う事なく、自分の胸を刺した。
「―――斗希さんっ!!」
悲鳴のような声をあげ、一番に斗希に駆け寄ったのは、寧々さん。
先程迄寧々さんが握っていた包丁が、床に落ちている。
斗希は、床に膝を着いて座っていて。
斗希の胸に、包丁が突き刺さっている。
それを目に映し、私は足から力が抜け、その場に座り込んでしまった。
「斗希、お前…」
川邊専務も、その場から動けなくて。
「救急車…。斗希さん、なんで自分を…。
ごめんなさい…私本当に、刺すなんて…」
「―――大丈夫。
ちょっと、痛いけど」
斗希は、包丁を引き抜いた。
その刃の先には、血が付いているけど、
それは、少しで。
「本…」
そう言った私に、正解だと言うように斗希が笑った。
斗希は、スーツの内ポケットから、
文庫本を取り出した。
それには、しっかりと包丁の刺さった跡がある。
それは、私の実家へと行く時に読んでいたものとは違うけど、
スーツの内ポケットにそれを入れているのは、斗希の習慣なのだろう。
「斗希、お前ビビらせんなよ」
川邊専務は、床にしゃがみこみ、
溜め息をついている。
寧々さんは泣いていて、
もう先程みたいに、斗希や川邊専務に復讐しようとか思っているようには、見えなかった。
「試すような事して、ごめん。
多分、寧々はそこまでしない気がした。
俺と篤の事を恨んでるのは、本当だろうけど。
なんで、こんな事したの?」
「…二人が怯えて、泣いて私に謝ってくれたらって…。
ただ…あなた達が…困る顔が…見たかった…」
泣きながら、寧々さんはやっとの感じで、そう言う。
斗希が自分を刺したのを見て、本当に怖かったのだろう。
斗希のスーツには、少しずつ血が染み出して来て、
本を突き抜け、ある程度は突き刺さったのだろう。
「なんでまた、復讐なんて?
あれから、もう何年も経っているのに」
そう訊く斗希の声は、優しくて。
それは、演技ではなくて。
斗希は寧々さんの事を騙していたのだろうけど、
嫌いではなかったのだろう、と思った。
それよりも、むしろ、好意を持っていたのではないだろうか。
「―――本当は、もうあなた達の事なんて、ずっと忘れていた。
あの後、色々ショックで、暫く外に出られなかったけど…。
こうやって顔を変えて、時間が経てば、何もなかったように生活出来た。
それで、お姉ちゃんの真似して、二十歳からキャバクラで働き出したの」
その寧々さんの話に、斗希は促すように相槌を打っている。
川邊専務は、ただ黙ってそれを聞いている。
「24歳の時、私結婚したの。
お店のお客さんと付き合い出して、そのまま。
彼は普通のサラリーマンだったのだけど、幸せだった。
25歳の時に子供も生まれて、けど」
そう言って、寧々さんはそれを思い出したように、涙を流している。
「二年前…。
彼の友達が、うちに遊びに来たのだけど…。
その日、彼が子供を自分の実家に預けていて、だから、お前も今日はゆっくりしろって言ってくれて。
彼とその友達と私の三人で、お酒を飲んでて…。
朝、気付いたら、私眠ったのか、寝室のベッドに裸で居て。
横を見たら、彼のその友人が、こちらを見て笑っていた」
寧々さんは、先程斗希との事を語った以上に、辛そうに見えた。
「驚いて、私が悲鳴を上げると。
その部屋に、彼が入って来て…。
彼が助けに来てくれたと思っていたけど…。
彼が非難したのは、私だった。
あまり覚えてないけど、私が浮気したとか…。
離婚だ、とか、子供は渡さない、とか」
「彼の友達は、私が誘って来たんだって言っていて。
彼はそれを信じて…。
私がどれだけ覚えてない、許して、と言っても許してくれなくて。
そこからは、離婚がすぐに決まって、その時、私は働いてなかったのもそうだけど、慰謝料請求しない代わりに、子供の親権も取られて」
「なんだ、その話。
なんでお前の旦那は、寧々の話を信じねぇんだ?
聞いてる感じ、その旦那の友達ってのが、すげぇ、怪しいじゃんかよ」
川邊専務と同じような事を、私も思ったけど。
この話は、もっと続きがあるじゃないか、という気がした。
「世の中には、善意を装った第三者が居て。
一人の女性がある日私の元にやって来て。
色々教えてくれた。
彼、浮気してたんだって。
その女性は、彼の浮気相手の女性と友達みたいで。
あれなんだって。
彼、私と離婚したくて、友達に協力して貰って私を騙したんだって。
私の不貞で離婚になるように。
お酒にも、睡眠薬を入れて…」
「なんだ、その話。
お前、その旦那呼び出せ!
ぶん殴ってやる!」
川邊専務と同じように、私もその旦那に対して怒りがこみ上げてくる。
斗希は、どう思っているのだろう?
「別に、もうあの人の事なんてどうでもいい。
けど、日奈(ひな)は…。
日奈に会いたい。
日奈を返して欲しい…」
寧々さんは、日奈という名を何度も呼び、涙を流している。
多分、それが寧々さんの子供の名前なのだろう。
「それで、斗希さんと篤さんの事を思い出した。
彼らもそうだけど、そうやって友達同士で協力して、私の事嵌めて、一緒で。
そんな時に、中学の時の同級生にバッタリ街中で会って。
瑛太(えいた)。二人知ってるでしょ?」
「ああ。
俺の嫁の、兄だ」
そういえば、前に川邊専務が言っていた。
“ーー俺と梢は…。
元々知り合いってか、昔、俺と梢の兄貴が仲が良かったんだーー”
「瑛太とは、私そんなに仲良かったわけじゃないのに。
それなのに、向こうは私だって、気付いて。
顔、違うのに」
私は寧々さんの整形前の顔を知らないけど、
先程のこの二人のリアクションを見る感じ。
けっこう変わっているのだろう。
「その時、瑛太から世間話程度に二人の事聞いた。
篤さんは実の父親が現れて、それが大企業の会長で。
瑛太の妹と結婚して子供が居て。
斗希さんは、相変わらずエリートで、弁護士になっているって。
なんだか、許せなくて…。
旦那もその友人もそうだけど、あなた達も。
そうやって結託して、私を…」
寧々さんは、そこからはもう話せない程、涙を流していた。
暫くした頃。
「斗希、お前なんとかしてやれねぇのか?
その子供の親権を取り戻すのに」
「んー。
寧々、今仕事とかは?何処に住んでる?」
斗希の言葉に、寧々さんは嗚咽を漏らしながらも、必死に話そうとしている。
「…今…実家に居る…。母と二人で…。
近所のスナックで…バイトしてる…」
「俺よりも篤、なんとかしてやれない?
お前のコネで、昼の仕事に正社員として。
親権取り返すには、それなりに環境が整ってないと」
「ああ…。ベリトイ以外の系列の会社なら、なんとかなるかも…。
あ、昔の俺の直属の部下が、今社長やってる女性向きの雑貨の企画販売の会社があって。
その社長は女性なんだが子持ちで、だから、働く母親に寛大だし。
そこが、一番いいな。
寧々の子供、まだちっせぇだろ?
この先、子供がお前の手元に戻って来たら、子供育てながら働く事になるし。
そんなにデカイ会社じゃねぇけど、ベリナンの傘下だし、安定してるし」
「とりあえず、そこで数ヶ月働いて実績作って。
親権変更の調停は、それからで。
後、その寧々を嵌めた旦那の友人って奴にも、本当の事を話して貰おうか。
旦那側が有利に離婚して親権を取る為に、協力したって」
「で、でも…。
その人、旦那と凄く仲良くて…。
幼馴染みとかで…。
だから、そんな簡単に本当の事を話してくれない」
幼馴染み…。
それも、その人達と斗希と川邊専務とが重なって見えた理由だろうな。
「寧々、高杉(たかすぎ)分かる?」
「あ、うん。同じクラスにはなった事ないけど、同級生だから。
彼の噂は…。
父親が暴力団の組長だとか」
斗希と寧々さんの会話で、その高杉さんも同じ中学で、家が暴力団なのだと知る。
「俺、高杉と今も仲良いから。
その旦那の友人だとかいう男の口を割らせるのは、高杉に頼むから。
あいつ、今、父親の組で若頭になってる」
「ありがとう…斗希さん…篤さん…。
私…二人に酷い事したのに」
「謝るな。
謝らないといけないのは、俺らの方だ。
寧々、悪かった」
川邊専務は、寧々さんに頭を下げていて。
けど、斗希は頭を下げる事はなく、
何を考えているのか分からない表情で、
そんな二人を見ていた。
「所で、お前。
成瀬さんには何もしてねぇか?
俺らにしたように」
川邊専務は思い出したように、そう尋ねていて。
私も、寧々さんの過去の話に、もう一人関わっていた事を思い出した。
「え、なんで?
だって、成瀬社長は悪くないじゃない」
「あ、そうか」
川邊専務は、安心したように笑っている。
「ただ、成瀬社長も今回の事は知ってる。
元々、一年半くらい前かな?
私、成瀬社長に電話したんだ」
その寧々さんの言葉に、川邊専務は、え、と驚いていて。
「ただ、愚痴るつもりだった。
その時、私酔ってて。
成瀬社長番号変わってなくて、繋がって。
その時、成瀬社長に言ったんだ。
篤さんや斗希さんに復讐してやるって。
じゃあ成瀬社長、もし必要なら、いい探偵を紹介してやるって。
昔成瀬企画で働いていた社員の人が、興信所開いているからって」
「あのよ。お前のその話が本当なら、成瀬さんも、今回の事に絡んでんのか?」
川邊専務のその顔は、それを恐る恐る訊いていて。
「うん。
お前の気の済むようにしろって。
ただ、殺すなって。
篤さんに成瀬社長から伝言があって。
これで、チャラだって」
寧々さんの言葉に、川邊専務の眉間が寄っている。
「そーいやあ、3日くらい前、成瀬さんから電話あって。
そん時、今日の予定をしつこく訊かれたけど、そういう事かよ」
川邊専務はポケットからスマホを取り出すと、誰かに電話を掛け始めた。
多分、その成瀬社長なのだろう。
「あ、成瀬さん!
今、寧々と一緒なんですけど…。
ああ、そうです。
マジ、有り得ないんすけど…。
成瀬さんって、けっこうそうやってネチネチ根に持つ所ありますよね?
え、そりゃあ、あの時の俺も悪かったですけど…。
ああ、まぁ、あの時、成瀬さんが飛び降りたって聞いて、
俺、本当にどうしようかと思いましたけど。
いや、確かに俺が悪かったですって…。
ほら、空気悪くしたくないから、この話題は避けてましたけど…。
ほんと、すみません」
その後暫く、川邊専務はその成瀬社長に謝っていた。
そして、
「また、LINEします。
みんなで飯でも行きましょう」
そう言って、電話を切っていた。
「斗希さんにはちょっとやり過ぎたかもしれないけど、
スッキリとした」
寧々さんは、そうポツリと溢した。
多分、寧々さんが言っているのは、
川邊専務のお姉さんの旦那さんに、あの写真を送りつけた事だろう。
川邊専務にはそれを暴露するつもりがないからか、
ここでハッキリと言わないのだろう。
そして、私も、あの写真を円さんの旦那さんに送ったのが寧々さんだって事は、斗希には言わないでおこう。
「とりあえず、俺寧々送って行くわ。
そのついでに、さっき話してた会社の説明やらしとくから。
斗希、お前には色々と言いたい事はあるけど、とりあえずは保留だ」
「―――うん。
また、その事はゆっくりと話そう」
斗希がそう言うと、川邊専務と寧々さんは、
リビングから出て行った。
そして、この部屋に、私と斗希の二人になった。
二人が居なくなると、リビングは静かで。
少し、それは居心地が悪いくらい。
「寧々さん、昔とそんなに顔が違うの?」
沈黙が嫌で、私から口を開いた。
「…え、あ、うん。
いや、最初は別人かと思ったけど、よく見たらそんなに変わってなかった」
急に私に話し掛けられ、斗希は考え事でもしていたのか、
驚いたように私に目を向けてくる。
「そうなんだ。
あ、でも、川邊専務の奥さんのお兄さん?
さっき話に出て来た人。
斗希達の後輩の」
「瑛太?」
「うん。その人は、寧々さんに気付いたんだね」
「瑛太、昔寧々の事好きだったんじゃない?
ハッキリと聞いたわけじゃないけど、
昔、篤が寧々の姉と付き合ってる時、俺らのたまり場になっていた瑛太の家に、その子の事連れてった事があるんだけど。
その子の顔見て、瑛太凄く照れていた事があって。
寧々と、そっくりだから」
先程の寧々さんの話でもそうだけど、
本当に姉妹そっくりなんだな。
そして、この人は、後輩の昔好きだった女の子を、そうやってAVに…。
「昔の寧々、けっこう可愛かったから。
顔は、普通なんだけど。
恥ずかしそうに笑う顔や、ちょっと頼りない所とか。
守ってあげたくなるような子で」
「斗希も、寧々さんの事好きだった?」
その私の言葉に、斗希は口を閉ざした。
その沈黙が、それを肯定しているように感じた。
「初めは、なんとも思ってなかったけど。
でなきゃ、AVに出ろなんて言わないし。
きっと、好きにはなってないと思うけど」
なんで、この人はそうなのだろう、と思ってしまう。
大切な人を、傷付けて。
それで、自分も傷付いて。
今も、寧々さんを傷付けた事で、傷付いている。
「それより、斗希。
傷大丈夫?」
そう言って向けた私の視線に気付き、
斗希はスーツの背広を脱ぎ捨てた。
胸元辺りから中心に、ワイシャツが真っ赤に染まってる。
斗希はそのワイシャツと、中に着ていたシャツも脱いだ。
血は止まっているのか、
心臓の辺りに深そうな傷痕がある。
「あ、バンドエイドあったっけな?」
斗希はそう言って、立ち上がる。
「え、バンドエイドって、病院行かなくて大丈夫なの?」
傷も深そうだけど、けっこう血が出ていたから。
「うん。別に傷痕くらい残ってもいいし」
そう言って、自分の部屋へと行こうとする斗希を追いかけるように立ち上がり、
その背を、抱き締める。
私の頬に直接触れる斗希の背中の肌は、温かくて。
「結衣、好きだよ」
その言葉に、えっ、と触れていた頬を離してしまう。
「今日、寧々から結衣を殺すって電話があって。
その時、分かった。
俺にとって結衣が、形だけの妻じゃないって。
すぐに篤と連絡取り合って、俺必死で此処に戻って来てた」
再び、私は斗希の肌に頬を付ける。
斗希の声が、振動となって伝わって来る。
「でも、俺…。
人を上手く愛せないから。
きっといつか、結衣の事を傷付けてしまう。
なんでか、自分でも分からない」
「怖いんじゃない?
好きな人を大切にして、もし裏切られたらって。
傷付けていたら、もし、その大切な人が自分から離れて行っても、
それでなんだって割りきれるから。
先に裏切っていたら、裏切られても、仕方ないんだって」
私のその考えが当たっているのかどうかは分からないけど、
斗希はそれを否定しなかった。
暫く、私も斗希もそのまま動けなかった。