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イリア様は、基本的に――レイラ様の周囲に近づく人間を、ことごとく威嚇する。
それは敵意というより、
排除すべき存在を即座に切り分ける、獣のような警戒心だ。
正直なところ、
その矛先が自分に向いていることも、少なくなかった。
だから、俺はずっと思っていた。
――危うい方だ、と。
力があり、判断が早く、
そして感情の振れ幅が大きい。
制御を誤れば、
最も危険な存在になり得る人物。
……少なくとも、今日までは。
子犬を抱くイリア様の横顔を見て、
俺は、初めて認識を改めた。
乱暴でも、冷酷でもない。
ただ、極端なだけなのだ。
守ると決めたものに、全てを注ぐ。
それ以外を、切り捨てる。
だから、あれほど鋭い。
腕の中の子犬に向けられた視線は、
驚くほど柔らかく、静かだった。
……意外だ。
そう思った瞬間、
首筋の痣が、また微かに熱を帯びる。
意味の分からない現象だ。
関連づけるべきではない。
それでも、
先ほどまで“警戒対象”としてしか見ていなかった相手が、
いつの間にか、“観察対象”に変わっていることに気づく。
……気になる、というほどではない。
ただ。
この人は、
レイラ様のそばに置く存在として――
思っていたよりも、ずっと信用できるのかもしれない。
そんな、
取るに足らない評価の修正。
それだけのはずだった。
――この時点では、まだ。
どうせアランは、私のことなんて、
「レイラ様の妹」「危険だが使える駒」
それくらいにしか思っていないのだろう。
さっきの視線だって、
たまたま目に入っただけに違いない。
「……変な男」
小さく呟いて、私は視線を逸らした。
子犬の温もりに意識を戻す。
「あなたはいい子ね」
「私みたいに、嫌な目で見られたりしないもの」
子犬が「ワフ」と小さく鳴く。
……やっぱり、犬の方がよほど素直だ。
背後で、足音がした。
「イリア様」
「なに?」
振り返らず、ぶっきらぼうに返す。
「……特に用はありません」
「は?」
思わず振り返る。
「じゃあ、話しかけないでちょうだい」
「承知しました」
あっさりと引き下がる、その態度。
ほら、やっぱり。
少しも気にしていない。
私に興味なんて、欠片もない。
それなのに――。
「……?」
痣が気になった。
感覚があった訳では無い。
……なんでもない。
きっと、屍人のせいで体が疲れているだけ。
私はそう結論づけて、
前を歩くお姉様の背中を追った。
その背後で。
アランが、
無意識に同じ場所へ手を伸ばしていたことを――
イリアは、まだ知らない。
「ほら、ちゃんと歩きなさい」
腕の中の子犬をあやしながら、私は前を行くお姉様を追っていた。
……のだけれど。
「――あ」
子犬が、するりと私の腕から抜け出した。
「ちょ、待ちなさ――」
止める間もなく、
子犬はよたよたと地面を蹴り――
よりにもよって。
「……ワン!」
「なっ――」
アランの足元へ、一直線。
「ちょっと! そっちは――」
言い切る前に、子犬はアランのブーツに前足をかけ、
そのまま、ぴたりと身体を寄せた。
……懐いた。
一瞬、場の空気が止まる。
「…………」
「…………」
私とアラン、同時に子犬を見る。
「……なに、これ」
思わず、低い声が出た。
「……私に聞かれても」
困ったように言いながらも、
アランは足を動かさない。追い払おうともしない。
むしろ。
「……大丈夫ですよ」
しゃがみ込み、
子犬の頭を、そっと撫でた。
「怖かったのですね」
――は?
その声音。
あまりにも、
優しくて。
「……っ」
一瞬、言葉に詰まる。
ちがう。
これはただの執事対応。
子供や動物に対する、よくあるやつ。
……よく、ある。
「……変な犬」
私はそう言い捨てて、子犬を抱き上げようとした。
けれど。
「……あれ?」
その瞬間。
子犬が、アランから離れようとしない。
「ワフ……」
「……ちょっと」
抱き上げようとした私の手をすり抜け、
またアランの方へ。
「……どういう事?」
苛立ちを隠さず睨むと、
アランはわずかに目を伏せた。
「……嫌われてはいないようですが」
「それが気に入らないのよ!」
……なんで。
なんで、この犬まで。
そう思った瞬間。
――じわ。
首筋の痣が、熱を帯びた。
「……っ」
同時に、アランが僅かに眉をひそめる。
「……今」
「……え?」
「……いえ、何でも」
何でも、じゃない。
子犬が、二人の間を行き来するように、
ちょろちょろと動く。
そして。
――ぴたり。
私とアラン、ちょうど中間地点で、座り込んだ。
「……ワン」
……。
………。
「……この犬」
「ええ」
「なにか、ありますね」
「……同意するの、やめて」
腹立たしいのに、
否定できないのが、もっと腹立たしい。
遠くで。
「ふふ……」
お姉様が、
すべてを見ていたような、意味深な微笑みを浮かべていた。
――この子犬が、
ただの“拾い物”ではないと気づくのは、
もう少し、先の話。