奴良組の屋敷に足を踏み入れた瞬間、レンの背筋は固くなった。――ここは、私の居場所じゃない。
「おぉ、来たか。」
廊下の先から現れたのは、まだ幼さを残しながらも堂々とした少年。
奴良リクオ。三代目総大将。
「初めまして。俺はリクオ。……君がレンだね?」
差し出された手に、レンは一瞥をくれるだけで応じない。
そして、冷ややかに口を開いた。
「……三代目。」
牛頭丸がニヤリと笑い、馬頭丸も嬉しそうに腕を組む。
「さすが姫さん!はっきり言ってやった!」
「そうっすよ、三代目なんて軽く呼べるもんじゃねぇ。」
リクオは一瞬きょとんとしたが、すぐに苦笑した。
「そっか……まあ、無理に仲良くしろなんて言わないけどさ。」
その軽やかな調子が、逆にレンの胸をざわつかせる。
――どうして、そんなふうに気軽に言えるの?
リクオの言葉に、レンは薄く笑った。けれどその笑みは冷たかった。
「……軽いのね、三代目。」
「え?」
「“家族”とか“仲間”とか、簡単に口にする。知らなかった者にとって、それほど残酷な言葉はないのに。」
静かに告げられた声は、怒鳴り声よりもずっと鋭かった。
牛頭丸と馬頭丸が目を丸くする。褒めようとしていた口が閉じられ、代わりに重い沈黙が落ちた。
リクオは言葉を失い、ただレンを見つめた。
その瞳に、確かな痛みが滲んでいた。
「……ごめん。俺、軽い気持ちで言ったんじゃない。」
「なら余計に、聞きたくなかったわ。」
小さく吐き出したレンの声は、ほとんど囁きに近い。
牛鬼がそっと目を伏せ、牛頭丸と馬頭丸は居心地悪そうに顔を見合わせた。
それでもリクオは視線を逸らさず、静かに言葉を重ねる。
「でも、俺は信じてる。……いずれ、君も俺たちの中で笑える日が来るって。」
「――っ」
レンの喉が詰まる。怒りとも、悲しみともつかない感情が胸を締め付けた。
「でも、俺は信じてる。……いずれ、君も俺たちの中で笑える日が来るって。」
「――っ」
レンの胸が強く締め付けられた。
そんなことを言われると、余計に――。
「やめて。」
「え?」
「そんなふうに優しい言葉を向けられると……私は、余計に居場所を失うの。」
リクオが息を呑む。
レンの声は静かで、けれど泣きそうに震えていた。
牛鬼が重々しく口を開いた。
「……レン様。」
その瞬間、屋敷の外からざわめきが起こる。妖気が押し寄せ、障子が震えた。
「……敵か。」
リクオが即座に立ち上がり、鋭い目を細める。
レンもまた、すぐに刀へと手を伸ばした。
外の気配は一瞬で広がり、圧のある妖気が屋敷を覆った。
障子を破って飛び込んできたのは、長身の男――その顔立ちは、レンが知るはずのない父、リハンに酷似していた。
「な……!」
リクオが驚きに目を見開く。牛鬼でさえ一瞬たじろぐ。
「チッ……邪魔しに来たか。奴良の血を嗅ぎつけてな。」
男は荒々しい声で吐き捨て、刀を抜いた。その眼光は鋭く、狂気を孕んでいる。
「――下がって!」
レンが前へ飛び出した。
「姫さん!?」「レン様!?」牛頭丸と馬頭丸の制止も聞かず、彼女は刀を構える。
「こいつは……私がやる!」
次の瞬間、火花が散った。
父に似た顔をした姿へと変わっていく。
「……っ!」
圧倒されるかと思われたが、レンの動きは鋭く、そして迷いがなかった。
孤独を抱えて育った年月、その全てが彼女を鍛えていた。
「簡単に“家族”なんて言うな……私に家族はいない!」
叫びと共に、刃が閃く。
妖怪の胸を貫き、血飛沫が宙を舞った。
崩れ落ちるその顔は、どこまでもリハンに似ていた。
だがレンは振り返らず、ただ刀を振り払い立っていた。
「……っ」
誰も言葉をかけられなかった。リクオも、牛鬼も。
その背中はあまりに孤独で、あまりに強かった。
崩れ落ちた妖怪は、血を吐きながら掠れた声を残した。
「……俺は……まだ、戦える……」
その言葉も虚しく、体は塵となり消えていく。
レンは刀を振り払い、鞘へと納めた。
その背中に、まだ息を呑んでいるリクオが声をかけようと一歩踏み出す。
「レン――」
「俺は……お前が大っ嫌いだ。」
振り返りもせず、吐き捨てるように言った声は、戦いよりも重く鋭かった。
屋敷を満たしたのは沈黙。リクオも、牛鬼も、何も言えなかった。
ただ、レンの孤独な背中だけがそこにあった。
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