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第8話「次の街」
朝、目を覚ますと、ホテルの小さな窓から日は差し込み、薄く光るカーテンを照らしていた。
ひなたは目を閉じたまま、しばらく動かなかった。
つかさがそっと寝息を立てている隣で、心臓がまだ速く動いているのを感じていた。
今日も、どこかで目を覚まし、また一歩、逃げなければならない。
「…ねぇ、つかさ」
ひなたは小さな声で呼びかけた。
つかさは、寝返りを打ち、そのまま無意識で手を伸ばしてきた。
「もう、起きなよ」
やっと、つかさが目を開ける。
その目には、少しの疲れと、でも何かを決めたような強さが見えた。
「どこに行く?」
ひなたの問いに、つかさは少し考えてから、静かに言った。
「次の街。もうここには長くいられない」
その言葉を聞いて、ひなたは少しだけ息を呑んだ。
あまりにもあっけない決断のようで、でも確実に“逃げる”という選択肢しかない現実が、彼女の中で広がっていく。
「次の街、って?」
「地図で見てると、ここから二日で到達できる。…そこにはまだ、追ってくる人が少ないはずだから」
つかさは、すぐに荷物をまとめ始めた。
その動きは、ひなたにとって慣れたものになりつつあった。
つかさは、どこへでも行けるように動き、ひなたに指示を出す。
もう、何も考えずに流されている自分が、少し怖い。
「それじゃ、行こうか」
「うん」
その言葉に答えて、ひなたはリュックを肩にかけ、扉を開けた。
ホテルを出ると、外は少しだけ陽が高くなっていた。
空気は冷たく、手のひらに風が刺さる。
足元に落ちる影を見ながら、ひなたは少しの間、何も言わず歩き続けた。
「私たち、いつまで逃げるんだろう?」
ふと、ひなたがそんなことを口にした。
つかさは、少しだけ歩みを止め、振り返った。
「いつまでって、答えなんてない。ただ、まだ終わらせられない」
その答えに、ひなたはもう言葉を失った。
すべてが怖くて、すべてが手に負えない。
でも、つかさと一緒なら、どこかで踏みとどまれる気がする。
駅に着いた。
次の街へ向かうバスのチケットを手に、ふたりは無言で並んだ。
乗り込む瞬間、ひなたの背後で、何かが引き裂かれるような感覚を覚えた。
——逃げることが本当に正しいのか、もうわからない。
その疑問を胸に抱えながら、バスが発車する。
外の景色が過ぎていく。
何もかもが見えなくなるまで、また一歩、進まなければ。
その時、ひなたのポケットに入れていたスマホが震えた。
一瞬、心臓が止まった。
震える手でスマホを取り出すと、画面には見覚えのある番号が表示されていた。
——警察?
ひなたは息を呑み、画面を見つめた。
つかさは、ひなたの様子に気づいたのか、少しだけ顔を見合わせた。
「誰?」
「…わからない」
けれど、ひなたの胸はどんどんと締め付けられていく。
電話を取るべきか、取らないべきか。
どんな声が返ってくるのか、それすらもわからない。
——もしも、親かもしれない。
ひなたは迷った。震える指が画面をスライドさせて、通話を拒否した。
その瞬間、何かがふっと、背後から迫ってくるような気配がした。
つかさは無言で、ひなたの手を握り、言った。
「大丈夫、私がいるから」
その言葉に、ひなたは頷いた。
でも、心の中でまた、ふたりの未来が揺れる気がしてならなかった。