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奈々子の母は、糸がぷつんと切れたかのように話し始めた。奈々子がよく言っていたように、彼女の母親は一度口を開けると止まらない。ああ、確かに、こういう話し方だ。実際に彼女の口から聞くのは、思った通りだった。
「……あの子が孝雄さんを連れてきた時、びっくりしたのよ。近所の大崎さんちの息子さんで。大崎さん夫妻は近所ではクレーマー夫婦って呼ばれてて、結構有名だったのよ」
大崎孝雄、奈々子の夫。二人とも同じ近所で育ったものの、年齢差があったためお互いに顔を知らなかったらしい。それが婚活パーティーで出会って付き合い始めたなんて、どういう運命なんだろう。
でも、クレーマー夫婦というのも、言われてみれば納得できるような気もする。うなずきながら、わたしはそれ以上口を挟まずに耳を傾けた。
「奈々子には、ずっと孝雄さんも、あの義親たちのことを聞いてました。でもね、嫁に入ったら耐えろって、主人が言ってたの。仕事をしなくても、孝雄さんがしっかり稼いでいるから、奈々子は支えなさいって。うちの主人は昔気質だから……わたしは何も言えませんでしたけど、愚痴はよく聞きました」
その言葉に、わたしもふと思い出す。奈々子が言っていた、義親から受けた重圧や、苦しさ。彼女の口から出るのは、愚痴ではなく、ひたすら事実を述べる形だった。わたしもその言葉を何度も耳にして、「それっておかしいよ」と言った記憶がある。それに対して奈々子は、「そうだよね」って頷きながら、最後に必ず「ありがとう」と言った。
あのとき、わたしは彼女にもっと聞いてあげるべきだったのだろうか。もっと寄り添ってあげるべきだったのだろうか。でも、奈々子の母親の話を聞いて、ますますその思いが強くなった。
奈々子の母は顔をしかめながら、ゆっくりと続けた。
「あのクレーマー夫婦の息子だから、わたしが『やめなさい』と言えばよかった。けれど、遅かった。娘は孝雄さんにぞっこんだったから、30歳近い娘が孫を抱くことを夢見て、こんなチャンスを逃すわけにはいかなかった。でも、反対していればこんなことにはならなかった!」
その言葉に、わたしの胸がぎゅっと締めつけられるのを感じた。結婚式の準備に追われ、やることの多さに疲れて愚痴を言っていた奈々子を思い出す。結婚式の準備を孝雄が手伝わず、全て一人でやらなければならなかったこと。結婚式当日、何も言わずに愚痴をこぼしていた彼女の姿が思い出された。
その時、美樹が少し笑いながら言ったのを覚えている。
「結婚式の前に愚痴なんて、やめてよ!わたしたちだって参加するんだから」
と。すると、奈々子はそれ以来、結婚式のことで愚痴をこぼすことはなくなり、相談もしてこなかった。
結局、結婚式は無事に終わった。派手ではなく、それでも幸せそうに見えた。地元の教会で、家族や親しい友人だけを招いての披露宴。その当時、結婚式というと、結婚式専門の会場での挙式が多かった中で、あんな風にシンプルに結婚式を行ったのは、ある意味新鮮だった。
けれど、式場のサービスは不慣れで、料理も質素で、細かいミスが目立った。わたしはそんな細かいところに気づいてしまうタイプだから、正直、少し気になった。
「外面ばかり良くて、見栄っ張りのくせに、ケチなんだから……」奈々子の母は突然、怒りを込めて言った。その言葉に、わたしは少し驚いた。確かに、葬儀の花が思ったよりも少なく、家族葬のために式を抑えめにしていたことは理解していたが、それにしても……。
「結婚式も、あまりにも抑えすぎたのよ。孝雄さんは何もかも親に丸投げして、あっちの親たちは見栄を張ることだけに必死だった。うちの親戚全員、みんな見抜いてたのよ……」
その言葉と共に、彼女は涙を流し始めた。わたしはただ黙ってその涙を見守った。
「おばさん、話せるだけでいいから、話してください。わたしに、何でも……」
その後の1時間、奈々子の母親は次々と話し続け、わたしはただ黙ってその話を聞いた。信じられないようなことばかりで、わたしは何も言えなかった。
⸻
その後、わたしは奈々子の母親と別れた後、しばらくの間ショックで涙が止まらなかった。気丈に歩いていたつもりだったけれど、図書館のトイレに駆け込んだ瞬間、涙が溢れて止まらなかった。
ティッシュもどんどん足りなくなり、結局、トイレットペーパーを使うことに。
「ああ、奈々子。なんてことを受けていたの……。悲劇のヒロインなんて言わないけど、こんなにひどいことを……。もっと、早く聞いてあげればよかったのに」
もし、このまま告別式に行くことになっていたら、わたしは奈々子の夫、孝雄さん、そしてその両親を罵倒してしまっただろう。そうならなくて良かった、そう心から思った。
涙がようやく落ち着いた頃、鏡を見ると化粧はひどく崩れていた。マスクを使って何とかごまかしながら、急いで実家へと車を走らせた。
「何その顔?」母がすぐに気づいた。
「それよりも、早く市役所に行かないと……」
せっかちな母の言葉に、わたしはすぐに車に乗り込んだ。車の中でようやく、ずっと溜め込んでいた感情を母に吐き出すと、母は少し考えてから言った。
「でも、昔の人はみんな我慢してたのよ。うちもそうだったし、お父さんだって……。おばあちゃんだって、何も言わなかったけど、ずっと我慢してたわよ」
確かに、父は厳しかった。しかし、わたしにとってのおばあちゃんは、いつも優しく、わたしを可愛がってくれた存在だった。
「おばあちゃんは何も言わないけど、お金もないし、何もしないで、ただ黙って耐えていたんだから」
母はため息をつきながら言った。
それを聞いたとき、少し違和感を覚えた。奈々子のことを考えると、あのように口出しされることの方がよほど辛かっただろうと思う。しかし、わたしの中で、あの「いいおばあちゃん」のイメージが崩れてしまいそうになるのが、少し怖かった。
やはり、嫁姑問題はどこでもつきまとうものなのだろうか。それとも、わたしの考えすぎだったのだろうか。
やがて市役所に着いたとき、わたしの心は少し落ち着いていた。だが、奈々子のことを考えると、心はまだ整理しきれていなかった。