「「ご馳走様でした」」
二人が手を合わせて云う。
「中也、早目に森さんの所に行くよ」
「ン…?嗚呼、判った」使った食器を洗剤が付いたスポンジで洗いながら、中也は答えた。
太宰はニコッと微笑み、リビングを出た。
***
「オイ太宰、首領のとこ行くンだr──」
中也は部屋を覗きながらそう云った。然し途中で言葉が切れた。
「何やってんだ手前……」青ざめた顔で中也が云う。
床には中也の私物である帽子が彼方此方に放り投げられていた。
その帽子が囲む立鏡の前には、自分の頭に違う帽子をかぶせながら、似合っているか如何か確かめている太宰が居た。
「いやホントに中也趣味悪いね〜良いのが全然ない…」
横髪と後ろ髪をかき上げ、つばがついた藍色の帽子を太宰はかぶる。
「じゃあ今すぐ其の帽子とれや」
「此れが一番マシなのだよ」
「……………チッ」舌打ちをし横髪をかきあげた中也は、太宰に視線を合わせる。
「…ンで?変装する理由は?」
朝日が差し込み逆光になる。太宰自身が影になった。
然し太宰が薄っすらと笑みを浮かべた事に、中也は気付いて顔をしかめた。
「敵の目的は私達双黒だ」
「それは昨日聞いた。具体的に云え」
「具体的に云えば、双黒の“弱体化”」
人差し指を立てながら太宰は云った。
「弱体化ァ…?」
「そう。以前、Q奪還作戦の際に再び共闘する羽目になっただろう?」
「嗚呼、あれは最悪だったな」苦虫を噛み潰したような顔で云った中也に、太宰も「それだけは同感」と溜め息をついて云った。
「一夜と云えど双黒が返り咲いた。其の事に他の組織は恐怖で満たされたんだ」
太宰は視線を中也に移す。
「だから集った。我々双黒を弱体化させる為に」
「それで幼児化の薬、か……」中也が太宰の姿を上下見ながたら云った。
「けど幼児化なら俺でもいいだろ?」
「だろうね、本来なら私でも君でも良かった」
「俺は幹部で、そう簡単に幼児化出来るだなンて思われてはねェと思うが、手前の過去知らずに相手もちょっかいかけた訳じゃあ……」
「判らないよ?君の躰が既に幼児サイズだと思われたんじゃない?w」莫迦にしながら太宰は云う。
中也は太宰の胸倉を勢い良く掴んだ。
「よぉーし、お望みは重力潰しか。任せろ相棒、得意分野だぜ」
中也と太宰の躰に赤黒いラインが浮かび上がる。
「STOP!中也ストーップ!!」太宰の叫び声が響いた。
刹那、ビタッと中也が動きを止める。太宰の声に止めた訳ではなかった。
中也は、まるで何かに気付いたかのように目を丸くしていた。
「そう云う事かよ……」中也は眉間にシワを寄せ、冷や汗を流した。
其れは正に“焦り”を表していた。然し中也の口元には、無意識に笑みが浮かんでいた。
「単なる幼児化の薬を開発したと思ったら、何ともまぁ吃驚仰天……」
台本読みのような口調で云った後、太宰は静かに重々しく、深く沈むような声で云った。
「一時的に異能を消す薬ができちゃったぁ……」
「………なら尚更疑問だな、何故その薬を俺に服用させなかった?」
「其の疑問は私も最初に行き着いた」
太宰は薄い笑みを浮かべた。
「恐らく彼等は“異能に変化を与える”薬を開発したと思ったんだ」太宰が続ける。「それが如何影響するか判らなかった。だから“もしもの事”がないように、私に服用させた。太宰治という名の、君のもう一つの安全装置にね」
中也は顔をしかめた後、太宰の胸倉を放した。
「俺が手前を護衛する理由って云うのが……」
「そう。彼等が開発した薬が“異能を消す”薬だと悟らせない為だ」
「其れで彼奴等が俺を狙った訳か……」
「君から私の居場所を問いただす為だろうね」シワよれた襯衣の襟を整えながら、太宰は言葉を発する。
舌打ちの音が、太宰の耳に響いた。
「まぁそういう訳だから、ちゃんと私を守ってくれ給えよ?」
「この事件全部終わったら手前の顔面殴ってやる」
「あははーやってご覧よ?“できる訳無い”と思うけどw」
「そンじゃあ行くぞクソガキ」太宰の言葉を無視して、中也は扉の方へと向かう。
「一寸待った」そう云って、太宰は小さな手で中也の服を掴んだ。
特に力を入れずとも、中也であれば簡単に太宰の手を振り払う事ができた。
然し中也はそれをしなかった。
太宰のかげに重なる“追憶”が、中也を強く引っ張ったからだ。
「何だよ」
「中也、クソガキ呼びはやめ給え」
「…………………………太宰」
「それも駄目だ。私だと直ぐに判る」
中也が溜め息混じりの声を発しながら、頭をかいてしゃがみ込み、太宰と視線を合わせた。
「じゃあ如何すンだよ?」その声のトーンは、中也の面倒くさいと云う心の思いを表していた。
「そうだねぇ……私は偽名なんてあまり所有してないし、かと云って有り触れた名前なんて……」口先に親指を添えながら、太宰はブツブツと小言を云う。
中也も同じように考えていた。
――真剣に頭を悩ませている際、出てきた案を後先考えずに突発的に云ってしまう。
――これも一つ、人間がよくやってしまう事であり、心理学に入るものでもあると思う。
其れを、中也はやってしまった。
「“治”」
平仮名三文字、漢字一文字。
朝日が差し込む静かな部屋に、中也の声が響く。その言葉を中也が発した瞬間、沈黙が生じた。
お互いに目を見開いた儘、視線を合わせている。
そして次の瞬間────。
「「ゔっ…!」」
※二人の犬猿の仲に今暫くお付き合いください。
両者とも一気に顔が青ざめ、口元に手を寄せた。
一方は震える手で近くにあったゴミ箱を手に取り、もう一方は口を手で抑えながら全力疾走で厠へと駆け込んだ。
二人が感じたのは正に『吐き気』である。
数分後。
「うっわ…最悪、うわっ…最悪」
ゴミ箱と面を合わせながら、禍々しい雰囲気でブツブツと嫌味を云う。
太宰だった。
扉の甲高い鳴き声が響く。太宰が視線を向けると、顔を青ざめ口元に手を寄せた中也が居た。
「吐き気しかしねェンだが、如何してくれンだ……」
「其れは此方のセリフだよ、君の所為で耳が腐った……」
はたまた数分後。
「吐き気と耳が腐る事になるが致し方無い、この二 三日は私を治と呼ぶ事を────うぇっ……矢っ張吐きそう………」
再び太宰はゴミ箱を手に取る。中也に至っては普通に専用の袋を用意していた。
互いに必死であった。
恐らくどんな困難よりも、二人にとっては今眼の前にあるこの壁を破るのに、精神をすり減らすだろう。
「いい中也?この二三日だけだから……ゔっ…」
「そりゃあ此方の台詞だ。手前を名前呼びなんて────おえ……マジで吐き気しかしねェ………」
※旧双黒の吐き気終了まで暫くお待ち下さい。
***
「クソッ……手前の所為で出るの遅くなっちまったじゃねェか」中也がマンションの昇降機の釦を押す。
その隣には太宰が立っていた。
昇降機が一階に着き、扉が開く。太宰と中也は昇降機から降り、マンションを出た。
「ンじゃあ行くぞ。太ⅰ──ンン゙ッ、“治”…」
再び沈黙が走る。
「「ゔっ…!」」
両者は一気に顔を逸し口を手で塞いだ。
「あー…私の耳、ポートマフィアに着くまで持つかなぁ」
「そりゃあ此方の台詞だわ…」
息を吐く。
「そンじゃあ行くぞ」中也が太宰の腹部に手を回し、肩に担いだ。
「えっ、一寸……若しかして重力で行く積もりかい?」
「そうだが……車呼んだ方が良かったか?」
そう云った中也は懐から携帯電話を取り出す。
「車も重力も使わない。歩いていくよ」
「はァ?何でだよ?」
太宰は顔をしかめ、溜息を深くつくと、辺りを指差した。
「いくら何でも人が多すぎる」
「なら車で良いだろ…」
「それも駄目、刺された時の注射器を回収しなくちゃあならない」
「チッ…そーかよ」
中也が太宰を地面に優しく下ろす。其の事に太宰は少し目を丸くした。中也は静かに先を歩く。
太宰は嬉しそうに笑みを浮かべ、弾むような足取りで中也の隣に立った。
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