考えれば考えるほど沼にはまっていく。好きなものと言われて、パッと思い浮かばず、なにより大切にしているなら、それは好きなのではないだろうかと呟いた言葉に、イーリスが紅くなった頬を手で撫でた。
「んもー、照れること言うなあ。ボクってそんなに素質あり?」
「ハハッ。それは間違いないんだが、なぜだか腹が立つなぁ……」
出会った当初は凛とした雰囲気で謙遜の塊のような娘だったはずだが、いつのまにやら慣れてきて、本来のイーリス・ローゼンフェルトとはこういう娘なのか、と思うくらいに明るく純真だが、ときどきお調子者が顔をのぞかせていた。
それでも大切なのは事実だ。叱ったりはせず、彼女らしい在り方でいてくれたほうが良いだろうと、諦めの息をつく。
「さて、とりあえず部屋に行こう。私たちは四階だそうだ。君の背中に背負ってる、その重たそうな荷物は邪魔になるだろうからな」
ローブで隠してはいるが、みっちり詰まったリュックをイーリスは持ち歩いている。中身は当然、魔道具やら魔導書やら、すぐに必要なものではなく、時間があるときに研究の続きをするためのものだ。
ヒルデガルドの言いつけとして『一日も休む時間はない』というのを遵守しようとしているのだが、わざわざ仕事のときまで持ってこなくてもいいのに、と思えるくらい従順が過ぎるので、彼女も言い方を考えるべきだったかと頭を抱えた。
「なんでえ、もう行っちまうのか」
名残惜しそうなダンケンに、ヒルデガルドは「ああ、やりたいこともあるから」と断って、軽い挨拶を終えたらアベルたちも連れて四階にある部屋に向かう。
部屋を与えられた冒険者は限られており、ほとんどは客と乗組員が使う。ギルドにおける実績に伴い、最大で四人一組が泊まれる良い部屋になっているので、この際だからとパーティを汲みたいと申し出る者もいる。ヒルデガルドたちはと言えば、アベルたちも連れているので、誰とも組むことはなかったが。
「アベルたちは本当に人気者だね。ボクも故郷では犬を飼っていたのを思い出して、ちょっと懐かしくなっちゃうよ」
「乗せてもらえてよかったな。こっちも安心できた」
いくら彼らが人間に対して好意的になり、周囲の優しい人々に対して従順で悪さをしないと言っても、やはり家族だからと置いていくのは忍びない気持ちがあったので、一緒にいられると分かったときは心底ホッとさせられた。
「君たちも、勝手に色んなものに触らないと約束できるなら適当にうろついてもいいぞ。飛空艇に乗ったのも、客がせがんでくれたからで、今じゃあどこへ行っても、君たちのことはよく知ってもらっているし問題ない」
仕事自体はヒルデガルドとイーリスに与えられたもので、彼らはまったく関わる理由がない。それにアベルは人間の言語を話すことが出来るため、多少のトラブルも自分たちで解決できる知能もある。せっかくなら自由に歩き回らせてやりたいと、許可を得たコボルト二匹はいつもよりも大きく尻尾を振って喜んだ。
「私も時間まで適当に見て回るつもりだが、イーリスは?」
「ボクは荷物を整理しとくよ。少しでも前に進みたいからね」
「熱心だな。あまり無理はするなよ?」
「もちろんだよ。じゃあ、ヒルデガルドもゆっくり楽しんで」
「ああ、それではまたあとでな」
せっかくの旅行気分だったが、まとまった時間が取れるのは夜になってからだ。イーリスと遊ぶために、先に道を覚えようと艇内を歩き回ることにした。飛空艇はかなり巨大で、ひとつのフロアがどこまでも続いているかのような錯覚すら覚えるし、入り組んだ廊下はどこに何番の部屋があったかを記憶するだけでも普通の人間なら大変だろう。
しかし、ヒルデガルドは一度通っただけで、頭の中に正確な地図を創り上げていく。のんびり歩き、ときどき挨拶をされて僅かなよそ見をしようが、一瞬だけでも振り返れば十分なくらいの記憶力を持っていた。
「……広すぎる。歩くだけで疲れるぞ、これは」
三階のパーティ会場やカジノもやけに広く、廊下の壁に設置された小さな魔水晶が僅かな魔力で完璧な防音を実現しているので、宿泊客の部屋も異様な数だ。乗組員と合わせて、いったいどれだけの人間が収容できるのかとハッキリした数が気になりつつ、外の空気を吸いたくなって、五階から出られるデッキを目指した。
巡回で疲弊した冒険者たちを見掛けながら、やっと外へ出れば、心地良い程度に吹く風に髪を揺らす。なぜ大人数が雇われたのかが分かり、先に歩き回るんじゃなかったと肩を落として歩く。
「おや、ヒルデガルドさん。巡回はもう少しあとですよね?」
「クレイグ。君は、今まさに、ってところか」
「いやあ……それが、俺はデッキの警備でして、暇なんですよ」
警備の中でも、デッキは広いが見通しも良くて、無意味に歩き回る理由がない。それぞれが適度な距離感を保ちつつ、周囲に気を配っているだけでいいので、特に問題も起きないうちは彼らも暇なのだ。「羨ましい」と言われると、彼はうーん、と腰に手を当てながら「でも、何人かは駄目でしたね」とこぼす。
デッキの中央にある魔水晶の杭が結界を張っているので風はそれほど強くないが、とにかく気温が低いので、歩き回ったり酒を飲んだりして楽しむ人々にとっては大した問題ではないとしても、立っているだけの冒険者たちにとっては寒いのだ。
「大変そうだな。君はあまり寒くなさそうに見えるが」
甲冑に身を包む男の身体は、とても風を受けるようには感じない。彼もその通りだと言わんばかりに腕を小さく掲げる。
「俺は肉体と武具の強化魔法だけ使えるんです。だからあまり寒くはなくて、でも、デッキの警備を任された人たちは交代までの時間が長いので、できればどうにかしてあげたいんですけどね……。せっかくの大きい仕事ですし」
彼の気遣いに同意したヒルデガルドは、近くにある蒼白い輝きを放つ魔水晶を見つけて、「あれが結界を?」と指をさす。「ええ、あれです」と返されると、彼女はちょっとだけ待つように言って魔水晶の杭に触れる。
「クレイグ、君の気遣いに少しだけ面白いものをみせてあげよう」
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