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第184話:タダより高いものはない(フラグ)〜社長の勝負服と、帯広駅前の罠〜
「よし。完璧な勝負服だ……!」
北海道、帯広市。
築三十年のボロアパート、四畳半。
俺——株式会社インフィニティ・ワン代表取締役社長、秋谷雪(40歳)は、姿見の前に立ち、ニヤリと不敵な笑みを浮かべていた。
本日は、待ちに待った『ノールビバン社』主催の版画展示会の日である。
天才クリエイター・鰹節うめお先生から「審美眼を磨け」とアドバイスを受けた俺は、一流のプロデューサーとしての威厳を示すため、クローゼットの奥から【最強の装備】を引っ張り出していた。
20年以上前に買った、ヨレヨレの黒いテーラードジャケット。
その下には、ミニマリスト御用達の無地の白Tシャツ。
そして、いつ洗ったか定かではない色落ちしたデニムパンツ。
「ふっ……。スティーブ・ジョブズも真っ青の、洗練されたノームコア(究極の普通)スタイル。これぞ、本質を見極めるクリエイター社長のオーラってやつだな」
『……ルシフェル様。控えめに申し上げて、休日にパチンコ屋の開店待ちをしている無職のおじさんにしか見えませんが』
スマホのスピーカーから、我が社の冷徹秘書・結愛(ゆあ)の容赦ない毒舌が飛んできた。
「失礼な! これは『あえて着飾らない余裕』を演出してるんだよ! 法人口座に数千万のキャッシュがある男は、外見で威張る必要なんてないんだ!」
『社長個人の現在の財布の中身は、千八百円しかありませんが』
「うっ……」
俺は痛いところを突かれ、言葉に詰まった。
そう、俺の役員報酬は来期まで『月給10万円』で固定されている。
法人がどれだけ海外からドルを稼ごうが、俺の財布の中身は極貧ナマポ時代と変わらない。
だからこそ、今回の展示会は俺にとって【究極のオアシス】なのだ。
「いいか結愛! 今回の展示会は『入場無料』だ! 1円もかからないんだぞ!」
俺はスマホに向かって熱弁を振るう。
「しかも、WEBで事前予約した俺には、ファン〇ジ〇文庫で大人気のあの神絵師が描いた『特製クリアファイル』と『限定ポスター』が【無料】でもらえるんだ! タダでグッズが手に入って、アートの勉強もできる! これぞゼロ円で最大の利益を生み出す、最強の経営戦略だ!」
『……ルシフェル様。私が何度か申し上げた【リスクアラート】は、本当に確認されていないのですね?』
結愛の声が、いつも以上に深く、冷たいため息を伴っていた。
『資本主義において、相手が「無料」で豪華なプレゼントを用意し、立派な会場を借りてまで人を集める理由。……それを少しでも想像できれば、千八百円しか持っていない貧困社長が、ノコノコと近づいていい場所ではないと気づくはずですが』
「はっ! お前はいつも心配性すぎるんだよ結愛!」
俺は、玄関でスニーカーの踵をトントンと鳴らしながら鼻で笑った。
「アートを愛する心に、裏表なんてあるもんか! 企業が若きクリエイターやファンに還元する、崇高なパトロン精神だよ! お前みたいな冷血人間には、この芸術のロマンがわからんのだ!」
俺はスマホをポケットに突っ込み、意気揚々とボロアパートのドアを開けた。
「行ってくるぜ! 一流の審美眼(と無料のポスター)を手に入れて、俺は年収三億円の階段を登るんだ!」
初夏の帯広の風が、四十歳のおっさんの薄くなった頭頂部を優しく撫でていく。
足取りは軽く、心は完全に修学旅行前の小学生のような『おのぼりさん状態』だった。
帯広駅南口。
立派なガラス張りの外観が特徴的な、市民の憩いの場『とかちプラザ』。
その入り口には、俺のオタク心を直接鷲掴みにするような、色鮮やかで巨大なアニメ美少女の看板がいくつも立て掛けられていた。
『——ようこそ、夢と感動のアートの世界へ。ノールビバン特別版画展——』
「おおおおっ……! すげえ! ネットで見てた神絵師のイラストが、こんなにデカく高画質で……!」
俺は入り口の前で、看板を見上げてウズウズと身悶えした。
周囲を見ると、俺と同じような少し猫背の男性や、アニメ好きそうな若者たちが、吸い込まれるように会場の中へと入っていく。
そして、ガラス張りの向こう、受付のカウンターには——。
「(……おっ! めちゃくちゃ綺麗な女の人が受付に立ってるじゃないか!)」
黒いシックなスーツを身に纏った、モデルのようにスタイルの良い、笑顔の眩しいお姉さんたちが数名、来場者を優しく迎え入れていた。
「(なんだなんだ、アートの展示会ってのは、スタッフのレベルまで芸術的だな! これはますます楽しみになってきたぜ!)」
俺のテンションは、もはや成層圏を突破していた。
しかし。俺は忘れていたのだ。
『タダより高いものはない』という、この世の絶対的な真理を。
「よし! 入場無料だし、絶対に1円も使わないぞ! サクッと神絵を見て、無料のポスターをもらって、笑顔で帰る! 最強の立ち回りを見せてやるぜ!」
俺は、自分自身の後頭部に【特大の死亡フラグ】を力強く突き立てた。
そして、スーツ姿の美しき捕食者(エウリアン)たちが待ち構える、閉鎖空間の『狩り場』へと、自ら満面の笑みで足を踏み入れていくのであった。
コメント
1件
ゆうきあきやさん、第184話読了です! 「タダより高いものはない」というタイトルに、もう「社長、やめて…!」と心の中で叫びながら読みました😂 結愛さんの冷徹なツッコミが入るたびに「そうだそうだ!」と膝を打ちつつ、秋谷社長のノリノリが止まらない様子が最高すぎる。勝負服と無料ポスターに夢を託す姿がもう……フラグの立て方が職人芸ですね。入場する場面で終わったから、次が怖くて仕方ないです。続きが気になります!
まう
104
81
魚卵
75
ゆうき あきや
4,132