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それから俺は家に帰りつき、まっすぐ美紅の部屋へ行った。左の頬に絆創膏を貼った母ちゃんが布団に寝かされた美紅のそばに座り、ぬれタオルで額を拭いていた。美紅は額から何度拭いてやってもすぐに大量の汗を流していた。どうやら意識はまだ戻っていないようだ。俺は小声で母ちゃんに訊く。
「どうなんだ? 美紅の容態は?」
「体そのものは大丈夫よ。ただ霊力が極端に消耗しているわね。まあ、ティンジウガンに失敗したんだから当然と言えば当然だけど……」
「ティン……何だって?」
美紅がやや落ち着いたのを見て母ちゃんは俺をリビングに連れ出し、そこで話の続きをした。母ちゃんは新聞のチラシを一枚テーブルに置き、その裏にサインペンでこう書いた。
『天地御願』
「漢字で書けばこう。沖縄の言葉ではティンジウガン。ユタが使う霊能力の中でも最高クラスの技よ」
なるほど。最近では俺も段々沖縄の言葉に慣れてきていた。初めて耳にすると何が何やら分からないけど、意味が分かって漢字で見ると何となく標準日本語と発音が似ているんだよな。
「ああ、美紅があの時口にした言葉だな。どんな技なんだい?」
「成仏できなくてこの世をさまよっている悪霊をユタ自身の体の中に一度取り込んであの世に送る、という技よ。ユタが使う霊力の中でも一番高度で難しい物なの。成功した場合でも、とてつもない体力と精神力を消耗するのよ。まして今回は失敗したんだから、美紅の体にも霊力にも耐えきれない負担がかかってしまったのね」
「つまり成仏させようとしたけど、できなかった。そういう事?」
「そう。でも、どうして?……美紅ほどの力の持ち主でも成仏させられないほどの怨霊が存在するなんて信じられないわ」
母ちゃんはそう言って両手で頭を抱えた。そう言う母ちゃん自身もたった一晩でげっそりやつれたように見えた。俺が何と言葉をかけていいか悩んでいると、思いがけない方向から声がした。
「あれはヒーマブイじゃない……」
なんと、それは美紅だった。いつの間に気がついたのか、パジャマ姿のままリビングの入り口にドアにすがりつくようにして立っていた。いや、立っているだけでも辛そうだ。
俺と母ちゃんはあわてて美紅を大きい方のソファに運んで寝かせた。ハア、ハアと荒い息をしながら美紅が言葉を続ける。
「お母さん、あれはヒーマブイじゃなかった」
母ちゃんが仰天した様子で訊き返す。
「ヒーマブイじゃない?」
美紅は弱々しく頭を縦に振った。
「あれは人……ちゃんと肉体を持っていた……それにニーニの死んだ友だちでもない。あれは女の人……たぶんお母さんと同じぐらいの年の……大人の女の人……」
「な……なんて事なの! あたしはなんて馬鹿なことを……」
俺はたまらず話に横から割って入った。
「ちょ、ちょっと。俺にも分かるように話してくれよ。一体何を言ってるんだ?」
母ちゃんが答えた。
「ヒーマブイというのは死霊、つまり死んだ人間の魂のことよ。まあ幽霊ね。だから今回の連続殺人の犯人は自殺した深見純君の魂がヒーマブイになった……そういう事だと思ってたのよ。でも、あたしは最初の最初からとんでもない思い違いをしてしまっていたんだわ」
「あれは幽霊じゃなくて生きてる人間だった? それじゃ、あの何とかいう技が効かなかったのは?」
「そう。ティンジウガンはあくまでも死霊を成仏させるための技。生きた人間にかけても効き目がないのは当たり前だったのよ」
美紅が苦しそうな息の下で必死に言葉を続けた。
「もうひとつ……お母さん……あの女の人は前に戦った時より霊力が強くなっている。だから勝てなかった……」
「強くなっている?」
「そう……たぶん一人殺す度に力が強くなっている……悟さんという人の時に感じた霊力よりずっと……強くなっていた……」