ニコニコと微笑むひぃくんの隣で、ジャージの上着を羽織わされた私はトボトボと力なく歩く。
(さっきは本当に酷い目に遭った……)
またひぃくんのせいで、とんだ晒し者になってしまった私。ぶつけた後頭部は未だにズキズキと痛み、そっと触れてみると小さなコブになっている。
誤解も解けて幸せそうに微笑むひぃくんの横で、小さくため息を吐いた私はひぃくんをマジマジと見つめた。
(さっきはパニックすぎて気付かなかったけど……)
「ひぃくん。その格好……なんだか王子様みたいだね」
青いロングジャケットには綺麗な刺繍が施され、袖にはヒラヒラとした白い布が付いている。これが、中世ヨーロッパをイメージした衣装なのだろうか。
私を見て、フニャッと微笑むひぃくん。
「カッコイイね。ひぃくん似合ってる」
「本当? 良かったー」
私の褒め言葉に、とても嬉しそうな笑顔を見せるひぃくん。何だか急に恥ずかしくなった私は、顔を俯かせるとジャージの袖で口元を抑えた。
ひぃくんから借りたジャージは、やっぱりひぃくんの香りがする。
(まるで、ひぃくんに包まれてるみたい)
そんな事を考えながら、鼻から空気を吸い込む。
(…………。私、変態みたい)
大きすぎるジャージにスッポリと隠れている両手を見つめると、私はパッと顔を上げて口を開いた。
「ひぃくん、お昼どこで食べるの?」
「翔のとこだよー」
「えっ? お兄ちゃんのところ? ……いいの?」
「うんっ」
(絶対に来るなって言ってたけど……本当に大丈夫?)
ニコニコと微笑むひぃくんの姿を見て、少しだけ不安になる。
「きっと面白いのが見れるよー?」
そう言ってクスクスと声を漏らすひぃくん。
(面白いのが見れるって何だろう?)
ニコニコと楽しそうに微笑むひぃくんの横顔を見ていると、不安よりも好奇心の方が大きくなってくる。
「楽しみだねっ」
ひぃくんを見上げながら笑顔でそう答えると、そんな私を見てニッコリと微笑んだひぃくん。そのまま私の手を取ると、ジャージの上からそっと優しく手を握る。
私は繋がれた手にキュッと力を込めると、満面の笑みを浮かべながら廊下を進んだ。
◆◆◆
お兄ちゃんの教室の前まで辿り着くと、扉の前に飾られた看板を見て首を傾げる。
【男女逆転縁日】
(男女逆転て……何だろ?)
首を傾げる私を見て、クスリと笑い声を漏らすひぃくん。
「楽しみだねー」
ニコニコと微笑むひぃくんは、そう言うと教室の扉を開いた。
────ガラッ
「わぁ……っ! 本当にお祭りみたいだね!」
沢山の提灯で飾られた教室は、まるで本物の縁日のようだった。
スーパーボールすくいや輪投げなど、沢山の出店が並んでいる。私のすぐ目の前には、金魚すくいまである。
(本物の金魚がいるのかなぁ……?)
近づいて覗いてみると、そこにはキラキラと光る金魚が浮いていた。
「わぁっ! 可愛いっ! ひぃくん、これ取って!」
ひぃくんの腕を引っ張って、興奮気味にそう話す。
水槽に浮いていたのは、電池でキラキラと光る玩具の金魚だった。
昼食を食べに来たというのに、すっかりと金魚に夢中になってしまった私。そんな私を見て、クスリと笑ったひぃくんは水槽の前にしゃがむと振り返った。
「何色がいいの?」
「ピンクっ! ピンクがいいっ!」
ひぃくんの隣に腰を屈めると、水槽の中の金魚を見てそう答える。
「取れるかなー?」
「絶対に取れるようにできてるから大丈夫だよ」
ひぃくんの言葉に、水槽の前に座っていた店番の人がそんな返答を告げる。
(あれ……? なんか違和感が……)
髭を生やした短髪のお兄さんは、何だかやたらと可愛らしい顔をしている。
(それに、さっきの声……女の人の声、だった様な……?)
「良かったねー、花音。絶対に取れるってよ?」
「……うんっ」
店番の人をジッと見つめていた私は、慌ててひぃくんの方を見ると笑顔で頷いた。
その後、アッサリと金魚を取ってくれたひぃくん。本当に誰でも取れるようにできていたらしい。
掌にコロンと乗った金魚を見つめながら、私はニコニコと微笑んだ。
「ひぃくん、ありがとう!」
「どういたしましてー」
フニャッと笑ったひぃくんは、そう答えると私の頭を優しく撫でてくれる。
「……あっ! ひぃくん、お兄ちゃんは?」
すっかり忘れていたお兄ちゃん。一体、何処にいるのだろうか?
「たこ焼き食べよっかー」
そう告げると、ニッコリと微笑んだひぃくん。
(え? 私の質問はドスルーですか?)
そんなことを思いながらも、ニコニコと微笑むひぃくんに手を引かれてやって来たのは、教室の奥にあるたこ焼き屋の屋台の前。
(いい匂い……)
その匂いにつられてお腹を鳴らした私は、お兄ちゃんの事はたこ焼きを食べてから探そうと、そんな風に考える。
「……なんでお前らがいるんだよ」
突然聞こえてきたお兄ちゃんの声に驚き、私は慌てて周りを見回した。
(あ、あれ……? 今、確かにお兄ちゃんの声がしたのに)
姿の見えないお兄ちゃんを不思議に思いながらも、目の前で焼かれるたこ焼きをジッと見つめる。
「美味しそうだねー」
「うん。お腹空いたぁ」
たこ焼きから目線を外すことなく答える私を見て、隣にいるひぃくんはクスクスと笑い声を漏らす。
「おい。シカトすんな」
────!?
(やっぱりお兄ちゃんの声が聞こえる……。え、どこ?)
周りを見回しても、お兄ちゃんらしき人は見当たらない。
「幻聴が聞こえる……」
その不思議な現象に、ポツリと小さく声を漏らす。
────カツンッ!
「痛っ!」
いきなり、知らない女の人にうちわの角で叩かれた私。
(酷い……っ。私が何したって言うの?)
「花音! 大丈夫!?」
涙目で頭を抑える私を見て、心配そうに顔を覗き込むひぃくん。
今日は厄日だ。いくら元からポンコツだとはいえ、こんなに頭ばかり打っていたら本当にバカになってしまう。
「翔、酷いよー! 花音痛がってる!」
(ひぃくん、違うよ。私を叩いたのはお兄ちゃんじゃないよ。私達の目の前にいる、その背の高い綺麗な女の人だよ……)
ビクビクとしながらも女の人にチラリと視線を送ると、女の人は小さく溜息を吐くと口を開いた。
「……悪い。角で叩くつもりはなかった、ごめんな」
────!?
「……えっ!? お兄ちゃん!?」
大きな声を上げると、見開いた瞳で目の前の女の人を凝視する。
「何だよ……気付いてなかったのかよ」
(……えぇぇええーー!!? めちゃくちゃ綺麗なんですけどっ! ていうか、なんで女装? お兄ちゃんて……、もしかして……)
「女装が趣味、なの……っ?」
思わず顔が引きつる。
「アホかっ。んなわけないだろ。男女逆転て書いてあったろ?」
溜息混じりにそう告げるお兄ちゃん。
「ああ、なるほど……」
(そういう意味だったんだ……。良かった。お兄ちゃん女装が趣味なのかと思っちゃった)
言われてみれば、金魚すくいのお兄さんにも違和感があった。
(やっぱり女の人だったんだ)
────カシャッ
突然のシャッター音に視線を向けてみると、ひぃくんがお兄ちゃんを撮影している。
「おい……。ふざけんな、今すぐ消せ」
ギロリとひぃくんを睨みつけるお兄ちゃん。
「花音にも送ってあげるねー」
そんなお兄ちゃんを無視して、ニコニコと微笑んでいるひぃくん。
(ひぃくん……お兄ちゃんの顔をちゃんと見て? 鬼だから。そんなにドスルーしないで……)
「無視すんな……っ、響」
おっかない顔をした鬼が、ひぃくんをギロリと睨みつける。そんな鬼に向けてニッコリと微笑むと、携帯を差し出したひぃくん。
「翔。花音と一緒に撮ってー?」
「……自由かよっ! あのな、今俺はお前らのたこ焼き作ってんだよ。んなもん撮れるか、アホ。……いいから早く写真消せよ」
イライラとしながら、溜息を吐いたお兄ちゃん。
(ひぃくんとの写真、欲しかったなぁ……。だって、今のひぃくん本物の王子様みたいなんだもん)
「お兄ちゃんのケチ……」
「ケチー」
私の言葉に、ニコニコと微笑むひぃくんも便乗する。
「お前ら……、いい加減にしろよ?」
ドス黒いオーラを放つ鬼に恐れをなし、思わずひぃくんの背後に身を隠す私。
その後、何だかんだで写真を撮ってくれたお兄ちゃん。
「あーっ! 翔の写真が消えてるー! 酷いよーっ!」
「煩い。肖像権違反だ」
お兄ちゃんから返された携帯を見て、ワーワーと騒ぎ始めるひぃくん。
そんな中、私はひっそりと自分の携帯を見た。
(……大丈夫だよ、ひぃくん。私の携帯にちゃんと届いてるから。……彩奈にも送ってみよっと)
私は後日、とんでもなく恐ろしい鬼に怒られる羽目になる。
そんな事とはつゆ知らず、私は女装姿のお兄ちゃんの写真を眺めては、クスリと小さく笑みを漏らした。
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