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迷っている暇は無かった。
ニーノが再び先程の瘴気の塊を放って来るのは予想していた。
私はニーノが瘴気の塊を放つ前から願いを神聖魔力に変換し、祈りによって聖女結界の発動準備をしていた。
「聖なる女神の加護を求め、結界を張り巡らせん。悪しき意思を跳ね除け、闇よりも深き光よ、我が前に現れよ。聖女結界!」
詠唱を終えた瞬間、私達の周囲に聖なる光に包まれた聖女結界が展開される。
ニーノの放った瘴気は突如として無数の毒蛇に変わり、結界に突撃して来た。
毒蛇は結界に触れる先から次々と一瞬で蒸発するかのように消滅していく。しかし、あまりに数が多く、次第に結界はミシミシと悲鳴のような音を上げると、小さな亀裂が走り始めた。
このままじゃニーノに押し切られてしまう! これほど強大な瘴気の塊を浴びれば、私達でもただでは済まない。ルークも口では大丈夫と言っているけれども、きっとそれは私を心配させまいとしてのこと。もう一度この攻撃を受ければ夜の魔王であるルークだって無事では済まないだろう。
すると、私の心の声を聞いたかのようにルークが私を片手で抱き寄せて来る。
「案ずるな、ミア。オレとお前が力を合わせれば乗り越えられぬ壁など存在しない! オレを信じ、そのまま聖女結界に力を集中しろ!」
「分かったわ!」
どの道、私に出来ることは願い、祈ることだけ。信じる心はそのまま力となり、ルークを思い浮かべるだけで私の神聖魔力は更に強固なものとなる。
聖女の力の根源は願いと祈り。そして、愛の力によって奇跡を起こすことが出来るのだ。
私はルークを想いながら結界に神聖魔力を送り込む。たちまち亀裂は修復され、襲い来る毒蛇を消滅させる威力が強まるのが分かった。
「どうしてなの⁉ どうして姉である私ではなく、ジークフリートを選ぶの⁉ 戻って来て、リン。私の最愛の妹……!」
ニーノの錯乱した咆哮が響き渡る。
まただ。ニーノは何を言っているのだろうか? 錯乱状態に陥っているのは見て分かるが、私を妹と呼んだり別人の名前を叫ぶ。ルークにしてもそう。彼は夜の魔王だけれども、ジークフリートなんて名前じゃない。誰と間違えているのだろうか?
「何故、あ奴が我が国で最も偉大な魔王の名を知っているのだ⁉」
ルークの驚愕に満ちた呟きを耳にした瞬間、私は思い出した。
ジークフリートとは私の故国と夜の国に伝わる双子聖女の伝説に登場する夜の魔王の名だ。私の国ではその名は伝わっていなかったが、先日、ルークに教えてもらった。
確かにルークの言うとおりだ。何故、ニーノはジークフリートの名を知っているんだろうか?
その時、私はあることに気付いた。
「まさかリンって、伝説の双子聖女、魔女化した聖女リンのこと……⁉」
動揺は魔力の流れを狂わせ、たちまち聖女結界に亀裂が走る。
私は慌てて神聖魔力を結界に送り込むも、結界は今にも破壊されそうにミシミシと悲鳴を上げていた。このままでは結界は長くもちそうにない。
「心配するな、ミア。用意は整った」
ルークは私を見ると、自信に満ちた笑みを浮かべた。
「反撃開始だ!」
次の瞬間、聖女結界は毒蛇の大波に呑み込まれ消滅した。
でも──。
聖女結界が消滅するのと同時に、ルークの全身から強大な魔力が迸る。
目の前を黒い閃光が疾駆した。その直後に雷鳴の如き轟音が響き渡り、一瞬、時間が停止した様な錯覚に陥るのと同時に世界の景色が漆黒に染まった。
黒い閃光は瘴気を斬り裂き毒蛇の大波を一瞬で消滅させ、私達は眩い光に包まれた。
それは、ルークが叫び、全てが終わるまで一秒にも満たない刹那の瞬きだった。
目の前には驚愕に顔を歪ませ、茫然と立ち尽くすニーノの姿があった。
「お前、その姿はなんだというの⁉」
ニーノはそう叫びながら、恐怖に顔を引きつらせ数歩、後退る。
そこでようやく私は視界の端に大きな黒い影が佇んでいることに気付いた。
巨大な黒曜石が現れたのかと錯覚するほどの巨躯を持つ黒狼がそこにはいた。
「悪いが多少、本気を出させてもらった。この姿を見せた以上、お前ごときに勝ち目はない……!」
今の声はルーク⁉ もしかしてこの黒狼は彼なの⁉
「ルーク、その姿はいったい……⁉」
見忘れるはずもない。姿は変われど、あの雄々しい黒い獣耳やモフモフの黒尾は間違いなくルークのものだ。その姿は気高い漆黒の神獣を彷彿させ、全身から神々しいオーラが立ち昇っているのが見えた。
「ミア、これもオレの真実の姿の一つなのだ。もしこの姿が恐ろしいなら、申し訳ないが事が終わるまで目を閉じていてくれ」
「そんなことない。どんな姿になろうとも私がルークを恐れることなんてありえないから。それに、私、その姿も可愛くって大好きよ」
それは私の嘘偽りのない本音だった。普段の姿のルークは麗しくて素敵な男性だけれども、今の黒狼の姿になったルークは思わず抱きしめながらそのモコモコの毛皮に顔を埋めたくなるほどの愛くるしさがあった。
正直、こんな殺伐とした状況じゃなければ、そのモコモコの毛皮を存分に堪能したい衝動に駆られているくらいだった。
「そうか……余計な気を回したようだな。今のは忘れてくれ」
その時、私はルークの黒尾が嬉しそうにパタパタと横に揺れるのを見逃さなかった。
「さあ、ミアの妹よ。今一度訊ねる。命が惜しくば去れ。そして二度とオレ達の前に現れぬと約束するのであれば見逃してやろう。さもなくば夜の魔王の恐怖を思い知ることになるぞ?」
ルークは鋭い牙を剥き出すと、威嚇するように唸り声を上げた。
「うるさい、黙れ! リンは、ミアお姉さまは、私の、私の大切な家族。決して薄汚い獣人風情なんかに渡さない……嫌、違う。私はそんなつもりじゃ……!」
突然、ニーノは頭を両手で押さえながら苦しみ悶え始めた。首にかけている蒼い宝石のペンダントからドス黒い魔素が噴き出し、それは瘴気となってニーノの全身を覆い始めた。
先程からニーノの様子がおかしい。まるで悪魔にでも憑りつかれたかのように支離滅裂な言動を繰り返していた。
「ルーク、ちょっと待って。ニーノの様子が変だわ。それにあのペンダントから何かとてつもなく嫌な気配がする」
「もしや、あの異常なまでの魔力はあのペンダントで増幅されているのではないのか?」
ルークの指摘に私はハッとなる。
ニーノの様子がおかしいのも、もしかしたらあのペンダントが原因なのかもしれない。
「あれは聖女像に封印されていたペンダントなの。もしかしたら何かの魔道具の類である可能性が高いわ」
「なら、この場を丸く収めるにはあのペンダントを破壊した方が手っ取り早いな」
「あの、ルーク。こんなことを言うのは申し訳ないのだけれども……」
「分かっている。可能な限りお前の妹を傷つけない様に努力しよう。あんなに酷い目にあってもまだ妹を愛しているのだろう?」
ルークはそう言うと、真紅の双眸を優しく細めた。
彼の優しさが心に染み渡った。愛されているという実感が沸き上がり、こんな状況だというのに私はとても幸せな気持ちになった。
「ありがとう、ルーク」
心の裡で、愛しているわ、と付け加える。きっと今の心の声も彼に届いているはず。口にしなかったのは、その必要性を感じなかった為と、これ以上胸の動悸を激しくさせない為だった。
私達の魂は契約で一つに繋がっているのだから言葉にする必要を感じなかった。ううん、魂の契約なんかなくっても、きっとルークは私の心を理解してくれるに違いない。
だって、私がそうだから。彼もきっとそうだという確信があった。
「返せ! 私の大切な妹を! ミアお姉さまを! 返せえええええええええええ!」
ニーノは狂気に塗れた絶叫を発すると、それに共鳴するかのように首に下げているペンダントから強大な魔力が噴き出した。
ビリビリと大気が振動するのを感じた。先程よりも更に強大な魔力と瘴気の塊が放たれるに違いない。
しかし、そう思い、身構えたのも束の間。事態は予想外の展開を迎えた。
突如として上空から闇の帳が降りてくると、それはたちまち闇の衣を纏った獣人の姿に変貌する。
予想外の乱入者はニーノに振り向くと静かに右手を上げ指を鳴らす。
次の瞬間、闇の閃光がニーノを貫いた。雷鳴の如き轟音はその直後に響き渡った。
私は突然の事態に為す術もなく、ただ茫然とニーノが倒れる姿を見つめることしか出来なかった。