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「………なんで?」
俯きがちに、友人が口を開いた。
いつもの覇気はなく、直視に堪えないほど打ち拉がれている。
こんな彼女は見たことがない。
私は元々、それほど感受性の豊かな方じゃない。
でも、こんな姿を間近に見てしまえば。
それが親しい者なら尚更、今にも胸が張り裂けそうな気色を覚えた。
「分かっとる筈だ」と、吹さんが沈痛な面持ちで、しかし毅然とした口振りで述べた。
「お主らとて、疾うに分かっている筈だ。 よもや潮時を違えるほど」
「分かりませんよッ!!」
鋭い怒号に続き、椅子の倒れる音が、手狭な店内に嗄々と響き渡った。
カウンターに爪を立てた友人は、肩で息をしながら、真一文字に引き結んだ唇で、辛くも次なるセリフを抑え込んだようだった。
それはもしかすると、ヒドい罵声だったのかも知れない。
「分かりませんよ………。 私たちの気持ち、そんなの……、分かりませんよ」
その末に、ようやく彼女が絞り出したものは、二柱に対するせめてもの非難だった。
「ごめんなさい……、ちょっと。 あれ……、頭冷やしてきます」
そう言って、力のない足取りでドアのほうへ向かう。
あんな状態の友人を、独りにはしておけない。
とにかく、後を追いかけようとしたところ、吹さんに制止された。
「相すまぬが、今はそっとしておいてやっておくれ」
「でも………」
「驚かせましたな……? 申し訳ない」
台拭きで机上を拭った織さんが、新しいお茶を用意してくれた。
ありがたいけど、とても口をつける気分じゃない。
視線をふらりと泳がせる。
「………誰かの、持ち物なんですよね?」
そのように訊ねたところ、吹さんはわずかに目を見張った後、小さく首肯した。
“いったい、誰の?”
彼女をあそこまで錯乱させる人物とは、果たしてどういった存在なのか。
気にはなったが、この質問は口にすべきじゃないと思った。
「あれも、同じ人の?」
「む………?」
カウンターの上に、鏡ともども放置された物品に目を向ける。
形状からして、恐らく
「それが何か、お分かりか?」
「刀……、ですよね? 日本刀」
素朴な袋に包まれているが、上部の出っ張りと全体的な反り具合から、そう考えて間違いないだろう。
それにしても、眼の奥が熱い。
「そうか……。 やはり、そう見えるか」
「え?」
「いや………」
疲れ目とは違うな。
ちょっと覚えのない感覚だ。
いつだって泰然としていた友人のあんな姿を見れば、こういった反応が出ても仕方がないか。
ともかく、目を擦り擦り、この機会に質問を継ぐ。
「どうして、私を呼んだんです?」
当面の疑問は他にあるが、おいそれと持ち出す訳にはいかない。
今しがた、そう心に決めた。
だから、比較的手に取りやすいものを選んだつもりだった。
それに、これは元から気になっていたことだ。
彼らが友人を呼び出した理由は、この品々を引き渡すためと明らかになった。
なら、私は?
旧友の娘が懇意にする人間の顔を、直に確かめたかった。
そんな安直な理由ではないだろう。
もしそうだとすれば、幼なじみにもお声が掛かって然るべきだ。
ひょっとして、私にも何か………。
ややあって吹さんが明かした魂胆は、まるっきり見当外れで、なおかつ理解に苦しむものだった。
「あの子を、無事に家まで送り届けてやって欲しい」
「え……?」
言葉の意味がよく分からない。
いや、そうか。
当の品々を目の当たりにした彼女が、あのような有様になることを見越して。
「それもある」と、こちらの胸中を覗いたように、彼はこくりと頷いた。
続けて目線を正し、件の長物を示す。
かすか、綺麗な瞳の奥に、怯えの色が走った気がした。
「其な太刀は、ちと面妖でな? 何事があるか、我らにも皆目………」
妖刀とか、そういう類の品だろうか?
何やら、雲行きが怪しくなってきた。
「よもや、余人の居る場で暴れ出すことはないと思うが」
「は?」
「危急の際は、よろしくお頼み申す」
「いや、なにを………?」
まったく意味が分からない。
少なくとも、神さまが人間に頼むような事柄じゃないだろう。
「人間であるからこそ……」
眉を顰めた吹さんが、より明解な説明を加えた。
納得できるかどうか、それはまったくの別問題ではあるが。
「人間を斬れぬ太刀を抑え込めるのは、人間である貴女だけ。 どうか道々……、この先、くれぐれも」
失礼だけど、可愛い顔をしてとんでもない事を言う。
つまり、あれだ。
肉食獣の前に放っぽり出された木立は、身の安全が保障されていると?
狼狽える私に、さらなる追い打ちが掛かる。
「その太刀は、もはや二度まで人を斬ることはできまい」
「それって………」
つまり、一度は“誰か”を……?
途端に、嫌な考えが浮かんだ。
そちらに気を向けないよう心掛けつつ、差し当たっての違和感に着目する。
彼の言い方はまるで、刀そのものに意志があるようじゃないか。
たしかに、刀剣が持ち主を選ぶという話は聞いたことがある。
しかしそれは、あくまで偶然の出会いであったり、奇縁を美化した物言いに過ぎない。
なにも刀に足が生えて、お眼鏡にかなう持ち主の元まで、自分でテクテクと歩いていくワケじゃない。
物に意志が宿るとすれば、やはり付喪神か。
いや違う。 そんな生易しいものじゃない。
なぜか確信があった。
机上からギラギラと及ぶ言い知れない気配が、そのように判じさせたのか。
刀に宿るモノ。 無垢な地鉄の奥深くに潜み、それそのものに意志があるかのように見せるモノ。
そうだ。 刀霊………。
「どうかお茶を。 あまり思い詰めては体に毒です」
すっかり湯気を損なったカップに代わり、注ぎたてのお茶を織さんが勧めてくれた。
礼を言い、目元を擦る。
眼の奥が、またしても異様な熱感を訴えていた。
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