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「そういえば、昨日のお出かけはどちらに?」
翌日、朝食に使った皿を片付けながら、フィリナはふと浮かんだ疑問を口にした。
魔獣の1件ですっかり意識が逸れてしまっていたが、あの時ギギスは、どこかで『用事』を済ませてきていたのだ。
フィリナは全く純粋な興味から、その『用事』が何なのか気になっていた。
「ああ……」
尻尾の先をくるりと丸め、ギギスは椅子から立ち上がる。
そして隣の部屋に消えたかと思うと、薄紙で包装された何かを持ってきた。
「町へ降りていた。これを、お前に」
ギギスは包みを机に置く。
最後の皿を棚に仕舞ったフィリナは、微かな期待と共にそっと薄紙を開いた。
「まあ、お洋服!」
そこに柔らかく畳まれていたのは、2着の服。
一方は若草色、もう一方は白茶色を、それぞれベースにした襟付きのワンピースだった。
思わぬ贈り物にフィリナはパッと顔を輝かせる。
可愛らしい洋服と、それをギギスが贈ってくれたという事実が、彼女に二重の嬉しさをもたらした。
「好みに合うかわからないが、無難なものをと言って用意させた。気に入らなければ別のを買ってくる」
「気に入らないなんて、とんでもありません。とっても……ええ、とっても素敵です」
フィリナは2着の服を、花を愛でるかのごとくじっと見つめる。
異界に特有の香料だろうか、ほのかに漂ってくる甘い香りが彼女の鼻をくすぐった。
「この世界にも町があるのですね。良ければ今度は、私もご一緒したいです」
まだ見たことのない、異界の町。
きっと新鮮で心躍るそこを、ギギスと共に歩けたらどんなに楽しいか。
あれこれとフィリナは想像を膨らませ、微笑む。
しかしギギスはというと、『一緒』という言葉を聞くや、ぴくりと尻尾を揺らした。
「いや……それは……」
彼は不自然に口ごもる。
視線も、先ほどまではフィリナを見つめていたのに、さっと逸らしてしまっていた。
フィリナはきょとんとして彼を見る。
それから数秒、その口が言葉を発しようした時だった。
「やあ、ギギス。邪魔するよ」
ノックも無しに、玄関の扉が開く。
立っていたのは、燃えるような赤い髪を三つ編みにし、螺旋状の角を生やした、1人の青年だった。
彼は笑顔でひらひらと手を振る。
気さくという言葉がちょうど似合う仕草だ。
実際、その表情や声色からは、友好的な空気が醸されている。
が、ギギスは違った。
「っ……!」
角の青年を視界に入れるや、彼はハッと目を見開き、表情を強張らせる。
尻尾のヒレも逆立ち、僅かに震えていた。
「あら?」
「ん?」
しかしそんなギギスの様子には気付かないまま、フィリナと青年はぱちりと目を合わせる。
お互い、初対面の人物が居ることを、このとき初めて確かに認識した。
「ギギス様のお客様ですね。ごきげんよう」
フィリナは服の裾を軽く持ち上げ、礼儀正しく挨拶をする。
ふわりと軽やかな仕草は、全く令嬢然としていた。
角の青年は興味深そうに、彼女をじっくりと観察する。
頭のてっぺんから、足の先まで。
余すところなく見終えた彼は、少し浮かれた声で言った。
「そういうキミは……異界人かな?」
「はい。異界から来ました、フィリナ・エルシードと申します」
フィリナは素直に答える。
ギギスに対してもそうであったように、まるで警戒心の無い振る舞いだ。
彼女の屈託の無い笑みを見、角の青年は気を良くしたらしく、1歩近付いて腰を曲げた。
「俺はオクト・ミザエリエル・ジーナロッド・ウィンティス。城で下っ端の騎士をしている。気軽にオクトと呼んでくれ」
「まあ、騎士様。この世界にもいらっしゃるのですね」
「いるとも。大事な仕事だからね」
にこにこと、フィリナと青年改めオクトは穏やかな笑顔を向け合う。
しかしそこで、オクトの視線がふとギギスに向いた。
「あれ? どうしたんだいギギス。いつにも増して陰気だね」
どうやらようやく、ギギスの様子がおかしいことに気付いたらしい彼は、首を傾げる。
つられて目を動かしたフィリナも同様に、不思議そうな顔をした。
「帰れ」
ギギスの口から、地を這うような声が発される。
その声は間違いなくオクトに向けられたものだったが、フィリナはそれでも、心臓を撥ねさせた。
いくら純粋で素直なフィリナと言えど、こうも明らかな拒絶の反応に気付かないわけはない。
彼女は両手を密かに握り、そっと様子を窺う。
他方、オクトは少々困惑したふうではあったが、変わらない調子でギギスに笑いかけた。
「用が済んだら帰るよ」
「今すぐにだ!」
ギギスはさらに声を荒げる。
尻尾のヒレも、引きちぎれんばかりにカチカチと震えていた。
あまりの気迫に、オクトは眉を八の字にする。
「何をそんなにカリカリしているんだい? 言っておくけど、俺は単にキミを心配して様子を見に来ただけだよ」
「黙――」
「町はキミの話で持ち切りさ。『魔獣の森』の主が現れたってね」
瞬間。
室内に、水を打ったような静寂が広がった。
『魔獣の森』、の、主。
確かにオクトはそう言ったし、文脈からしてそれはギギスを指す言葉だった。
そのように理解したフィリナは、ぽかんと呆気にとられた顔で、ギギスを見やる。
「主……? ギギス様がですか?」
領主か、管理人か、恐らくはそれに類する役職のことだろう。
初耳ではあるものの、意外というほど意外でもないと、少なくともフィリナはそう感じる。
けれども彼女の反応に、それまでにこやかだったオクトの目が泳いだ。
「え? 聞いてなかったの……あ、いや、ヤバ。そういうこと?」
冷や汗をかきながら彼は言う。
フィリナとギギスを交互に見、何やら気まずそうな仕草だ。
フィリナは場の空気が良くないものになりつつあるのを感じ取り、しかしその原因が未だ明確には掴めず、ただおろおろとするに留まる。
「ええ……うん、まあその、ごめんね? まさかキミが、家に入ることまで許した相手に何も言ってないとは思わなくて」
「うるさい、黙れ……」
言い訳をするオクトに、ギギスは先ほどの気迫を失った声を発する。
フィリナははたとそちらに視線を向け、気付いた。
ギギスが、ひどく苦しそうで、悲しそうな顔をしていることに。
2人の視線は一瞬だけ交わるが、ギギスの方からふいと逸らされる。
まるで逃げるような素振りだった。
フィリナはまるで理解が追いつかない。
どうして、そんな顔をするのか。
どうして、目を逸らすのか。
怯えるようですらある彼の様子に、彼女は胸が締め付けられる心地がした。
「凶悪で冷酷な『魔獣の森』の主だって、知られたくなかったんだね。そりゃあそうか、自分が嫌われ者だなんて、秘密にしておきたいのが普通だもの」
反してオクトは、なおも話し続ける。
悪意は無いが、気遣いにも欠ける言葉を、次々と連ねていく。
「でもそんなに嫌なら、まずはその排他的で陰気なところを直した方がいいよ。みんなの認識の中のキミと、実際のキミって、あんまり変わらないし――」
「あ、あの!」
オクトを遮り、フィリナが声を上げる。
己を奮い立たせるがごとく手を握りしめながら、彼女は1歩前に進み出た。
ちょうど、オクトとギギスの間に立つように。
「私には事情がよくわかりませんが……ギギス様を追い詰めるようなことを言うのは、やめてください」
フィリナはギギスを背に、訴える。
ひと言ひと言を、確かに伝えるために。
彼女には今、後ろに居るギギスの姿は見えない。
だが、だからこそ、彼の心をこそ想って、オクトと対峙していた。
「そんなに一方的に喋っても、お話は楽しくありません。ゆっくり、慌てず、一緒にお話をしましょう」
フィリナはオクトの言うことも、ギギスの反応も、全ての事実を把握できてはいない。
ゆえにこの語り掛けが適切であるかもわからなかったし、まして抗議のような真似をするのも、全く慣れていなかった。
何が正解か見えない中、彼女はただ1つ、強い気持ちを持って立っている。
それは――ギギスに寄り添いたいという気持ちだった。
オクトは自分の前に立ち塞がったフィリナに、目を丸くする。
が、すぐに「ああ」と眉を下げた。
「ごめんね、つい。俺って口が軽くてさ。気を付けるよ」
彼はそう言いながら、踵を返す。
どこまでも、悪意は見られない振る舞いだ。
「なんかほんとに邪魔しちゃったみたいだし、今日は城に帰るよ。じゃあね」
パタン、と音を立てて玄関扉が閉まる。
数秒置いて、フィリナは深く息を吐き、ギギスの方を振り返った。
「あの……良ければ、一緒にお話をしませんか? 私、たくさん、何でも聞きますから」
***
フィリナの追放刑から数日後。
エルシード伯爵家の屋敷では、1人の少女が空を仰いで伸びをしていた。
「ああ、快適!」
肩まで伸ばした紺色の髪を緩く巻き、上等な衣服を身に纏ったその少女の名は――アイリ・エルシード。
フィリナの義妹にして、彼女を陥れた張本人である。
「愚図なお義姉様が居ないだけで、こんなに気持ちよく朝を迎えられるものなのね」
アイリは上機嫌にひとりごち、その場でくるりと回ってすらみた。
目の前に広がるのは、色とりどりの花が咲く庭園。
これまでは時おり、呑気な顔をした義姉に視界を邪魔されたものだが、もうそんな心配は無い。
余計なものの排された美しい景色を、アイリは愛でる。
花びらの1枚1枚までもが、今の彼女には余すところなく輝いて見えていた。
この庭園だけではなく、広間でも、書庫でも、自室でも。
義姉と遭遇し、その振る舞いに苛立ち心乱されることは二度と無いのだ。
そう思えば思うほど、自身の頑張りに対する達成感と満足感がアイリの胸中に溢れ出る。
大嫌いなものが無くなった世界。
それを手にできた幸福に彼女が浸っていると、庭園を横切る渡り廊下を、1人の青年が歩いてきた。
「あっ! お兄様!」
彼を見るや、アイリは顔をパッと明るくして駆け寄る。
青年は、現伯爵夫人の長男……つまりアイリの実兄だった。
愚鈍な義姉とは違い、聡明で立派に働く実兄のことを、アイリは父母と同じくらい好いている。
それこそ、見かけた時には声をかけずにいられないくらいに。
だが、しかし。
「火急の用か?」
兄はアイリに、冷たい声と視線を浴びせる。
温もりの無い仕草と、必要最低限の言葉は、アイリの笑顔を凍り付かせるのに十分だった。
「い、いえ……」
アイリは伸ばしかけていた手を引っ込め、半歩後ろに下がる。
はつらつとしていた声は、痛ましいほど弱々しくなっていた。
「なら後にしてくれ」
やはり最低限の言葉を残し、兄は去る。
彼は多忙だ。
そのことは、アイリも理解していた。
「……別にいいわ、私だって今日は忙しいもの」
しばらくその場で立ち尽くしていたアイリだが、やがてそう呟くと、自分も庭園を後にした。
屋敷の中へと戻れば、ひんやりとした静けさが彼女を迎える。
明るい音や、光景は、どこにも無かった。
エルシード伯爵家は、その巧みな交渉術と領地内に有する資源により、王国でも特異と言える立場を獲得した貴族だ。
権力は安定して強く、王に対する発言権は諸侯より頭ひとつ抜けている。
が、それと引き換えに、エルシードの人間、特に男は日々多量の業務に追われている。
先ほどの兄しかり、父母しかり、揃って食事をすることすら稀だ。
無論、アイリに構っている時間などあるはずもない。
この冷えた屋敷で、アイリに積極的に話しかけてくるのは、義姉のフィリナくらいのものだった。
しかしアイリは彼女からの言葉など微塵も欲しくはないし、むしろ苦痛だ。
求めるものは得られず、要らないものだけ降りかかる。
アイリがフィリナを追放させたのは、その積み重ねの結果だった。
「別に、いいのよ。お義姉様はもう居ないし、彼はきっと私を見てくれるようになるはずだもの」
ぽつぽつと呟きながら、アイリは廊下を歩く。
あてどもなく動かしていたその足は、しかし微かに聞こえてきた馬車の音に、ぴたりと止まった。
「! 噂をすれば」
うつむいていた顔を上げ、彼女は玄関へと急ぐ。
重い扉を開けて表に出れば、丁度、停まった馬車から1人の青年が降りてくるところだった。
アイリはすかさず彼の元へと近付き、弾む息を抑えて優雅に礼をする。
「ごきげんよう、ユリーク様」
青年――ユリーク・アンドリアは、代々有能な政務官を排出するアンドリア家の次男だ。
元よりエルシード家とアンドリア家は交友が深く、当代においても、公私ともに盛んなやり取りが行われている。
ユリークも例外ではなく、幼少の頃から頻繁にエルシード家を訪れ、フィリナやアイリとも付き合いを続けてきた。
また彼は、そうする中で……ほとんど誰が見てもわかるほどに、フィリナに好意を寄せるようになっていた。
「聞いてくださいな。実はあなたがいらっしゃらない間に、大変なことがありましたの」
アイリは困り眉をつくり、話を切り出す。
彼女が義姉を追放したのは、ユリークが政務のため遠方へ行っていた間のこと。
言い換えれば、その隙を狙ってのことだった。
万が一にも、ユリークにフィリナを庇われないように。
自分の悪事を暴かれないように。
アイリは意図して、彼を「その時」に立ち会わせないようにしたのである。
「大変なこと、とは」
ユリークは片眉を上げ、アイリを見下ろす。
「お前がフィリナに濡れ衣を着せて、追放したことか?」
「えっ……」
ざわ、と風が強く吹いた。
アイリの頬に汗がひとすじ伝う。
「な、何を仰いますの? お義姉様が公費を横領したのは、紛れも無い事実ですわ。それが濡れ衣だなんて、まして私がそう仕向けたなんて!」
「そんな稚拙な嘘が、俺に通じるとでも?」
凍てつくような冷たい声色で、ユリークは言った。
その威圧感に、思わずアイリは押し黙る。
――彼が居ない間に事を進めれば。
――義姉が居なくなれば彼は自分のことを。
アイリが思い描いたそれらは、全くの誤算だった。
ユリークはわなわなと唇を震わせるアイリに、なおも続けた。
「お前の嘘を信じる者など居ない。それでも追放刑が執行されたのは、裁判官たちが『エルシード』に逆らえないからだ。俺はあいつらとは違うがな」
無慈悲なまでの、糾弾と拒絶。
アイリの描いた理想絵図は、もはやズタズタに引き裂かれていた。
「さあ馬車に乗れ、アイリ・エルシード。弁明は公平な取り調べの場で聞こう」
ユリークは有無を言わさぬ声で促す。
その目は女性に向けるものなどではなく、ただ単に、罪人を刺す視線でしかなかった。
***
オクトが帰ってからしばらくして、ギギスはようやく、口を開いた。
「俺は、『魔獣の森』の発生と同時に生じた」
「森と一緒にですか?」
机を挟んで向かいに座るフィリナは、目をぱちくりとさせて聞き返す。
「そうだ。俺という存在が生まれた瞬間、その場に森ができた」
「なんだかロマンチックですね。童話の妖精さんみたい」
朗らかな笑顔と共に、フィリナは言う。
やや緊張した面持ちだったギギスだが、彼女の表情を見、少しだけ頬を緩ませた。
「森には最初、俺以外のものは居なかった。ただ溢れ出る瘴気に導かれた魔獣たちが、次第に棲みつき始め……やがて森は『魔獣の森』と呼ばれるようになった」
ギギスは静かに目を閉じる。
かつての記憶が、彼の脳裏によみがえっているのだろう。
フィリナはただ真摯に、耳を傾けた。
「町の人間は、俺と『魔獣の森』を忌み嫌っている。暗く、醜く、汚れたものだと」
再び、ギギスは目を開く。
その声の、瞳の奥には、昏い憂いが沈んでいた。
「あいつ……オクトは俺の監視役だ。王国に仇なす行為をしないか、俺は常に警戒されている」
「監視だなんて、そんな……。でもギギス様は、乱暴なことはしないでしょう?」
「……積極的には、しない。だができる」
言いにくそうにしながらも、誤魔化さない言葉でギギスは答える。
「時々、力を振るうこともある。町の人間と争ったことも。あるのは力ばかりで、愛想も話術も持ち合わせていない。だから嫌われる」
尻尾はへたりと力なく床に横たえられ、声はどこまでも暗くなっていく。
彼は数秒、言葉を止め、それから視線を上げた。
「怖くないか」
「いいえ、ちっとも」
フィリナは即答する。
後ろめたさも、何もない。
ひたすらに純粋な心が、声を介してギギスの胸に流れ込む。
「あなたが力を持っているというなら、それは森の平和や自分を守るためのものでしょう。包丁を持つ料理人を、剣を持つ騎士様を、どうして怖がりますか」
固く握りしめられたギギスの手を、フィリナはその手で優しく包み込んだ。
否、包み込めるほど、フィリナの手は大きくない。
けれども確かに、彼女はギギスの冷たいすべてを、温かく受け止めていた。
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