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第2話:仕組まれたトラップ
事件の翌日。氷室律の自宅マンションは、重苦しい空気に包まれていた。
「家宅捜索だ。令状はここにある」
玄関を開けるなり、そう告げたのは遠藤蓮だった。
今日の彼は、ネクタイを少し緩めた黒いスーツ姿。相変わらず少女漫画から抜け出してきたような美貌だが、その瞳は鋭く、獲物を捕らえるハヤブサのように冷徹だ。彼の後ろには、数人の捜査員が控えている。
「どうぞ。どうぞお調べください」
律は表情を変えず、一歩下がって彼らを室内に迎え入れた。
ワンルームの室内は、驚くほど物が少なかった。家具はすべてモノトーンで統一され、本棚には専門書が規則正しく並んでいる。生活感が全くない、まるで実験室のような部屋だった。
遠藤は部屋を見渡しながら、長い脚を組んで室内の椅子に腰掛けた。
「ずいぶんスッキリした部屋だな。人間らしい温かみがこれっぽっちもない」
「物を所有することは、管理コストの増大を意味します。私にとっては、この状態が最も合理的です」
「相変わらず、可愛げのない返事だ」
遠藤はふっと皮肉げに唇の端を上げた。その仕草すら絵になるのが、どこか忌々しい。
捜査員たちが手際よく、クローゼットやキッチンを調べ始める。律はそれを、ただの観客のようにソファに座って眺めていた。
(私が犯人ではない以上、この部屋から違法な物質が検出される確率はゼロ。であれば、この家宅捜索はただの時間浪費だ) 律の脳内は、いつも通り冷静な計算式を弾き出していた。
しかし――その計算は、一人の捜査員の緊迫した声によって無残に打ち砕かれる。「遠藤さん! これを見てください!」 キッチンを調べていた捜査員が、小さなポリ袋を掲げた。
シンクの裏、普段なら絶対に目につかない配管の隙間から見つかったのは――茶色い遮光瓶だった。
遠藤の美しい目が、一瞬で険しくなる。彼は立ち上がり、律を鋭く射抜いた。「……氷室。これは何だ?」
「分かりません。私の持ち物ではありません」
律の声に初めて、わずかなノイズが混じる。
捜査員が慎重に瓶のラベルを確認し、遠藤に報告した。
「間違いありません。被害者の体内から検出されたものと、全く同じ劇薬……シアノ化合物です」
部屋の空気が、凍りついた。
完璧な証拠。犯人しか持ち得ない、決定的な凶器の残り。
「身に覚えがない、とでも言うつもりか?」
遠藤が歩み寄り、律の目の前で足を止めた。見上げるほど高い身長の彼から、圧倒的なプレッシャーが降り注ぐ。端正な顔が近づき、彼の涼しげな瞳に、容疑者となった自分の姿が映り込んでいるのが見えた。「はい。その薬物が私の部屋にある確率は、外部からの人間による『意図的な混入』を除けば、ゼロパーセントです。つまり、私はハメられました」
律は動揺を押し殺し、真っ直ぐに遠藤を見返した。
「ハメられた、ねえ。だがな、氷室。この部屋の鍵を開けられるのはお前だけだ。警察も、裁判所も、お前の言う『誰かがハメた』なんて苦しい言い訳は信じない。……お前を、殺人容疑で緊急逮捕する」
遠藤が腰の後ろから、金属製の強固な手錠を取り出す。
チャキリ、と冷たい音が部屋に響いた。(逮捕される? 私が? ……ここで捕まれば、真犯人の思う壺。私の人生の合理的価値は完全に損失する)
律の脳内で、危険信号が赤く激しく点滅した。
感情はない。しかし、「生存の意志」は誰よりも強い。
律は遠藤の手元を凝視した。手錠をかけようと、彼の綺麗な手が伸びてくる。「――刑事さん」
「何だ?」
「あなたの後ろ」
「その手には乗ら――」
遠藤が言いかけるより早く、律はテーブルの上にあった実験用の高濃度エタノールスプレーを掴み、遠藤の顔面に向けて思い切り噴射した。
「くっ……!?」
アルコールが目に入り、遠藤が思わず顔を覆ってよろめく。
「遠藤さん!」
周囲の捜査員が慌てて遠藤に駆け寄る。その一瞬の隙を見逃す律ではなかった。 律は迷わず、玄関へとダッシュした。あらかじめポケットに突っ込んでいた財布とスマートフォンだけを握りしめ、ドアを蹴り開ける。
「追え! 逃がすな!」
後ろから、目を真っ赤にした遠藤の怒号が響く。
マンションの階段を駆け下りながら、律の心拍数は一分間に百四十回まで跳ね上がっていた。息が切れ、足がすくみそうになる。
(計算が狂った。私は、容疑者から『逃亡犯』になった。……だけど、これでいい。私の無実は、私の頭脳で証明する)
夕暮れの街へと飛び出した律。 冷徹な天才研究員の、命がけの逃亡劇が、今ここに始まった。
コメント
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第2話、一気に畳み掛ける展開で目が離せなかった…! 氷室律が完全にハメられて、しかも遠藤刑事に手錠かけられそうになってからの逃亡がめっちゃスリリングだった。普段は計算尽くの彼女がエタノールで強硬手段に出るところ、性格がよく出てて好きだわ。無実を証明するために逃亡する決意、次が気になる🔥