「大丈夫、ですか?」
薄く目を開いた彼は私の呼びかけに小さく声をもらした。
「ん、んぅ…」
まだ夢の余韻に浸っているのか、寝ぼけまなこで隣の私を見上げる彼の服は汗でぐっしょりと濡れていた。
「ごめんなさい、起こしてしまって」
ベットに横になっている彼のとなりに私は寄り添うように上半身を起こして座っている。
「…すごく、うなされてたから。苦しそうで、なにか、悪い夢を見てるんじゃないかと思って」
「…うん。でも、もう、大丈夫」
荒い息を整えて途切れ途切れに発される彼の言葉は今にも消え入りそうだった。
おもわず私はそっと右手を彼の頬に添えた。そしてすぐにそれを大きな手が優しく包みこんだ。
「大丈夫だよ」
小さなスタンドライトに照らされた瞳はまっすぐにこちらを見上げ、さっきよりもしっかりとした言葉が私に返された。そのとき、自分がとても震えていたことに気がついた。
「もう、大丈夫」
私と同じように体を起こして、彼はやわらかい声で繰り返した。
「…ごめんね。大事な体に何かあったら大変だ」
「はい。でも、大切なあなたにも、なにかあっては大変ですから」
私の言葉に驚き目を丸くした彼は、やがて破顔した。
「ははっ。そうだね。奥さんに心配をかけてばかりでは、生まれてくるこの子に父親の面目がたたない」
そう言いながら、少し大きくなった私のお腹を優しくさする。まだ少し、危なげなもろさ対する戸惑いが残る手つきだった。
「あぁ、早く会いたいな」
それでも、漏れる声には溢れんばかりの我が子への愛情がこもっている。
「ふふ、予定日はまだまだですよ」
「うん。でも、とても楽しみなんだ」
「はい。私もです。きっとこの子もパパに会えるのを楽しみにしてますよ」
「それは嬉しいな。じゃあ、この子に会えるまでパパとママで素敵な名前を考えよう」
「はい。とびっきり素敵な名前を考えましょう」
私の言葉に答える声が、今にも泣き出しそうで少し震えていたのはきづかないふりをした。
「ははっ。そうだね。ありがとう。…汗がなんだか冷えてきたな。風邪を引いてはいけないから、着替えてくるよ。晴菜(はな)は先に寝ててくれ」
そう言って、彼はベットを出て、寝室のドアの方へと歩いていく。私は離れた手のぬくもりを持て余しながら、その背中を見つめていた。
「…晴菜」
ふと、彼がこちらを向いた。
「ありがとう」
突然の言葉に、少女のように顔を赤らめてしまう。
「ど、どうしたんですか。急に」
戸惑う私に構うことなく、彼は言葉をつむぎ続ける。
「素敵な名前を考えよう」
「はい」
「たくさん、たくさんその名前を呼んであげよう」
「そうですね」
「晴菜」
「はい?」
「愛してる」
「!」
「わ、私も、大好きです。…雨音(あまね)さん」
「ありがとう」
優しさと愛しさがいっぱいに詰めこまれた温かい微笑みを残して雨音(あまね)さんは部屋を後にした。
火照った顔を冷やすため、少しだけ窓を開けると、わずかに小雨が降っていた。
私はなんだかベットに戻る気になれず、そのまま窓辺に立ち、我が子とともに夫と同じ名を持つ音色に耳を澄ませていた。