「…なぁ。」
あれから数日後、
女は男の家で窓拭きをしていた。
男の家に押し入り、未来を教えてからしばらく経ったが特に男からは何もされていない。
…いや、男が何もしなくなったと言った方が正しいだろうか。
『どうしたの?』
「隣村の子ども達について、あれから何か聞いてないか?」
『!…子ども達?』
「覚えてないのか?災害で食べ物がなくて困っていたガキ共がいただろ。
…元気なのか、アイツらは。」
『!……。』
女は目を丸くした。そして今度は今日は雪が降りそうね、と口に出しそうになった。
富にしか目がなかった金持ちの御曹司が
自分の助けた人を気にしてるなんて
誰が信じるだろうか。
いや、誰も信じてはくれないだろう。
……まさかこんなにも早く心が変わるとはね。かなり予想外だったわ。
「おい、聞いてるのかマヌケ。」
『あ、ええ…
あの子供たちね?とっても元気よ、ご家族とも無事再会して今は仮住まいに住んでいるみたいだわ。』
「そうか…よかった。」
男が小さくそう言うのを女は聞き逃さなかった。キリッとした目がふにゃ、と歪んだ
これまでにはなかった優しい笑みが
溢れている。
…貧乏になる前に、
善行を積んでおきたいのかしら。
どっちにしろ未来は変わらないのにね。
女はそう心の中でつぶやいて、
窓拭きをやめた。そして男が家を出る予感を感じ取り見送りの準備をする。
「…出かけてくる」
『ええ、行ってらっしゃい。』
男は黒いコートに袖を通して女に背中を向けたまま玄関の扉を開け、仕事に出かけていった。
この時、男は女の顔を一度も見なかった。
そして、
そのせいで彼はあることに気づかなかった。
『…。』
女がこの家で初めて
悲しい顔をしていたことを。
「ちょ、良いのですかお坊ちゃま、
こんな大金を寄付なんかに回すなんて…。」
「構わん。
この金は俺の金だ、使用人は黙ってろ」
「そっ、そんなー!
お父様の耳に入ったらこの私の首が…」
未来が見える女と出会ってから男は変わった。
数日前に花束をもらったことをきっかけに
男は誰かに感謝されるという
新たな快感をおぼえた。
以前の自分なら豪遊するために使っていた金を必要とする人々に渡す。
一見損しか生まないように見えるこの行為が
気持ちよくてたまらない。
加えて貧乏人を罵倒していた時に得るものとは違ってこの行為には謎のあたたかさがある。
「ありがとうございます!これで孤児院の子供たちに絵本を買ってやれます!」
「うむ、孤児院の子供たちと院長によろしく伝えといてくれ。」
「は、はい!
本当にありがとうございました!」
涙を流しながら女性がお金を
受け取って頭を下げる。
するとその女性を心配してか院の中にいた子供たちが一斉に駆け寄ってきた。
…無駄遣いすんなよ。
男は内心でそう呟いてふっ、と笑みをこぼし、その場から去っていった。
男は思った。
自分はこれまであの女の言うように
沢山の人から金を搾り取って
無慈悲なことをしてきた。
直接的にはしていないが、
その暴行によって間接的に誰かの命を
奪ってしまったこともあっただろう。
その命を奪われた人には家族がいた可能性も
あるし、大切な恋人もいたかもしれない。
あるいは誰かにとっての…
ー 大丈夫よ、私が側にいるわ ー
救いだったのかもしれない。
「…ハッ!なんでアイツが浮かぶんだよ!?」
考えていた脳が一瞬で止まり、男は戸惑いのあまり思考をそのまま口にしていた。
「あのクソ女が…!」
男はため息と同時に唾棄するようにそう言うと速足で次の仕事場へと向かった。
実は男が変わったかとの原因は家にいるあの女のことも含まれている。
あの夜の書庫でのこと以降、
女はますます優しくなり
男に声をかけるようになった。
話すことは服装のことや仕事の話、
時には話すだけではなく掃除や
夜食まで作ってくれるようになった。
兄弟がおらず母親に愛されなかった
男にとって、その女の態度は
悔しくも嬉しかった。
おまけに男が冷たい態度をとっても
いつもにこにこいていて、
それがなんとも「くすぐったい」のだ。
唇をキュッと結んで桃に溶かした
砂糖をかけたかのような甘ったるい笑顔が
ぱっとはじけて、それを見ると心臓が急にうるさくなって視線がいつも外れて…「くすぐったい」
「貧乏人のくせに俺の思考を邪魔しやがって…」
「そこのお兄さん、お花を買っていきませんか?」
「!…」
…この花、この前あの女が好きだって言ってた…。
安いし、買ったら喜ぶだろうか…。
「ッ!?」
「お兄さん?」
「ああ゛ぁあぁあ゛!!!」
「お兄さん!?」
安かったから買った。
安かったから買った。
安かったから買った。
安かったから買った。
安かったから買った。
数時間後、
男は花束を手に家の前についていた。
「安かったから買ったんだ、お前のためとかじゃない…よし、こう言えば完璧だな
…ただいま。」
花束を抱えて男がゆっくりと
玄関のドアを開ける。
すると、不思議なことに家の中が静かだった。
「あれ?おーい…。」
おかしいな、と男は思った。
いつもなら女がここまで歩いてきて
おかえりなさいと言ってくれるはずなのだ。
「おい、お前…大丈夫か。」
…体調が悪くて倒れてるとか?
嫌な予感が男の頭の中に広がっていく。
「おい!いるなら返事しろ!」
男は靴を乱暴に脱いで居間へと
速足で向かった。
そこにも女はいなかった。
しかし、その代わりに
「これは…まさか!変な輩にアイツ攫われて…!」
真っ暗になったテーブルに
1枚の手紙がおかれていた。
緊張してハサミで封を切ると
中の紙には黒い文字が一言、短く並んでいた。
ー さようなら ー
大きくはっきりとその手紙に
そう書かれていた。
コメント
7件
更新ありがとうございます😭😭😭 男性の昔の思考にお別れするのかな?と読み進めて行ったら…😭 「悲しそうな顔」で薄々勘づいてはいたのですが、なんというタイミング…! 女性の思考も勿論のこと、この後の男性の行動がとても気になります…
嘘だぁ...🤧 題名からきっとやばい展開が来るっと薄々感づいていたのですが、幸せを感じ始めたこのタイミングで来ましたか...なんて儚い感情だろう。 ...とても好きです👍