太陽が西に沈んでいく頃。
赤いストールを肩に掛けた男は、ゆっくりと瞼を開けた。
側のベットの上には、一人の少年が眠っている。
其処は一つの診療室だった。周りには他にもベットが規則正しく並べられている。
男の名は森鴎外────ポートマフィアの首領である。
「鴎外殿」
静かな声で室内に女性が這入って来た。
華やかな着物に見を包み、其れでも尚、可愛らしさを感じさせる装飾は、背後に花々があるかのような美しい雰囲気を漂わせる。
彼女は尾崎紅葉────ポートマフィアの幹部であり、金色夜叉という異能を持つ。
「太宰の様子は如何かえ?」
森が座る椅子の対面する席に、紅葉が腰を下ろした。
「命に別状はないけれど、一向に目を覚まさない」
「そうか…………」
紅葉は深刻気な表情をする。森は顔を曇らせて、少年────太宰を見た。
「……………」
「……然しお主は、随分父親らしい面影を持ったのう」
其の場の空気を和ませるかのように、紅葉が楚々と笑う。
森は其の言葉に苦笑しながら云った。
「そうかな?でも紅葉君も母親らしくなってるじゃないか」
「っ……///」紅葉の顔が赤くなる。「ぅ、煩いわっ!///」
彼女の膝の上には桶が乗せられており、其の中には体温程の微温(ヌルマ)湯と、新品の肌心地の良い布が入っていた。
紅葉は微温湯に浸けた布を絞ると、太宰の額に乗せる。氷嚢の代わりである。然し其れは温かさを感じさせる物だった。
「そんな事するのは母親くらいだよ」
森が微笑する。
「そっ……抑々、何故中也を行かせたのかえ?」
話を切り替えるように、紅葉が云った。
「中也君直属の部隊も居るし、芥川君や樋口君、黒蜥蜴も居るから特に問題は無いと思うよ」
閉じた瞼をゆっくりと開け、森は云った。
「太宰君の予想外が起きなければね」
「…………予想外が起きる起きないの問題では無い。梶井に任せれば後数日程度で解毒薬が出来たろうに、態々行かせる理由等無い………」
「でも、太宰君が何を考えているのか私も判っていないのだよねぇ、名探偵殿のように直ぐに推理できる訳でもないし……」
再び森は柔らかく苦笑した。
「何を言云うとる。よもや、お主が何もせずに只太宰を元の姿に戻して探偵社に送る気なのかえ?」
紅葉の言葉に、森が薄い笑みを浮かべる。
「そんな事は無いよ、折角の好機だ」
森が太宰に視線を移した。
「私はこの時の太宰君を知らない。そしてまた彼も私を知らない」何処か含みのある口調で森は続ける。「太宰君を再び連れ戻す絶好の好機────此れを逃すなんて勿体無いと思わないかね?」
暫くの沈黙の間、紅葉は顔をしかめていた。
そして一言。
「…………本当に、お主だけは敵に回したくないのう」
「褒めてくれたのかね?嬉しいなぁ」
「褒めておらんわ!」
森が微笑む。紅葉は溜め息混じりの息を吐いた。
「それにしても幼児化の薬、か…………変な物を作りよるのう」
「躰だけでは無く、記憶迄も戻ってしまう…………躰だけの幼児科なら、まだ使い勝手があったのだけどねぇ」
その言葉に、紅葉は引きながら森を睨む。森が苦笑した。
「────ん?待て、今記憶と云うたかえ?」紅葉がやや落ち着きがない声で云う。「確か太宰が中也と出る時、一人称が“僕”になっておったぞ」
森が目を丸くした。
「僕、か………………成程ねぇ」
考え込むように、森が顎に指を添える。
「何か解ったのかえ?」
「否、何も?」
「ならば、何に成程なのかえ?」
「疑問が浮かんだ事に成程と云ったのだよ」
紅葉が首を傾げた。森が続ける。
「僕────と云う事は、確実に太宰君の記憶は五年以上前のものになっている筈………」
「だが自身が幼児の状態になっている事に驚いた素振りは見せなかったぞ」
「其処なのだよ」森が薄い笑みを浮かべる。「五年以上前の記憶に戻っているにも関わらず、現在起きている事について何故知っていたのか…………」
「記憶が過去の状態に戻っていないとでも云うのかえ?」
「否、それは無い」
森は太宰に視線を移した後、もう一度紅葉と視線を合わせた。
「太宰君自身が記憶が着実に過去に戻されている、と云っていたからね」
「………………と云う事は?」
「薬の効果が薄れたのか、或いは────」
『過去の自分に今起きている事を伝えたか』
「そんな事が可能なのかえ?」
「あくまで仮説だからね、でも太宰君だからなぁ」
「出来るかもしれぬと、そう云いたいのか?」
紅葉の言葉に、森は肯定の笑みを浮かべた。
溜め息混じりの息を吐いた後、紅葉はベットの上で眠る太宰に視線を移す。
「………本に、悪魔のような子じゃのう」
口元を袖で隠しながら静かに云った後、紅葉はギラリと森を睨んだ。
「何処かの誰かが『人が嫌がる事は進んでしましょう』等教えたからのう」
「えぇ〜……」
森が冷や汗を流す。紅葉が溜め息を付いた。
『リンタロウーっ!』
少女の明るい声が病室の入口から響く。
「エリスちゃん……」
『ふふっ』エリスは森の側に来た後、ドレスのポケットから小綺麗な封書を取り出した。『太宰からの手紙よ!』
「手紙……?」
エリスから封書を受け取り、森は中から便箋を取り出した。ベットの端にエリスが肘を置き、頬杖をつきながら森を見る。
紅葉は口元に袖を寄せながら、少し疑うような目で便箋を見る森を見つめた。
森が一文字目に視線を移す。
目を丸くした。
「これは…………」
「何が書いてあるのかえ?」
素早く紅葉が問う。
森は紅葉の質問に暫く黙り込んだ。
「成程…………」
そう云って薄い笑みを浮かべた後、森は太宰に視線を移す。
「予想外を予測したと云う訳か………」
エリスと紅葉が首を傾げた。
「それだけでは無く、眠っていても尚交渉を持ち掛けてくるとは…………」
そう云う森は、何処か嬉しそうな笑みを浮かべている。
「正にアクマの子だね」
森の言葉に、エリスがどことなく笑顔になった。
太宰からの手紙の内容は────────。
***
「――――。」
「―――――っ―――――!」
話し声が響く。
其処は地下であった。地下でも尚、とてつもない広さである。
「上手く抽出できたか?」
背広のある白衣の男が、バインダーを片手に抱えた白衣の男に話しかける。
バインダーを持った男は部下であった。
「はい、滞りなく」
部下の男がそう云うと、白衣の男────れいの薬について任された指揮官は、薄っすらと笑みを浮かべた。
「指揮官っ!」
離れからもう一人白衣を着た男が走ってきた。彼も部下であった。
「抽出した薬物で、――――――。」
走ってきた男は手に持っていた銃と弾丸を二人に見せる。
「おぉ、素晴らしい」
高揚した声色で、指揮官である白衣の男は銃弾を手に取り電灯にかざした。
「性能は本物です」
「良くやった、今直ぐコレを武装部隊に配付しろ」
「はい、既に行っております」走ってきた男は得意気な表情で続ける。「あと一時間程すれば、全ての銃弾との交換が完了します」
「仕事が疾くて助かるよ」
そう云って、指揮官は白衣の男の肩にぽんっと手を置いた。
其れは信頼と共に功績を称えるものでもあった。
「はいっ!」
彼の瞳に綺羅(キラ)びやかな光が宿る。
指揮官は小さく微笑んでその場を去った。
「…………やったな」
側に居たもう一人の白衣の男が、肘で男の躰を突く。
「嗚呼!コレさえ完璧に揃える事が出来れば、黒社会最強と謳われた双黒だってす」
「重力操作」
──────ドガンッ!!!
鉄で作られ厳重に閉ざされていた筈の扉が、奥の方に“弾け飛ぶ”。
「っ…!!」
「何だ!??」
中に居た者達は奥の壁にめり込んだ鉄の扉を見た後、飛んで来た方に視線を移した。
「ヘェ、地下の割には普通にでけェじゃねェか、期待させてくれるなァ」
靴音を響かせながら、青年が背後に数人連れて階段を降りていく。
「なっ!お前はっ!?」
先程の白衣を着た男が声を荒らげながら云った。
「何だァ?敵の名前すら憶えてねぇのかよ」
赫色の髪に、全てを呑み込むような青い瞳。瞳に宿った鋭い光が、男達を射貫いた。
「真逆……っ!」
「ポートマフィア幹部!中原中也!!?」
「ははっ」
中也が笑みを浮かべる。
「ひっ……」
男達は恐怖に溢れ返った。
「ぅ……っ、うわああぁぁぁ!!!」
白衣の男達は奥の方へ悲鳴を上げながら走り出し、代わりに武装した黒服の男達が前に出た。
『異能力──────汚れつちまつた悲しみに』
中也の躰が重力に覆われる。
背後に居た中也の直属武装部隊、芥川や樋口、黒蜥蜴が、靴音を響かせて前に出た。ゆっくりと中也は前に手をかざす。
重力からは、誰も逃げられない。
「手前等、全部ぶち壊すぞ─────!」
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