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大陸西岸
灰色の海に面して築かれた国がある。
エスカリオ商王国。
この国の富は土地ではなく、港にある。
西海に面したこの国家は、いくつもの巨大な港湾都市を持つ。
遠い南の香辛料、北の毛皮、東の鉄、そして大陸中央の穀物。
あらゆる商品がこの港に集まり、再び海へと運ばれていく。
海運こそが、この国の血流だった。
だがその地形は、奇妙でもあった。
港の背後に広がるのは平野ではない。
海岸線から少し内陸へ入ると、地面は急激に隆起する。
まるで大陸が壁を立てたかのような、
絶壁とも呼べる崖の連なり。
その崖の上に大陸の道があり、
下に港の都市がある。
つまり――
陸からこの国へ入る道は、わずかな峠道しか存在しない。
しかもその道は険しく、盗賊や野党が多い。
商隊は必ず武装護衛を必要とした。
そのため港には、もう一つの「商品」が集まる。
傭兵である。
剣を売る者。
槍を貸す者。
戦争を請け負う者。
港の酒場には常に傭兵団が屯し、
仕事と金の匂いを嗅ぎつけていた。
そしてこの国は――
奇妙なことに常備軍を持たない。
国家の運営は王家ではなく、
巨大商人たちによる合議で行われる。
交易会社の長、造船商会の主、
金融を握る両替商、そして香辛料商人。
彼らが議会を開き、
税率、貿易、傭兵契約、戦争までも決める。
国家というより――
巨大な商会。
あるいは
株式会社のような国家。
そしてその商人たちの中でも、
圧倒的な財力を持つ男がいた。
カルド。
港三つ、造船所二つ、
傭兵団との独占契約、
そして莫大な金融資本。
誰も彼に逆らえなかった。
形式上は合議制。
しかし実質は一人の男が決める。
いつしか人々は彼をこう呼ぶようになった。
商王カルド。
金で王冠を買った男である。
港の商館で会議が開かれていた。
カルドは報告書を一瞥し、つまらなそうに言った。
「軍事侵攻?」
肩をすくめる。
「相変わらず馬鹿なことをする連中だ」
「おかげで破産の危機だ」
金貨を弾く。
「ケロン」
「は」
「傭兵を集めろ。様子見て国境へ」
「ククルース」
「はい」
カルドは笑う。
「ちょっと金突っ込んでみるか
やられっぱなしは嫌だしね」
地図を叩く。
「全部かっさらえるかもしれん」
そして言った。
「新兵器も試したいしね」
南方スカーレット王国。
南方に位置するスカーレット王国は、緑の豊かな国である。
温暖な気候と深い森、ゆるやかな草原が広がり、川は海へと絶えず水を送り続けていた。
海は魚に満ち、沿岸の町では古くから漁業が盛んである。
港には塩と魚、毛皮と馬が集まり、南の国々との交易も盛んだった。
しかしこの国を特徴づけるのは、土地でも資源でもない。
血統である。
スカーレット王国は古来より女系によって王位が継承される国家だった。
王冠は常に女王に受け継がれる。
過去、幾度か王配や父王が実権を握ったことがあった。
だがその度に宮廷は乱れ、貴族は争い、国は不安定になった。
それ以来、王国では一つの言葉が半ば格言のように語られている。
「この国を治めるのは、スカーレットの女王のみ」
それは一種宗教でもあった。
その気風は軍にも現れていた。
草原では小柄で俊敏な馬が育つ。
この馬は長距離を駆け、湿地でも足を取られない。
その馬を操るのは、王国の女戦士たちである。
幼い頃から弓と槍、そして騎乗を叩き込まれた彼女たちは
軽装のまま草原を疾走し、敵の陣を翻弄する。
外の国は彼女たちをこう呼んだ。
アマゾネス軍団。
スカーレット王国軍の主力は、この女騎兵である。
軽騎兵の突撃、機動、包囲。
草原の戦では彼女たちに並ぶ軍はいないと言われていた。
帝国の侵攻の少し前、
ククス・ゼイオンはここを訪れていた。
女王レイナ・スカーレットが赤銅の玉座に腰かけていた。
王都の宮殿は石と朱で造られ、武の国らしく華美さより実用が前に出ている。
壁には槍と盾が飾られ、列柱の間を鎧姿の女兵たちが静かに行き交う。
その王座の前に、一人の客人が立っていた。
ぼろの外套に、擦り切れた革靴。
宮殿の中央に立っているのが場違いに見えるほど薄汚れているのに、
なぜか誰も彼を軽んじられない。老いているわけではない。
だが成熟しきった獣のような、完成された危険さがあった。
レイナは片肘をつき、冷ややかな目で彼を見る。
「ヴァルガルドの使節にしては、ずいぶん貧相ね、ゼイオン」
「軍師は着飾らぬものです」
「嘘ね。あなたは単に興味がないだけ」
ゼイオンは笑った。
「それで、女王陛下はどうされます。北が動き、
西も匂いを嗅ぎ、中央の小国は震えている。
最も誇り高い南の王は、ただ座して眺めておいでか」
「焚きつけに来たの?」
「まさか」
そう言いながら、男の目は明らかに焚きつけていた。
レイナは玉座から立ち上がる。長い赤髪が揺れ、腰の剣飾りが小さく鳴った。
「グラツィアが落ちるのは時間の問題でしょう。
けれど、ヴァルガルドが手に入れるのは気に入らない。
エスカリオに横から掠め取られるのも同じ」
「さすがに率直だ」
「遠回しは嫌いなの」
レイナは玉座の段を下り、ゼイオンの前まで来る。
「あなたの弟子が、今グラツィアにいるそうね」
ゼイオンの目がわずかに細くなる。
「耳が早い」
「こちらにも耳はある」
一拍。
「サイラス・イシル」
その名を口にしたときだけ、レイナの声音には微かな棘が混じった。
「変わった?」
ゼイオンは少し考えるように空を見てから答えた。
「弱くなりました」
「そう」
「ですが」
そこで彼は口元を歪める。
「面白くなった」
レイナの目が冷える。
「灰野でも、そう言ったの?」
ゼイオンは否定しなかった。
沈黙が落ちる。
宮殿の奥で、甲冑の擦れる小さな音だけが響いた。
「村が一つ消えた」
レイナは静かに言った。
「私がまだ王女だった頃よ。焼けた村の朝に、
立ち尽くしていた少年軍師を見た。
勝ったはずなのに、死人みたいな顔をしていた」
ゼイオンは肩をすくめる。
「戦とはそういうものです」
「私はそうは思わない」
「だからこそ、今の貴女は王なのでしょう」
レイナはしばし彼を見つめ、それから背を向けた。
「帰りなさい、ゼイオン。あなたの国に伝えるといい。
スカーレットは誰にも従わない」
「承知しました」
「あと一つ」
レイナは振り返らないまま言う。
「もしサイラスがまた同じ策を取るなら、今度は私が彼を殺す」
ゼイオンは笑った。
「たぶん、もう取れませんよ」
「なぜ分かるの」
「灰野の朝から、あの弟子はずっと焼け跡に立っている」
レイナは答えなかった。
ゼイオンが去ったあとも、彼女はしばらく窓の外を見つめていた。
南の空は高く、風は乾いている。
その向こうにある小国で、かつて炎の中にいた少年が、今も戦っている。
「……なら見せてみなさい」
誰に向けたものでもない、小さな呟きだった。
ゼイオンの使者団が城門を出ていく。
その背を、女王レイナが見ていた。
隣にはアマゾネス隊長エレン。
「戦を好む男を生かしておくと、ろくなことにならない」
レイナは言った。
「男は何のために戦うのかしら」
少し沈黙。
「私がこの国へ戻ったとき」
声が低くなる。
「母を殺した男は命乞いをした」
「助けてください。
許してください。」と
「権力も」
「領土も」
「金も」
一つずつ言う。
「覚悟がない者が持つ資格はない」
レイナは遠くを見る。
「あの男の誇りはどれほどのものか」
小さく笑う。
「見る機会が近い気がするわ」
「エレン、三千騎の用意おねがい。
私も後から行く。
名目は王国南西に位置する少数民族の安全確保
ということにしておきましょう。」
ヴァルガルド帝国軍本陣。
三万の軍が野営していた。
その中心に立つ男。
ククス・ゼイオン。
将が問う。
「ここから王都にむかいますか」
ゼイオンは首を振る。
「いや」
地図を指す。
「やつらには盤の上で踊ってもらう」
その時。
偵察騎兵が戻る。
「報告!」
「王国軍王都に集結中!」
ゼイオンは振り向く。
「そうか」
「サイラス、ちっとは成長したか?」
ゼイオンは静かに笑った。
焚火の光が顔を照らす。
王城軍議。
伝令が叫ぶ。
「敵軍監判明!」
「名は」
「ククス・ゼイオン!」
広間が凍る。
王が問う。
「知っているのか」
サイラスは答えた。
「ええ」
静かに。
「私に戦を教えた人です」
沈黙。
サイラスは地図を見る。
「ここからが」
ゆっくり言った。
「本当の戦です」
ククス・ゼイオン。
その名が軍議の広間に落ちた瞬間、空気は凍りついた。
三万の帝国軍という現実的な脅威よりも、むしろその軍を率いる男の存在が問題だった。
「……誰だ」
王ヨシュアが低く問う。
答えたのは老臣バルディスだった。
「流浪の軍監。仕えた国を三年で強国に変える、と言われております」
「噂です」
サイラスが静かに言った。
広間の視線が集まる。
「ですが、誇張ではありません」
ガイロが腕を組んだまま唸る。
「つまり敵の軍監は、お前の師匠か」
「ええ」
「……最悪だな」
ガイロが腕を組んで吐き捨てる。
「お前の策を全部知ってる相手ってことだろう」
「いいえ」
サイラスは静かに首を振った。
「私が知っている策の、さらに先を知っています」
その言い方には、敬意より警戒が強かった。
王ヨシュアが玉座の前から一段下りる。
「軍師」
「はい」
「勝てるか」
サイラスは少しだけ考えた。
「普通に戦えば負けます」
広間がざわめく。
「だから普通には戦いません」
サイラスは机に三通の書状を置いた。
「ゼイオンが帝国軍のみでこの国に侵入したとは考えられません」
「エスカリオ、スカーレットとも示し合わせたと思われます」
「そこで」
「三国を疑わせます」
北。
ヴァルガルド帝国。
西。
エスカリオ商王国。
南。
スカーレット王国。
「もともと三国は互いを信用していません」
サイラスは地図を叩く。
「疑いを植え、牽制しあえば三万の軍も動けなくなる」
王ヨシュアはしばらく沈黙した。
やがて言った。
「頼んだぞ」
「御意」
その日の夜。
王城の裏門から三組の使者が出た。
北へ向かう正式使節。
西へ向かう商人に化けた密偵。
そして南へ向かうのはユンナだった。
「盗まれるための手紙を運ぶって、改めてひどい任務ですね」
ユンナは笑った。
サイラスは封を差し出す。
「危険です」
「危険じゃない仕事、私に来たことありましたっけ」
ユンナは封を懐にしまう。
「でも本当にいいんですか。南はスカーレットですよ」
「知っています」
「嫌われてる?」
「ええ」
ユンナは肩をすくめる。
「ますます楽しそうですね」
サイラスは答えなかった。
ユンナは馬に飛び乗る。
「じゃ、盗まれてきます」
「無事で」
「善処しまーす」
軽い声を残して、彼女は夜の街道へ消えた。
その夜。
サイラスは眠れなかった。
ゼイオンの名は、どうしても一つの夜へ繋がる。
灰野。
その名を思い出すだけで、焦げた匂いが鼻の奥に蘇る。
あのときサイラスは、今よりずっと若かった。
右腕もあった。
敵は一万。
こちらは三千。
正面から戦えば敗北する。
誰の目にも明らかだった。
軍議の天幕で、若いサイラスは地図を前にしていた。
「補給路はここです」
彼が指したのは灰野の村だった。
小さな農村。
だが敵軍の兵糧中継点としては最適だった。
「焼けばいい」
沈黙が落ちた。
その沈黙の中で、ゼイオンだけが笑った。
『なるほど』
黒い外套の男は楽しそうに言う。
『敵の腹を空かせるか』
サイラスは頷いた。
「兵糧を断てば敵は撤退します」
それが最初の命令だった。
最初は確かに、それだけだったのだ。
夜半。
灰野の村に火がついた。
倉を焼け。
その指示だけだった。
だが炎は広がった。
兵たちは次々に村を襲った。
藁屋根を燃やし、風に煽られ、隣家へ燃え移る。
村は赤く染まるのに時間はかからなかった。
「火だ!」
「逃げろ!」
叫び声。
泣き声。
兵の怒号。
命令は歪み始める。
捕えろ。
射て。
殺せ。
誰も止められなかった。
「サイラス!」
振り向く。
幼なじみのレオルだった。
「止めろ!」
レオルは叫ぶ。
「村人まで殺してる!」
「ちがう、敵の補給路だけだ!」
サイラスも叫び返す。
「ここを焼かなければ負ける!」
「違う!」
レオルが怒鳴る。
「これは戦じゃない!村人を虐殺してんだぞ!」
その瞬間。
倉が爆発した。
閃光。
轟音。
熱風。
地面が揺れ、視界が白く染まる。
気がつくとサイラスは地面に倒れていた。
右腕がなかった。
隣でレオルが動かない。
サイラスは燃える村を見て叫んだ。
「こんなはずじゃ、、、」
炎が揺れる。
「こんなはずじゃ、、、」
「守りたかったんだ!おれは、
みんなを、この国を
戦から、みんなを
守りたかったんだ!」
そのとき。
川辺に一人の少女が立っていた。
十歳か、もう少し幼いか。煤で汚れた頬、震える肩、だが目だけはまっすぐだった。
彼女はサイラスを見て言った。
「あなた、その恰好、軍師なんでしょう」
サイラスは答えられない。
少女は静かに続ける。
「賢さを暴力に変える人は、賢さの使い方を間違えてるわ」
サイラスは息を呑んだ。
その言葉は責める声ではなかった。怒鳴りでも、呪いでもない。ただ、理解できないという静かな否定だった。
少女は焼けた村を見た。
「醜い世界」
遠くで、馬の蹄の音がした。
少女の顔が変わる。
森の奥から数騎の兵が現れる。この国の軍ではない紋章を隠した軽装の兵だった。
少女の背後から、一人の女が現れる。剣を持った近習だった。
「姫様!」
サイラスは呆然とする。
少女は小さく言った。
「私はレイナ」
そして、ためらわずに続けた。
「スカーレット王国の王女よ」
王女。
なぜこんな村に、と思うより先に、近習が答えた。
「やはり王宮で政変が起きました。女王は殺され、父君様も追われています」
その説明を、サイラスは半分も理解できなかった。
ただ、焼け跡に立つ少女が、悲しそうな顔をしていることだけは分かった。
レイナは近習の剣を見た。
「貸して」
「姫様?」
「いいから」
少女は剣を受け取る。まだ重そうだった。それでも、両手で強く握った。
「私、もう逃げない」
近習が息を呑む。
「このままだと」
レイナは焼けた村を見た。
「こうなる」
それからサイラスを見る。
「あなたの醜い戦い方みたいな世界を私は誰よりも憎むわ」
その言葉は、刃より深く刺さった。
そこでサイラスは目を覚ました。
右肩の古傷が疼いていた。
机の上には外交文書。
彼は小さく呟く。
「今度こそ……焼かずに勝つ」
数日後。
西方では噂が広がっていた。
ヴァルガルドがグラツィアでの徴発にふみきったらしい。
現地で食料は不足し値段は高騰した
エスカリオ商人たちはざわめき陸路へと殺到した。
カルドは笑った。
「面白い」
「北はそうとう焦っているな」
「いや余裕なのか」
金貨を弾く。
「傭兵は動かす」
「だがヴァルガルドには売らん」
商人たちが笑った。
「儲かるぞ」