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「魚井秘書、これはすぐにでも推進すべきグレートなプロジェクトではないか!」
「常務……。常務が格闘技好きはわかっていますが、だからといってそう簡単に判断されてはなりません。国内で展開中の『マーシャルFC』の運営も厳しい状況であることをご考慮ください」
「おい、キャプテン。一旦整理をしてくれるか」
「えっ、はい? キャプテン? どういう意味でしょうか」
興奮のあまりチャットで送るべき内容を、魚井玲奈に伝えてしまった。
「あ、うう……いや、違うんだ。ちょっと興奮しすぎてしまったようだ……。魚井秘書、この件について少しひとりで考える時間をもちたい。また何かあれば呼ぶので、一旦退出してくれないか」
「常務。落ち着かれるのはいいことですが、あまり時間をかけてはならないと思います」
「どういう意味だ」
「もし常務が私と同じようなご意見でしたら、すぐにでも堀口課長を呼び戻すべきかと」
「それは……一介の秘書がグループの決定に不服だと言いたいのかな?」
「申し訳ございません」
魚井玲奈は平然とした表情のまま頭を下げた。
「いいだろう。なら我々ふたりを代表して、俺が不服を訴えるとするか。現段階では真実が何かはわからないが、とにかく堀口課長を呼び戻してから裁判でも何でもやったほうがいいだろう。まったく、副会長は社員を何だと思っているんだ」
吾妻勇太による突然の政策転換は、勇信にとってもあまりに多くの疑問が残った。
今後の方針を実行するのは別に今でなくてもよかった。副会長が健在であることが十分に浸透し、なおかつグループ全体を覆う不穏な空気を一掃してからでもよかったはずだ。
勇信の内部に、兄に対する反感がたしかに存在していた。
「色々と話してしまい、本当に申し訳ございませんでした。秘書として一線を越えたことを、深く反省しております」
「正直に話すようにといったのはこっちだ」
「ありがとうございます。それではこの件についてはあまり気にせず、私は失礼いたします」
魚井玲奈が去るのを確認したあと、ポジティブマンはつなぎっぱなしにしていた携帯電話を手に取った。
「おい、キャプテン。一旦状況を整理してくれるか」
ポジティブマンが話し終えると同時に、テキストメッセージが入った。
[堀口さんを探し出す前に、まずは直接兄さんにかけ合うべきだろう。先の会見内容が本心だったのかどうか。あまりに突然のことで、疑わしくてたまらん。人が変わるにしても、あまりにも変わりすぎだろ。どんな心理的変化があったのか、しっかりと話してみてくれ]
「堀口さんを探すことに反対はしないんだな? あまのじゃくを除けば誰ひとり直接会ったことないんだぞ? 彼がどういった人物かわかってないのに信じるというのか?」
[20年前に会った]
[大事な秘密を俺たちだけに教えてくれた]
ふたつのメッセージが同時に入った。
「ああ……おまえらも当時のことを思い出したんだな。さすがは同一人物だ。まったくもって個性もなにもあったもんじゃない」
[さっさと兄さんに会ってくるんだ。できれば音声だけじゃなく、映像も繋いでくれればありがたいんだがな」
「映像はさすがに危険だ。いつものように音だけで我慢してくれ」
ポジティブマンは携帯電話をポケットに入れて執務室を出た。
廊下に出ると、多くの社員が立ち上がり頭を下げた。
副会長室へと歩きながら、社内の雰囲気を確認するため社員たちの様子を伺った。異常なほど陰うつな空気が全体に漂っていた。
ポジティブマンは立ち止まり、目の前で礼をする社員の名札をすばやく見た。
「赤野沙織さんですね。ひとつ聞いてもよろしいですか」
「えっ? あ、私ですか、常務」
「ここには赤野沙織さんが数名いらっしゃるんですか」
「あ、いえ。私だけが赤野沙織です。はい、常務。何でもおっしゃってください!」
多くの社員たちが仕事の手をとめて直立不動している。
「先ほどの副会長の発言についてどう思われましたか。正直な感想を聞かせてください」
ポジティブマンの問いかけに、赤野沙織の表情が瞬時に緊張に包まれた。
「はい、常務! それはそれは素晴らしいご決断だと思いました! グループのために下された方針であり、さすが副会長といったような前向きなお考えだと感じました!」
「赤野さん個人にとってはやや負担になりませんか。一言でいうなら、楽は許さないという意味だと思うのですが?」
「そんな、負担だなんて。もっと気を引き締めてがんばろうと思っています!」
「それなのにどうして皆さん、そんなに緊張した面持ちで立っているのでしょう」
「そ……それは」
「私が説明します、常務」
赤野沙織のすぐ後ろにいた社員が、ポジティブマンの前にやってきた。
「あなたは」
「よろしくお願いいたします。営業第一課の吉田直也(よしだなおや)と申します」
「――吉田直也さん」
はじめて見る男だった。