——警視総監の言葉が、月原の心を温めた。だが、公安部を蝕む闇と「人間じゃない何か」の影は、消えない。仲間たちの無事が確認された時、月原は初めて、深い安堵と、守るべき命への確かな「思いやり」を感じる。そして、彼ら一人ひとりの心に潜む「迷宮」の入り口が、静かに開かれ始める。—— 廃工場での捜索を終えた月原は、パトカーの運転席でインカムを握りしめたまま、深く息を吐いた。身体の疲労もさることながら、精神的な消耗が激しい。公安部内部の裏切り者、荻野原日真惢の存在。そして、河口と内宇利が口にした「人間じゃねえ」という言葉。全てが、彼が信じる「法」の秩序を揺るがすものだった。両親を失った13年前の深い傷が、再び疼き出すような感覚に囚われていた。
その時、インカムから水科彩の、これまでにないほど明るく、安堵に満ちた声が飛び込んできた。
「主任!河口さんと内宇利さん、無事です!」
月原の脳裏をよぎった最悪のシナリオが、一瞬にして消え去る。一瞬、呼吸すら忘れ、彼の胸に深い安堵が込み上げた。張り詰めていた心が、ゆっくりと解けていく。守るべき仲間を失うかもしれないという恐怖が去り、じんわりとした温かい感情が広がった。
「無事だと!?どこにいる!」月原の声が、微かに震えた。
「現在、公安部の秘密病院へ救急搬送中です。意識は不明ですが、命に別状はないとのこと。搬送ルートの特定は、赤山さんのドローン追跡のおかげです!主任、本当に良かった……!」水科の声も、涙声に近かった。
月原は無意識のうちにハンドルを強く握りしめた。赤山の冷静な判断が、最悪の事態を免れたのだ。仲間の連携が、彼らの命を繋いだ。この「ゼロの執行室」という秘密組織で、共に戦う仲間たちの存在が、月原の心に確かな安心を与えていた。
月原はすぐにパトカーのエンジンをかけ、秘密病院へと急いだ。インカムからは、他のメンバーたちの安堵の声が次々と聞こえてくる。
「河口と内宇利が助かっただと?奇跡か……いや、月原主任が諦めなかったからだ」五十嵐隼人の声に、心からの安堵と、月原への信頼が込められていた。
「よかった、本当によかった……」綾口円香も、鑑識官としての冷静さを忘れて、嗚咽を漏らしているのが聞こえた。
「主任、貴方は決して一人じゃない。我々が、必ず支えます」齋藤和也の若々しくも力強い声が、月原の心に温かい響きを与えた。
月原の頭の中には、先ほどの警視総監・桑野誠弥との通話が反響している。桑野の沈痛な声、そして彼を「唯一の剣」と呼んだその言葉には、公安部の頂点に立つ者としての責任と、月原の育ての親としての深い温もりが宿っていた。孤独な戦いだと思っていたが、桑野は常に、彼の**「迷宮」**の入り口に光を灯し続けてくれている。それは、月原が両親を失った後、初めて感じた「家族の温かさ」に近いものだった。
「吾妻、荻野原日真惢の追跡状況は!?」月原は、冷静な声を取り戻し、次の指示を求めた。
吾妻月遥(心理分析官、ケア担当)の声が、月原の意識を再び任務へと引き戻す。「主任。赤杉碕刀と満重里倫也が、荻野原の資金の流れを追っていますが、彼女は公安部内の秘匿回線や、偽装された海外口座を巧妙に利用しています。追跡は難航していますが、動きは掴んでいます。ですが……」
「だが、何だ」月原は先を促した。
「彼女が動機について、**何らかの『大義』を信じている心理的傾向が強く出ています。自己犠牲的な傾向まで……」吾妻は、分析結果を淡々と報告した。
吾妻の言葉に、月原は眉をひそめた。自己犠牲的な「大義」。それは、月原自身が「贖罪」という形で抱える「迷宮」にも通じるものがある。公安部の荻野原が、何のために「ゼロの執行室」を裏切ったのか。その真意が、月原の新たな「迷宮」**の入り口となる。
(思考)「俺と同じ『大義』を抱えているというのか?そんなはずはない……」月原の心に、荻野原への疑念と共に、自身の「贖罪」の重みが再びのしかかる。彼自身の「迷宮」の核心にある、両親の死の真実と、法では裁けなかった過去への葛藤が、再び彼を苦しめ始める。
月原が秘密病院に到着すると、通路で管理官・楝紅和三葉が待っていた。彼女の顔には、安堵と同時に、深い疲労の色が浮かんでいる。
「月原主任。よく間に合ったわね。河口と内宇利は、一命を取り留めた。本当に良かった……」楝紅和の言葉には、安堵と共に、心からの思いやりが滲んでいた。「しかし、彼らは極度の精神的ショック状態にある。目覚めたとしても、すぐに聴取は難しいでしょう」
楝紅和は、月原にそっと手を置いた。「だが、これで希望が見えたわ。あなたの『剣』は、まだ折れていない。一人で抱え込もうとしないで。私たちはチームよ」
その言葉は、桑野の「親の温もり」とは違う、しかし確かな**「仲間の温もり」が込められていた。月原は、河口と内宇利が搬送された病室のドアを見つめる。彼らの無事は、月原にとって何よりも心強い「希望の光」だった。
13年前、両親を失った時のような絶望は、今はここにはない。あの時、誰も守れなかった自分とは違う。彼らは生きている。その事実が、月原の心をじんわりと温め、彼らを絶対に見捨てることはできないという、強い思いやりが湧き上がってくる。
そして、この事件で巻き込まれ、今もどこかで怯えているであろう双子の姉妹、そして過去の「国家の過ち」によって犠牲になった全ての人々。その悲しい記憶が、彼らを守り抜くという強い決意**へと変わっていく。この温かさと、そしてまだ残る痛みが、月原の「贖罪」を突き動かす原動力となるのだ。
月原は、公安部の秘密病院の廊下で、警視総監からの親の温もりと、共に戦う仲間たちの無事という安心を胸に、しかし、目の前に広がる事件の深淵に、静かに瞳を凝らした。彼の「贖罪」は、今、大切なものへの深い思いやりと共に、そして、彼自身の、そして仲間たちの心に潜む、それぞれの**「迷宮」**が静かに開かれ始める中で、新たな局面を迎える。
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