エルンは、その場から動かない。剣を握りしめたまま、未だ信じ切れないといった具合に、まだ闘志を失っていなかった。
「おい。君は馬鹿なのか」
「えっ、いきなり何を言って──ぐあっ!?」
翡翠の宝玉で頭を叩かれて悶絶する。
「勝てる相手かどうかの見極めもつかないのでは、いずれ命を落とすぞ。これ以上は時間の無駄だ、実力の差は見せつけた。もう十分だろう」
杖で肩をとんとん叩きながら、もう興味の失せたエルンの相手はせずに、振り返って、問題はこいつだとばかりにクオリアを睨む。
「大魔導師はただ強いだけでは駄目だ。人々に寄り添える者だからこそ、魔塔は大魔導師の称号を与えるんだ。それを、君は実力主義的な物言いをして……侮辱も甚だしい。私がいない間に、魔塔は本当に根から腐りかけていたようだな」
現魔塔主のカトリナであれば選ばなかったであろう、大魔導師の姿は、ヒルデガルドの胸に悩みの種をぽつりと芽生えさせた。
密やかに勢力を拡大していたウルゼンの影響もあってか、その勢力拡大のために駒として取り込もうとした結果、彼女もよく知らない魔導師たちはそれなりにいる。相応しいと思えない者が現れるのも当然だ。大魔導師としての基準は、あくまで人々の役に立つだけでなく、寄り添った考えを示せる者でなくてはならない。『自分たちは優秀である』などと口が裂けても言っていいことではないのだ。
クオリアの態度は、大魔導師に相応しくないそれだった。
「大魔導師の称号は返してもらおう。君に正しい資質はない」
「そ、そんな……申し訳ありません、大賢者様……!」
「甘えたことをほざくな。君のような魔導師など関わりたくもない」
杖を片付け、決着はついた、とイーリスのもとへ歩み寄ろうとする。刹那、背後に感じた闘気に小さく振り向いた。イーリスが「危ない!」と叫んだのを聞きながら、背後に剣を振り上げるエルンを見て──。
「下手な不意打ちはやめておけ。自分の価値を下げるぞ」
彼女が片手をあげただけで、エルンの足下から土くれの巨腕が彼を突き上げた。魔法陣も必要としない低級な魔法だが、使う人間が使えば驚異的な威力になる。
それでも彼は身を翻してうまく着地し、剣を構え直す。
「俺はまだ諦めてない。クレイやあなたを目指して、俺たちはここにいる。まだ本気でやってもいないうちから、実力の差を見せつけたなどと言わないでくれ」
満ち溢れる闘気。彼の言葉に、クオリアも立ち上がった。ここまで来れば、やれるとこまでやってみたいと思ったのだ。そんな二人を前に、ヒルデガルドは徹底的に心を折るべきだと考えた。自分以外の誰かがねじ伏せる形で。
「……そうか。ではイーリス、こっちへ」
「えっ! ぼ、ボクが戦うの!?」
「そうだよ。別に出来ないことはないだろう?」
不安になりつつ、アディクを守る役目を交代して、イーリスは杖を握り締める。相手はプラチナランクの冒険者で、もちろんヒルデガルドと比べれば大したことはないのかもしれないが、それでも十分すぎるほどの強さだ。彼らを見て、自分もいつかは、あんなふうに強くなりたいと願ったこともある。
そんな相手に挑めと師匠が言うのだ。
「む、無理だよ! ボクじゃあ君に恥を掻かせちゃう……」
「問題ない。君は絶対に勝てる。……いいか、よく聞け」
肩を抱き寄せ、ヒルデガルドは耳打ちする。
「彼らは冒険者として誰にも超えられたことがない。だから意味もなく自信に満ち溢れ、自分たちに疑いをもたない。誰しもが無力なのだと思い知らせてやるには、見下している相手に負ける以外にないだろう。君がやるんだ」
背中をぽんと押して、彼女は弟子を送り出す。
「大丈夫。君は他の誰もがまず得ることのできない経験を得てきた。そしてこれからの二か月間、君はさらに強くなる。そのために、まず乗り越えるべき壁だと思って挑戦してみろ。私の弟子なら、まっすぐ前を向け」
師匠の言葉を背負って立ったイーリスは、震える足をぱんと叩いて、「よおし!」と叫んで気合を入れる。そうだ、自分は、かつてない経験を経てきたじゃないか。もっと強い相手と二度も戦っているんだから。いまさら臆病になって俯くのは、自分の成長を止めるだけでしかない、と。
二か月後に起きるであろう戦いには、ヒルデガルドと並ぶ英雄クレイ・アルニムが、それに加えてデミゴッドと呼ばれる魔物の中でも神に近い者たちが敵に回るのだ。脳裏に過ったのは、アバドンの存在するだけで恐怖を植え付けてくる威圧感。イルネスの大地そのものと対峙している錯覚すら覚える闘気。臆病になるのはもうやめだと心に誓って、彼女は自分の杖を信じるように強く握りしめて構えた。
「今のボクでどこまでやれるか分かんないけど、そこまで言われたら、もう戦うしかないよね! 見ててよ、ヒルデガルド。絶対に勝ってみせるから!」
立派なものだ、とヒルデガルドは思わず笑みがこぼれる。
「ああ、ここで見守っているとも。私は弟子を信じているからな」
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