塔の最上階――そこはもはや“部屋”と呼べる形を留めてはいなかった。
かつてセレナの寝室だった場所は、
黒い蔦と霧が蠢く異形の空間へと変貌し、
床も壁も天井も、“彼女の魔力”そのものに飲まれていた。
中央に、ひとりの少女が倒れている。
セレナ・ランドール。
その身は黒い紋様に覆われ、
皮膚の下で脈打つ闇が、彼女の心臓を締め付けるように暴れていた。
(……いたい……あつい……)
喉を震わせても声にならない。
(……いやだ……行きたくない……)
必死に目を閉じるたび、
父が殺される幻覚、王宮の炎、血に染まる未来――
呪いが見せる“王国滅亡の光景”が脳を焼いた。
(いや……私は……そんなこと、望んでない……)
涙がこぼれた瞬間、
塔全体が大きく軋んだ。
黒薔薇の呪いが、セレナの心の揺れに反応している。
そのとき――
遠くから、微かに声が届いた。
『――セレナ!!』
(……ル……シアン……?)
闇の底に沈んでいた意識が、
かすかに浮かび上がる。
『絶対に……絶対に君を救う!!』
胸の奥で、何かが震えた。
(……どうして……来るの……?
あなたまで……呪いに……喰われてしまう……)
手を伸ばそうとして、
黒い蔦がその腕を拘束する。
“逃げるな。
お前は世界を滅ぼす器だ。”
呪いの声が、耳元で囁いた。
セレナは震えながら、必死に否定する。
(……私は……そんな……)
だが否定すればするほど、黒薔薇の紋様は濃く広がっていく。
(――助けて……ルシアン……)
その瞬間、塔の扉が轟音とともに破られた。
階段を駆け上がってきたルシアンは、
黒煙と叫喚が渦巻く最上階の異様さに一瞬足を止めた。
「……くっ……!」
黒霧が肺を焼くように苦しい。
それでも剣を杖にしながら進む。
(セレナ……待ってろ)
後ろでは騎士団が追い上げてきている。
「殿下! 危険です!!
これ以上中へ入れば――」
「退け!!」
ルシアンは怒鳴り返し、
黒蔦を斬り払いながら奥へと進む。
そして――
黒い茨の中心に倒れているセレナを見つけた。
「――セレナ!」
彼女はかすかに目を開けた。
その瞳は涙で滲み、黒い魔力が揺らめいている。
「……来ちゃ……だめ……ルシアン……
私……あなたを……」
「喰ったりしない。
絶対に」
ルシアンはゆっくりと近づき、
黒蔦に絡まれたセレナの手に触れようとした。
その瞬間――!
バチッ!!
激しい黒雷が弾け、ルシアンの手を弾いた。
「ッ……!!」
肩に深い裂傷が走る。
血が飛び散った。
セレナが悲鳴をあげる。
「やめて!!
もうこれ以上……!」
「いいや、やめない!!」
ルシアンは叫んだ。
痛みに顔を歪めながらも、前に進む。
「セレナ……君がどれだけ拒んでも、僕は――
どれだけ傷ついても、絶対に君を選ぶ!!」
言った瞬間、
塔の魔力が大きく揺れた。
黒薔薇の呪いが、彼の感情に反応したのだ。
セレナの目から再び涙が溢れる。
「……どうして……どうしてそんなこと言うの……
あなたまで……死ぬのに……」
「君を死なせるくらいなら、代わりに死んだ方がいい!!」
言い切った。
その言葉は、もはや呪いの引き金にも等しい危険な告白だった。
そして――塔全体が崩れかけたその瞬間。
後ろから騎士の叫び声が飛んだ。
「弓を構えろ!!
黒薔薇を討つ!!」
「――やめろ!!!」
ルシアンが振り返るが、もう遅い。
矢が放たれた。
矢は真っ直ぐ、セレナの胸元へと向かって飛んでいく。
セレナは目を閉じた。
もう、終わりだ――そう思った。
しかし。
次の瞬間、彼女の視界に映ったのは、
血に染まったルシアンの背だった。
「……え……?」
ルシアンが、セレナを庇って立っていた。
矢が、彼の胸へ深く突き刺さっている。
「ルシ……アン……?」
ルシアンは、弱く微笑んだ。
「……大丈夫……君に……当たらなければ……」
その瞬間。
セレナの中で、何かが完全に壊れた。
黒い紋様が一斉に光を帯び、
塔全体が悲鳴をあげる。
“――喰魔が目覚める”
魔術師団の叫びが響き渡った。
黒薔薇の心臓が、
ゆっくりと――残酷に――鼓動を始める。
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