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19 ダメな訳。
『でも…見て良かったですよね?』
そう聴けば、先生はクスッて笑ってコクコクと頷いた。
『…なら、よかったです、役に立てましたか』
「うん。ありがと」
『じゃあ……帰りますね、さよなら』
ペコッと頭を軽く下げて、横目で桜を見ながら駅方面へ歩き出す。
きっと、もう、来週には散っている。
「姫野ー」
心臓が止まったかと思った。
ずっと、また呼ばれたいって思ってた。
ちょっと、舌っ足らずなあの声で。
名前を呼んで欲しかった。
何も言わずに振り返る。
正確に言えば、何も言えずに振り返る。
先生は、左手に文庫本を持って、茶色のアウターに身を包み、ポケットに右手を突っ込んでいた。
この感じが、懐かしい。
「気をつけて帰ろよー?」
そう言うと、目を細めて微笑んだ。
『 …先生も』
「え?」
『 先生も気をつけてくださいね!』
「ふふっ、痴漢にでも襲われるかもしれないもんな」
『 男性を狙う痴漢だっていますからね、!』
「そういえば、何回かー……」
思わず、『 はぁ、!?』って声を出したら先生はグハッて楽しそうに笑ってた。
「まぁ、とにかく前も後ろも気をつけろよ」
ちょっと意地悪な顔で言って、また背を向けて歩いて行ってしまった。
『 …簡単に触らせないでよ、』
なんてことを思いながら電車に乗っていた。
帰ったら、「夜桜記念日」とでも書こうか。
・
結局、カレンダーには
「夜桜」と「名前を呼んでもらった」
と書いて、楽しかった一日は終わってしまった。
・
それから先生は、毎週日曜日に華千束にやって来て、「いちごオレ」ではなく、「本日のコーヒー」を飲んでいた。
先生はミステリーだったり、ファンタジーだったり、女の子が読みそうな、「恋愛小説」も読む。
ある日の日曜日、私のシフトは本屋ラインで、店頭の一番目立つ棚に話題作と呼ばれる本を並べていた。
その一冊の本が、映画化された小説で何万部も売れている人気作らしく、帯には「夢中で読んだ!」なんて書いてあるんだけど…
『… なーんか…好きじゃないんだよね』
小声で呟きながら、少し本のページをめくった時、
風の音と同時に入口から先生が入ってきた。
『 いらっしゃいませ』
「うん、おはよ」
今日の来店はお昼前。
「なにそれ、新作?」
私が手にしている本を指さして、問う。
『 新作じゃないんですけど、話題作コーナーを作ってて。映画化された原作とかの。』
そう言いながら、持っていた本の表紙を見せると、
「あー…」
先生はわかりやすく、嫌悪感を顔に出した。
「オレ、その作家ダメなのよ」
『 先生もですか!?』
「あ、姫野も?」
あーあー!!いちいちドキドキする!!
「姫野」って呼ばれるだけでドキドキだよー!
「じゃ、試しに聞かせてよ、どこが苦手?」
授業みたいだなぁ。
『 …映画化されたくらいだから、面白いとは思うんです。でも…』
「うん。でも…?」
『 ……日本語、変じゃないですか?』
「ふふっ、やっぱそこね。」
「カッコつけたいんだか、難しい言葉ばっか使おうとしてんだけど、意味間違えてるからなぁ。」
『 そう!そこが気持ち悪くて…』
「言いたいことはなんとなく分かんだけど、納得できねぇ」
『 …もう、ほんとそうなんです、!』
私、すごいディスってる。
誰かの大切な商品、めっちゃディスってる。
でも、止められない。
『 書くなら、意味調べてから書けよって思うし、それを編集してないのも理解できなくて!』
先生は薄ら笑みを浮かべて、私の話を聞く。
「分かるよ。だから、オレこの本も無理」
トントンと表紙を軽く叩いた。