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#山中柔太朗
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side Jutaro Yamanaka
これは当時、俺が新人看護師だった頃の話。
「塩崎さん、ポケットからお菓子のゴミ落ちてます」
「あ、ほんまや! 柔太朗サンキュ〜!」
「サンキュ〜、じゃないですよ。もう、子どもじゃないんですから……」
総合診療科のナースステーションで、僕は深々と溜め息をついた。
塩崎太智。僕の5年先輩の看護師。
……なのだけれど、普段の立ち振る舞いを見ていると、どちらが先輩でどちらが後輩なのか分からなくなる。
脱ぎっぱなしの白衣、乱雑に置かれたメモ帳、隙あらばポケットから出てくるグミ。
俺から見れば、ツッコミどころの宝庫。
太智さんも「柔太朗はほんま頼りになるわ〜!」なんてヘラヘラ笑っているから、僕はどこかで高を括っていたのかもしれない。
自分が、この現場をしっかり回しているのだと。
——その過信が打ち砕かれたのは、雨の降る火曜日の午後だった。
「山中看護師! 急患、搬送されてきます! 70代男性、急性腹痛および呼吸苦!」
「了解、処置室確保します!」
救急車からの連絡を受け、僕はすぐさま準備に奔走した。
搬入された患者さんは、激しい痛みで暴れ、問いかけにも支障をきたすパニック状態。
外科の先生が鑑別を進める横で、僕は点滴のラインを確保しようと処置に入った。
そこで起きた問題。
思ったより血管が出にくい。
焦りが走る。患者さんの腕は冷たく、血圧も下がっている。
刺し直そうとした瞬間、患者さんが大きく暴れ、僕の手元が狂いかけた。
「やば、っ」
血の気が引き、心臓が跳ね上がった、次の瞬間だった。
「——はい、ちょっと失礼するで〜!」
ひょい、と横から温かい手が伸びてきて、僕の手元を優しく、けれど絶対にぶれない力強さで包み込んだ。
「大丈夫、大丈夫。痛いなぁ、おじいちゃん。でもな、この点滴入ったらすぐ楽になるからな〜。孫だと思って、ちょっとだけ俺の手握っといて?」
太智さんだった。
いつものふざけたトーンとは全く違う、けれど包み込むような絶妙な声のトーン。
患者さんは太智さんの明るい声と握られた手に視線を奪われ、嘘みたいに力が抜けた。
その隙を逃さず、太智さんは僕の手元をサポートし、一瞬で綺麗なラインを確保してみせたのだ。
「……っ、塩崎さん……」
「柔太朗、呼吸のアセスメント頼むな。バイタル上がってきたで!」
指示を出し、患者さんの意識を誘導しながら、テキパキと処置を補助していく塩崎さん。
その無駄のない動き、患者の不安を一瞬で取り除いた観察力と声かけ。
「……すごい……」
僕は息をのんだ。…いや、言葉が出なかった。
僕が「手際の良さ」だと思っていたものは、ただの作業の速さに過ぎなかったのだと思い知らされた。
この人は、患者さんの心ごと診ている。
バイタルが安定し、患者さんが処置室から病棟へ移動した後。
処置室に残された僕は、自分の不甲斐なさと焦燥感で、処置台の縁を固く握りしめていた。
「……すみません、塩崎さん。僕が手間取ったせいで……」
「ん? なにが?」
塩崎さんはいつもの調子に戻り、ポケットからキャラメルを取り出して口に放り込んでいた。
「なに落ち込んでんねん。連勤で疲れてたやろ? 血管見えにくい患者さんやったし、しゃーないしゃーない」
「でも……俺がもっとしっかりしていれば、塩崎さんにフォローさせることも……」
俯く僕の頭の上に、ぽんと軽い衝撃が走った。
見上げると、太智さんがお菓子の袋を口にくわえたまま、にやっと意地悪そうに笑っていた。
「あのなぁ、柔太朗。お前が毎日俺の脱ぎっぱなしの白衣片付けてくれたり、書類まとめてくれてるん、めっちゃ感謝してるで?」
「……それは、太智さんが雑だからで……」
「せやな! でもな、ナースとしてのキャリアは俺の方が5年長いねん」
塩崎さんは胸を張り、眩しいくらいの笑顔で僕の肩を叩いた。
「事務作業や細かさはお前に負けるかもしれんけどな、現場で後輩が困った時に背中押すんが、先輩の仕事やろ?」
「……っ」
「普段はお前にお兄さんやらせて楽しんでるけどな。いざって時は、任せとき?」
“任せとき?”
その一言に込められた圧倒的な説得力と頼もしさに、胸の奥が熱くなった。
頼りない先輩だなんて思っていたのは大間違いで、俺は最初から、この大きな背中に守られていたのだ。
「……ずるいです、塩崎さん」
「え? なにが?」
「普段からその感じでいてくださいよ。落差がありすぎて心臓に悪いです」
「ハハハ! それじゃあ柔太朗に甘えられへんやん! あ、そうや、今日の夜勤のカルテチェック、手伝ってな〜!」
「……はぁ。やっぱり、手がかかる先輩です」
呆れて溜め息をつきながらも、僕は唇の端を緩めた。
やっぱり普段はお世話してあげなきゃいけない困った先輩。
でも、僕が道に迷った時は、絶対に倒れない光になってくれる、最高の先輩。
僕はこの人の背中を追いかけて、本当の『看護』を学んでいくんだと思う。
「太ちゃん、足元。グミのフィルム落ちてるよ」
「げっ! 柔、吉田先生には言わんといて!!」
……まあ、それはそれとして。
やっぱり今日も、僕がお世話をしてあげるんだけど。
コメント
1件
うわ、このエピソードめっちゃ良かった…!普段はだらしないけど、いざって時に本物の背中を見せる太智さん、かっこよすぎる。「任せとき?」の一言に全部詰まってたわ。柔太朗くんが尊敬と信頼を再確認する流れ、すごく自然で胸にきた。グミのフィルム落ちてるシーンで笑いもありつつ、二人の関係性が尊すぎる…🔥