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ジンテラはユカリが今までに訪れた街の中でも最も壮大かつ壮麗な都市だった。建物一つ一つばかりではなく通りから広場、種々の公共施設、宗教施設まで、街全体がたった一人の精力的で意欲的な芸術家によって配されたかのように調和している。
駅の塔の頂から高地へ架かる橋で見えた眺めを前にして、ユカリは巨人に踏み潰される直前のような気持になった。これに比肩する規模の街というとミーチオン地方の迷宮都市ワーズメーズくらいだ。しかしあちらは小さな建物が歪に積み上げられたような街だったが、こちらは美と規範を計算され尽くした巨大な建築物が、街そのものの一部として、世の始まりから終わりまであるべき場所にあるように誂えられている。それでいて高地の縁から溢れ出てしまいそうな圧倒的量塊の生命めいた存在感で、シグニカの中央に、シグニカの頂上に、君臨している。
ユカリはしばらく呆けたようにジンテラの峻厳な楼閣を眺めていて、とある彫刻橋を渡り切るまでベルニージュに手を引かれていることに気づかなかった。
「一つ一つの建物に王様がいそう」とユカリは子供じみた言葉を呟く。
「実際、王様のように偉そうな連中が住む街だよ」とベルニージュは吐き捨てるように言う。「その上これから行くのは宝石店。王様の掃き溜めみたいな場所だろうね」
「王様が嫌いなの? 王様にも良い人はいるよ」とユカリは自分でもよく分からない謎の擁護をする。
「ワタシより偉そうな奴はみんな嫌い」とベルニージュは言い放つ。
ジンテラの街はその大きさに反して、まるで死んだように静まり返っていた。ほとんどの街よりも多い人々が往来を行き来している。確かに活気がある。にもかかわらず、まるで眠りについているかのように都市は黙りこくっている。聞こえてくるのは無遠慮な風の音、街を賛美する鳥の鳴き声、人々の遠慮がちな足音、そしてどこかから、あるいはどこからでも聞こえてくる囁くような祈りの言葉だ。
この巨大な街に隠れ潜んでいる盗賊の塒を見つけることは至難の業だが、宝石店を見つけるのはさほど難しくはなかった。
ユカリとベルニージュが宝石店に入ってきても、店員の誰一人嫌な顔一つしなかったが、客の何人かは眉をひそめた。ユカリは煌めく宝石や金銀の装飾品には目もくれず、店の奥で今この場を取り仕切っているらしき男のもとまで向かう。その店の格式を表しているかのような清潔で慎ましい衣を身につけた男だ。とても盗賊には見えない。
そしてユカリは何か言われる前に口を開いた。「月夜の渦」
男は少し驚いた様子で眉を上げ、しかし動揺を感じさせない声で答える。「瑠璃杯」
「鉄槌王の義手」ユカリはすかさず答えた。
「通すが、一つ聞かせてくれ」と男は言う。ユカリが促すと男は尋ねる。「あの女はいったい何者なんだ?」
少し考えてネドマリアのことだろうと思い当たる。
「心優しい人ですよ」とユカリが言うと、男は強張った笑みを浮かべる。
ベルニージュと共に男の隣を通り過ぎ、店の奥へと向かう。古い屋敷だが手入れが行き届いている。ジンテラの建築は中も壮観で柱も壁も扉も窓も一つ一つは重厚な造りながら、全てが優雅に融和し、吹き抜けを捩じるようにして上方へ視線を誘導する仕組みになっている。ちょうど昇降馬車の塔の内部の如き情景だ。ただし館をうろついている者たちは賊という他ない風体の者たちだが。
ここでも地下への階段があるのだろうかと彷徨っていると見知った顔を見つけた。まるで家政婦か侍女のような出で立ちの女だ。
「レシュさん。お久しぶりです」とユカリは挨拶する。「良かった。ご無事で」
ベルニージュは会釈だけした。
レシュは安心させるような笑みを浮かべて応える。
「ユカリ。久しぶり。ご無事って? もちろん無事よ。ユカリも無事そう。目的は果たしたって聞いたけど」
そうすべきなのか分からなかったが念のためにユカリは声を潜める。「あの、ベッターさんが亡くなったって聞いて」
レシュは悲し気に顔を伏せる。「そう、そうなのよ。詳しいことは聞かされてないけど。みんな疑心暗鬼になってた。裏切り者がいるんじゃないかって。まあ、今となっては些細なことだけど」
些細とは軽はずみな言い草だが、ユカリは追及を控えて尋ねる。「ネドマリアさんのことですね。どちらに?」
「ユカリ、あの女を知ってるの? こっちよ」レシュの案内にユカリたちは従う。「優しそうな顔してもう傍若無人ったらないわ。頭の弱みを握っているのか知らないけど、幹部連中も唯々諾々と従って。乗っ取られた、ということなのかしら。でも作戦の準備は淡々と進めてる」
ユカリは出来るだけしおらしく言う。「すみません。私にも詳しい事情は分からなくて」
「そう。ユカリ、長く居るの? 羊の燻製を使った羹を作ろうと思うんだけど」
「正直に言って、私にもどう話が運ぶか分かりません。でも時間があればお手伝いします」
通されたのは一階の一番奥の部屋だ。それは庭に張り出した硝子張りの、ほとんど円に近い多角形の部屋で沢山の植物が鉢に植えられている。庭はそれほど広くはないが、そちらにも様々な植物が育てられ、親し気な春の花が良き日和を謳歌している。周りの建物からは丸見えだ。盗賊団の塒とは思えない。
その奥にバニムークの街の塒と同様に大きな机と椅子が設置されていて、ネドマリアと盗賊団の頭ドボルグ、そして数名の幹部たちがいる。ネドマリアは優雅に柔らかな腰掛に座り、盗賊たちはそれぞれの椅子のそばに立っている。
「嬢ちゃん。言っておくが俺は――」と言ったところでドボルグは黙る。その直前にネドマリアが指で何かの形を作ったのをユカリは見逃さなかった。
「良かった。ユカリ。ベルニージュ。無事だったんだね」と言ってネドマリアは椅子を勧める。「でもレモニカは?」
二人は少し気が進まないながらも、手前の椅子に腰かけた。
「シャリューレにさらわれました」とユカリが答える。
ネドマリアが驚き呆れる。「今度はレモニカ? 何でまた。それでシャリューレってのはどなた?」
「ああ、シャリーのことです」ユカリが説明する。「ドボルグさんには偽名を名乗ってたみたいですね」
ユカリはドボルグをちらりと見るが、表情に感情は出ていなかった。
「それにしても別の意味で災難だね、ベルニージュも」とネドマリアは言った。
言われてみれば、とユカリは気づく。ベルニージュの立場からすれば攫われた友人を助けた途端また別の友人が攫われたのだ。
そこへレシュが入室して全員分のお茶を振舞う。盗賊だけが立たされている異様な光景には気づかないふりをして十数人分のお茶を白磁の杯に注いで回る。
「美味しいよね、レシュのお茶。いつもありがとう」とネドマリアは微笑みを浮かべて言う。
「いえ、恐れ入ります」とだけ言ってレシュはそそくさと硝子張りの部屋を出て行く。
ユカリも馨しく温かいお茶を一口飲んで尋ねる。「ネドマリアさんはお姉さん探しのためにこの街に?」
「そうなんだよ。サリーズって知ってる? 人喰い衆っていう悪い奴らの元締めだった男なんだけど。あ、もう死んでるんだけど。そいつが生前はこの街に住んでたらしくてね。探してるんだよ、手がかりを」
「大仕事も進めてるって聞きましたたけど?」とベルニージュが尋ねた。
「私は関与してないよ。人手は足りてるからね。ユカリたちにもその方が都合がいいだろうし、放っておいたの。都合、いいよね?」
悪くはない。いや、人手は多いに越したことはないだろう。最終的に魔導書が手に入るならば何だって良いことだ。
「まあ、そうですね」ユカリは盗賊たちの渋顔を遠慮がちに眺める。「本当に皆さん、ネドマリアさんに従ってるんですね」
白熊の毛皮を纏えるような偉丈夫のドボルグと強面の幹部たちがユカリを左右から睨みつける。
頭と幹部を抑え、下っ端たちはよく分からないままにネドマリアのために働いているということだろう。
「この中に縊り殺されたい人なんていないからね」とネドマリアは楽しそうに言う。
ユカリは不快感を露わにして言う。「ネドマリアさんは、本当に殺せてしまうんですか?」
ネドマリアは神妙な顔を作って頷く。「ここの幹部連中もまた最古参。人喰い衆の頃からドボルグに付き従ってるごみ共だよ」
それならば殺せるのだろう。ショーダリーを殺せたように。ユカリはあの時の無力感を思い出す。この世に死ぬに相応しい人間がいるとしても、ネドマリアは誰かを殺すに相応しい人間ではなかったはずだ。
黙っているユカリの気を引くようにネドマリアの声の雰囲気が明るくなる。「ともかく、大仕事の決行日に間に合ってよかったね」
ユカリもまた気を取り直そうと努める。今やるべきことをやらなければならない。
「シャリューレは参加するんですか?」とユカリはドボルグをちらりと横目で見ながらネドマリアに尋ねる。
「ん? ああ、そっか。なるほどね。だから二人はここへ来たんだ」とネドマリアは頷き、ドボルグの方に視線を飛ばす。「どうなの?」
「参加するはずだ。その前に、近々、最終調整のためにここへ来る」とドボルグは忌々し気に答えた。
「だってさ。その時に待ち伏せしてとっちめよう」とネドマリアは簡単に言う。
しかしそうでもしなければレモニカを助けられないだろう。まさかここへ連れてくるはずもない。捕まえて居場所を聞くしかない。
「もちろんみんな」とネドマリアの言うみんなにユカリとベルニージュは含まれていないことが言葉の棘の鋭さから分かる。「シャリーことシャリューレには黙っててね」