涙が止まらない。
私は孝介から――。九条家から逃げられない。
この気持ちも<いつか>は、忘れなきゃいけない。
「あー、ずっとこうしてたいけど……」
そう言うと彼は私の手を引き、ベッドへと座らせた。
「とりあえず、服、着ようか?落ち着いて話がしたい。このままだと俺の理性がヤバい」
あっ、そういえばキャミソールだった。
「うん」
目を擦り、返事をする。
「美月が俺のことを必要としてくれるのなら、俺も美月にお願いがある」
「お願い?」
なんだろう。
「美月は、孝介《あいつ》とずっと結婚したままで良いの?」
孝介とは何度別れたいと思ったことだろう。
「私は別れたい」
私を取り巻く環境、全て何も考えなくて良いのであれば、離婚したい。
「美月が有利に離婚できるように、協力してほしい」
私が有利に?
「本当だったら今すぐに美月をあいつから離したい。けど、相手は九条という名家だし。金も持っている。普通に争っても、美月が不利だ。何も非がなくても、何か仕組まれて慰謝料を請求《《される》》側になる」
彼の言った通り。
私の立場では何も言えない。例え孝介が浮気をしているとか、DVを受けたって証言しても、お金の力を使えば、向こうが優勢になるに決まってる。
「私にできることならする。迅くんが居てくれるのなら、どんなことだって頑張るよ」
ずっと諦めていた。一人だと思っていたから。私一人が我慢すれば、いいことなんだって思ってた。今は私のことを想ってくれる人が近くに居る。怖くない。
彼はフッと笑って
「わかった。じゃあ――」
これから私のやるべきことについて教えてくれた。
「うん。やってみる」
「俺は俺で動くから」
彼がポンっと頭を触ってくれた。
彼が一緒なら、あの九条《大企業》相手でも勝てるような気がするのはなぜだろう。
その時<ぐぅぅぅぅ>と私のお腹の音が鳴った。
こんな大切な場面なのに!
恥ずかしい。一気に顔が熱くなった。
「お昼、何も食べてなかったもんな。なんかすぐ食えるものあったかなー」
彼は笑いながらキッチンへ。
「ごめん。私、大丈夫だから」
慌てて立ち上がり、彼の背中を追う。
「あっ。菓子パンなら一つあるけど。食べる?」
あっ、それ。
昔、子どもの頃、二人で半分こした時のパンに似てる。
「半分こ……」
「えっ?」
「迅くん、半分こしよう?」
昔、私のおやつを迅くんと一緒に食べたくて、よく家から持ち出したのを思い出した。
彼は笑ってくれた。覚えてるんだ。
「あぁ。半分こな?」
子どもの頃の彼の表情と重なる。
もし私の記憶が無くならなければ、私は迅くんとあの後どんな関係になっていたんだろう。
…・――――…・―――
「もしもし。今、大丈夫か?」
美月をマンションに送ったあと、亜蘭に電話をかけた。
<はい。大丈夫です。加賀宮さんこそ、大丈夫ですか?あんなに高熱だったのに、一日で回復するなんて。どんな体力してるんですか。さすがに今日くらいは休んでくださいよ?>
今日の朝、大丈夫そうだったから出勤したけど、亜蘭に強引に止められたからな。そのおかげで今日、いろんなことが進展した。
「悪かったな。それで、相談したいことがあるんだけど」
<加賀宮さんが自分から相談したいって。珍しいですね。やっぱりどこか具合が悪いんですか?>
「むしろ調子が良い。実は今日……」
美月の記憶が戻ったことを伝えた。そして――。
<本当ですか?良かったですね!記憶、戻って。それでお互い両想いって、ハッピーエンドですね>
そう、これでなんの障害もなかったら……。《《普通》》のカップルであれば結ばれている。
「これで簡単に終われるはずないだろ?」
<はぁ。やっぱりそうですよね……。九条孝介の調査については進んでますけど。順調に。あとはどんなことを考えてるんですか?>
「あとは……――――」
俺が伝え終わると
<えっ、そこまで手を出すんですか?美月さんがもしそんなところを見たら、きっと悲しみますよ。せっかく信用してもらったのに>
美月に協力をしてほしいと伝えた時
「実は私、録音したことがあって」
そう言って彼女は自宅マンションで録音したものを聞かせてくれた。
孝介《あいつ》に対して、そして相手《家政婦》にも怒りの感情がさらに生まれ、生易しいバッドエンドじゃ物足りなくなった。
「美月にはバレないようにやる。だから、手配を頼む」
亜蘭がふぅと電話越しに溜め息をついた。
<わかりました。早々に準備しますけど。もちろん《《そこ》》に依頼するわけじゃないですよね?>
「あぁ。別宅に借りてるマンションでいい。ここにはお前と美月以外入れたくないから」
金を出せば、いくらでも広い家に住める。
客人用にマンションも別に借りている。アパート《ここ》は、誰にも知られたくない本当のプライベート。昔住んでいたアパートに似ているところをわざわざ選んだ。
子どもの頃の俺を忘れないように。
あの時の生活以上に辛いことはないと思っているから。
<了解です。ではまた……>
…・――――…・―――
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