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『私、来月帰国するね』
桜が二週間ぶりに電話してきて、言った。
「え? どうして急に……」
『私の誕生日、一緒に過ごそうって、賢也くんが……』
黛……。
『勝手に決めてごめんね? けど、飛行機の予約も賢也くんがしてくれるって言うし、お姉ちゃんには迷惑かけないから』と、申し訳なさそうな声。
「大学は……大丈夫なの?」
『うん。テストが終わって研究室も来週から休みに入るから、一か月はいられそう。でね、日本にいる間は一緒に暮らそうって賢也くんが言ってくれてるんだけど、いいかな……?』
「何言ってるの? 私のマンションに――」
『お姉ちゃん。私、やっぱり賢也くんが好きなの。帰国してる間は、一緒にいたい』
スマホを持つ手に力がこもる。
「黛さんとも相談する」
『うん……。また、帰国の前に電話するね』
スマホをポケットに入れ、私は大きく深呼吸した。とても、大きく。
それから、デスクに戻り、内線電話で黛のデスクにかける。六回目の呼び出し音が聞こえて、受話器を置いた。
「営業に行ってくるわ」
沖くんに伝えて、私は階段ですぐ下の階に向かった。
黛は喫煙室で談笑していた。私は勢いよくドアを開けた。煙草の煙が気持ち悪い。
「黛さんにお聞きしたいことがあるんですけど!」
煙草を片手に、黛を含む四人の男性が私を見た。
雄大さんが私との関係を匂わせてから三日。社内で私と雄大さんが付き合っていることを知らない人はいなかった。
「いいですよ?」と言いながら、黛は煙草の火を消した。
一緒にいる男性が好奇の目で私を見る。
真由が『槇田部長が口説き倒して始まった、結婚を前提とした真剣交際』だと広報活動してくれたお陰で、私に対する冷やかしはあっても嫌がらせはなかった。
黛は上機嫌で、私を会議室に連れて行った。
雄大さんの言っていた通り、黛は何度も私と二人になるチャンスを窺っていて、私はそうならないように気を付けていた。
まさか、私から会いに来るハメになるなんて――。
けれど、背に腹は代えられない。
雄大さんには叱られるだろうけれど、仕方がない。
「私に無断で桜を帰国させようなんて、どういうつもり?」
「どうって? 聞きませんでした? 一緒に祝おうと思って。愛する婚約者の誕生日を」と、黛がいやらしく笑う。
「やめて! あんたと桜の婚約なんて、許さない!」
「お前の許可なんかいらねぇよ」と、黛が鋭い目つきで言った。
「お前が何と言おうと、桜は俺のプロポーズを受けたんだ。れっきとした婚約者だろう、『義姉さん』」
ドクンッと心臓が鈍く揺れた。
動揺しちゃダメ……。
「それに、お前も桜に婚約者を紹介したいんじゃないのか? まさか、槇田部長を『義兄さん』と呼ぶことになるなんてな。部長は知ってんだろ? あんたとの結婚に立波リゾートの社長って特典が付いてくること。でなきゃ、お前なんか相手にするはずないよな」
私以上に黛が動揺し、焦っているがわかる。今まで、しつこく言い寄ってきたけれど、ここまで敵意むき出しに罵られたことはない。
「立波を手に入れる為と言っても、色気も可愛げもない三十女じゃなく、若くて可愛い桜と結婚出来て、俺はラッキーだったな」
「絶対、認めないから……」
「認めさせてやるよ。桜ももう十九歳だ。お前の母親がお前を生んだ年だよな?」
今度はドクンッドクンッと二度、心臓が軋んだ。
「どういう――」
「一年ぶりの再会に誕生日プレゼントは婚約指輪。盛り上がり過ぎてうっかり子供が出来る……とか? ありがちだよな?」
「やめて! これ以上、桜に関わらないで!!」
感情が乱され、思わず声が荒ぶる。
「じゃあ、別れろ」
「え――」
「槇田部長と別れろよ。そうしたら、桜の誕生日プレゼントは箱に詰めて航空便に載せてやるよ」
なぜか、迷わなかった。
自分でも驚くほど、なんの迷いもなく、言葉が出た。
「別れない」
「は?」
「雄大さんと別れたりしない」と、もう一度はっきりと言う。
「結婚するから」
「利用されてんのもわかんねぇのかよ! 社長の椅子に座った瞬間から、お前なんて名ばかりの妻だ。見向きもされねぇよ。それどころか、社長室に何人の女を連れ込むか――」
「あんたと一緒にしないで!」
一瞬、黛の言葉を想像してしまった。
わかってる……。
雄大さんが私じゃない女を抱く場面。
私は報酬だもの。
「何を言われても、雄大さんとは別れない」
今はこの身体を気に入って、抱いているだけ。
飽きれば、結婚を続ける必要はなくなるだろう……。
「桜を帰国させるぞ」
私に飽きても、雄大さんはきっと約束は守ってくれる。
たとえ、他の女を抱いていても――。
「お前らより早く、結婚する」
それに……。
「させない」
私が……出来ない。
「桜はあんたと結婚させない」
別れるなんて、出来ない。
「私は雄大さんと別れない!」
別れたく――ない。
「絶対! 別れない!!」
私は勢いよく、会議室を飛び出した。