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真っ暗な闇の中で意識を取り戻し、ゆっくりと目を開ける。
意識はすぐにどうしようもない無力感に囚われて、浸は諦めるように目を閉じる。
元々成功する確率は極めて低かった。
結局浸には何もなくて、何をしたって報われる日など来ないのだ。
もがき続けて、負の感情ばかり溜め込んで死ねば、いくら浸でも悪霊になる。それならいっそのこと、今諦めて消えてしまった方がずっと良い。
やりたかったことはいくつもあるけれど、もうどれもかなわない。
もう全部やめてしまおう。諦めてしまおう。
思い返せば辛いことばかりだった。
誰よりも努力して、必死で駆けずり回って。結局最後には何も手に入れずに終わる。
身の丈に合わないものを追い求めた者の末路だ。
この手には、何も――――
「……」
何も持たない手を、掴んでくれる手があった。
彼女は穏やかに微笑んで、そっと引っ張り上げて、浸を抱きしめる。
「……そうでしたね」
微笑み返して、浸はそう呟く。
きっと、答えはもう既に出ていたのだ。
ずっと前から、そこにあった。
だから浸は、もう一度立ち上がることにした。
あの無礼な刀に、一言物申してやらなければ死んでも死にきれない。
ふらりと立ち上がった浸に、ソレは――鬼彩覇は少しだけ驚いたような表情を見せた。
だがすぐに、呆れて嘆息して見せる。
「まだ懲りぬか」
「……ええ」
短くそう答え、浸は立ち上がる。
もう周囲には何もない。
死体の山もなければ冥子もおらず、幼い浸の姿も見えなかった。浸を阻むものは、もうここにはない。
「確かにあなたの言う通り、私は過ちを繰り返してきました。救えなかったものもあります」
それは決して消えることはない。浸の歩いてきた道には、いくつも間違いがあった。
「……ですが、それだけじゃないんです」
「……何?」
訝しげに眉を歪める鬼彩覇を、浸は真っ直ぐに見据える。
「過ちだけじゃない……私には確かに、救えたものがあるんです」
何度も何度も、誰かに手を伸ばした。掴めなかったことだってあった。だが、それだけじゃない。確かに掴めた手があった。
「私の伸ばした手を掴んで、救われた人がいます。あの時掴んだ手が、今度は私に手を伸ばしてくれたんです」
彼女に手を伸ばすのは、浸でなくても良かったのかも知れない。
今までの依頼人だって、浸でなくても助けられただろう。
それでも確かにそこにいて、手を伸ばして、救ったのは他の誰でもない雨宮浸だ。
雨宮浸の歩いてきた道は、決して過ちだけではない。
報われなくなんかない。もうとっくの昔に、浸は報われていた。
救ったつもりで、救われていたのだ。
早坂和葉に。赤羽絆菜に。沢山の人達に。
「だから私は折れません。折れる理由なんて、最初からなかったんですよ」
まるで憑き物でも落ちたかのようだ。
もう浸の瞳に迷いもなければ淀みもない。
自分を、自分を信じてくれる誰かを信じ切っているような、そんな表情だ。
「私の歩いてきた道は……間違いなんかじゃなかった」
澄み切った表情で、噛みしめるようにそう言い切って、浸は満足げに笑みをこぼす。
そんな彼女の姿を、鬼彩覇はただ黙って見つめていた。
そして浸の服の裾を、小さな女の子が恐る恐る引っ張った。
不安そうなその女の子と目線を合わせるように屈んで、浸は穏やかに微笑む。
「……あなたの夢は、叶います。叶えます」
「本当……? 強くなれる? かっこよくなれる?」
「なれますよ」
小さな、誰でも一度は夢見るような憧れだった。
大人になるにつれて忘れてしまうような、そんなありふれた願いだ。
「誰かを……助けられる?」
「……はい。きっと、未来で」
雨宮浸には、特筆すべき才能は何一つなかった。
だからこそ漠然と、強い何かに憧れていた。何かを為せる存在になりたかった。
霊能力があるとわかって、どれほど歓喜したことか。
それが大したものではないとわかって、どれほど絶望したことか。
何も持たない手をずっと握りしめて、走り続けたその先で、伸ばした手で誰かの手をつかめるようになっていた。
浸の言葉を聞いて、女の子は涙を浮かべながら満面の笑みを見せる。それをそっと抱きしめると、少しずつ彼女は消えていった。
「百音那由多」
浸はゆっくりと立ち上がり、鬼彩覇を見据える。
「これ以上何をしようと無駄です。私は、あなた達の怨念には呑まれない」
鬼彩覇はいくつものビジョンを見せて、浸の霊魂を蝕もうとした。
浸を怨念で包み、呑み込んでしまおうとしていたのだ。
一度は呑み込まれかけた浸だったが、もう二度と呑まれはしないだろう。
雨宮浸はもう二度と自分を疑わない。
信じてくれる人達と、未来を信じていた過去のために。
「力を貸しなさい。あなた達の怨念は、私が背負います」
「……ふっ」
浸がはっきりと言ってのけると、鬼彩覇はここで初めて笑って見せる。
「あなたは試していたのですね。私を」
鬼彩覇は危険な霊具だ。
込められていた霊力が完全に淀みきり、その上斬り続けた悪霊達の負のエネルギーも吸ってしまっている。半端な覚悟と実力では、手にした瞬間呑み込まれるだろう。
丁度先程までの、浸のように。
「それともまだやりますか?」
そう言って、浸が不敵に笑ってみせるとそこで鬼彩覇は不意に姿を消す。
「良いだろう。我らの怨念も連れて行け。だが忘れるな……少しでも気を抜けば、我らはお前を呑み込むぞ」
「……はい」
どこからともなく聞こえるしわがれた声にそう答えると、一瞬だけ一人の老人の笑顔が見えた気がして、浸は少しだけ頬をほころばせる。
そして気づけばその手には、しっかりと握られていた。
身の丈ほどもある大太刀。百音那由多が操り、数千もの悪霊を祓った霊具。
極刀鬼彩覇は、雨宮浸の手の中に。
***
あれからどのくらいの時間が経っただろうか。
早坂和葉はまだ、立ち続けていた。
何度も結界を壊され、ズタボロになりながらも、鋼のゴーストハンター早坂和葉は立ち上がる。冥子も八尺女も手は抜いていない。それでも尚、和葉一人を突破出来ずにいた。
いや、正確にはもう完全に遊ばれている。既に冥子は和葉をいたぶって楽しんでいるだけだろう。
だがそれも、そろそろ潮時だ。
「はぁ……はぁ……っ」
和葉の体力はもう既に限界だ。
元々戦い慣れていない上に病み上がり、おまけに防戦一方なのだ。未だに二本の足で立ち続けていること自体、不可解の範疇とさえ言える。
「ねえ、もしかしてまだお友達を待ってるの?」
嘲るように、冥子は問う。
和葉はそれに答えなかったが、冥子は構わず言葉を続けた。
「もう来ないわよ。一人は殺したし」
「――――っ!」
血相を変える和葉だったが、それでも言葉は返さなかった。
精神的に付け入る隙を与えたくない。
実際のところ、和葉は露子達の到着を待っていた。
結局和葉一人では守ることしか出来ず、冥子や八尺女を祓うことは出来ない。うまくのせて引き止めることは出来たものの、和葉には反撃の手段がないのだ。
そして霊力の方にも限界が訪れ始めている。
正直ここまでもったこと自体奇跡に等しい。恐らくもう、冥子の一撃を防ぐことは出来ない。
だがそれでも、諦めるつもりは毛頭ない。
鋼のゴーストハンターは、絶対に倒れたりしない。
「……そろそろ終わりにしましょうか。流石に飽きてきたわ」
心底退屈そうに呟いて、冥子は大鎌を振り上げる。
だがその冥子に、和葉はずっと抱いていた疑問を投げかけた。
「……あなた、本当に真島冥子さんなんですか?」
ピクリと。冥子が反応を示す。
「どういう意味かしら」
「……なんだか違和感があるんです」
怨霊からの共感反応は支離滅裂で、通常の霊や悪霊のものほど明瞭ではない。だがそれでも見えるビジョン一つ一つに、生前の人生がきちんと見えてくる。
だが真島冥子からの共感反応に、和葉は真島冥子個人を見出だせなかった。
真島冥子について知っていることは少ないが、それでも彼女が浸の友人で、かつてはゴーストハンターを目指していたことくらいは知っている。
今の彼女からは、それらが感じられなかった。
「あなたは一体……誰なんですか?」
和葉がそう問うた瞬間、冥子の大鎌が和葉の盾を弾き飛ばす。
僅かに残っていた霊力が弾かれ、和葉はその場に背中から倒れた。
「時間稼ぎのくだらない問答に付き合ってあげる義理はないわ」
再び、冥子が大鎌を振り上げる。
恐らくこの一撃で和葉は殺されるだろう。そう感じ取った瞬間、今までの出来事が一瞬で脳裏を駆け巡った。
見えたのは、浸と出会った後のことばかりだった。
空が白んでいく。
夜が、明ける。
次の瞬間、和葉は懐かしい霊力を感じて目を見開いた。
冥子が動きを止めて振り返る。
一人の女が、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。
「あ……あぁ……」
あまりのことにうまく言葉が紡げない。
溢れ出す感情が止められない。
泥と血で汚れた頬の上を、温かい滴が流れていった。
「……随分と、待たせてしまいましたね」
聞き間違えるハズがない。
ずっとずっと聞きたかったその声が、身体中に染み込んでいくかのようだった。
「浸さんっ!」
黒いパンツスーツを着こなした女が、身の丈程もある大太刀を携えて歩いて来る。シニヨンにまとめたダークブラウンの髪をわずかに風に舞わせながら、彼女は希望の火を灯す。
和葉の声に、雨宮浸が微笑み返した。
「真島冥子……それにあなたは八尺女でしたか。話は道すがら聞かせていただきましたよ」
余裕たっぷりに微笑んで、浸はこちらへ向き直った二体の怨霊を交互に見る。
そこで和葉はあることに気づく。
真島冥子の霊域が、浸にほとんど影響を及ぼしていないのだ。
その上、浸から感じられる霊力がまるで別人のように膨れ上がっている。正確には、浸自身ではなくあの大太刀から感じられる霊力なのだろうか。
雨宮浸が大太刀を構える。極刀――――鬼彩覇を。
「……祓いましょう。雨宮浸の名において!」
ゴーストハンター雨宮浸、復活の瞬間だった。