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白山小梅
12
#借金
1,754
* * * *
近所のスーパーに行くだけだしと、春香はTシャツとロングスカート、髪を簡単にひとまとめにすると軽いメイクで出かけた。
数日分の作り置きをするための食料と、衣類用洗剤に柔軟剤。とりあえず手に持てるくらいの量と決めて買い物を済ませる。
こうしていると、いつもの休日の過ごし方とほとんど変わらず、近頃感じていた就業後の不安が嘘のようにさえ感じる。
穏やかな休日の午後。のんびりと街を歩いていると、心も軽くなっていく。
繁華街からは少し離れたこの地区だったが、最近は隠れ家的な店も増え始め、休日にも人の姿を見かけるようになった。それでも一つ曲がり角を曲がれば、あっという間に裏路地に出る。
買い物の最後にお気に入りの店のレモネードを購入して家に帰ろうとした時だった。見たことのある人物が、ガードレールに腰を下ろしてこちらを見ていたのだ。
その人物を確認した春香の顔から血の気が引いていく。
まるで今気付いたとでもいうように、驚いたような顔で春香を見ると、笑顔を浮かべて近寄ってきた。
「佐倉さんじゃないですか。偶然ですね。私服だったから、最初は誰か分かりませんでした」
いつものスーツとは違い、ブルーのチェックのシャツにデニムという姿だったので、明らかに休日であることはわかる。
でも彼が住んでいるのはこの辺りじゃないはずーーたまたまこの街に来ていた? そんな偶然があるのだろうか。
まさかーー《《私がこの近くに住んでいることを》》《《知ってた》》? そう考えると怖くなって身震いをする。
すると町村は春香が持っていたスーパーの袋を見ながら、納得したように頷いた。
「この近くなら、あそこしかスーパーはないですからね」
それは遠回しに『あなたがここに住んでいることを知ってる』と言われたような気がした。だからこそ、その言葉を否定しなければいけない。
「この辺のこと、お詳しいんですね……」
一生懸命に笑顔を作ろうとするが、頬が引き攣り、どうやってもいつもの笑顔にはなれなかった。
「あはは、たまたまです。あっ、荷物重そうですし、お手伝いしましょうか?」
町村はそう言うと、突然春香の手首を強く掴んだ。ただ手首を掴まれただけーーとはもう思えなかった。
その瞬間、恐怖のあまり体が震え、悲鳴をあげそうになるのをグッと堪える。
深呼吸をし、なんとか気持ちを落ち着けながら、
「あの、手を離していただけますか……?」
と絞り出すように伝えた。
すると町村はわざとらしく、大袈裟に手を上げる。
「あぁ! すみません!」
「いえ……友人の家にいくところなので大丈夫です。お心遣いには感謝いたします」
町村の目が笑っていないことに気付く。『そんな格好で? 嘘をつくな』と、彼の目が訴えているようだった。
「では……待ち合わせがあるので、これで失礼します」
なんとか作り上げた笑顔でそう言うと、家とは反対の方向に歩き出した。たとえこの人が家を知っていようがいまいが、今は家に帰る気にはなれなかった。
とりあえず町村の方を振り返らないようにしながら、急ぎ足で近くのファミレスに入る。
つけられていたらどうしようーーそんな不安に駆られながら、メニューが表示されたタブレットを開き、目についたアイスクリームを頼む。
椿に連絡をしたかったが、きっと今はデート中。自分のことで水を差すようなことはしたくなかった。
あの人は今も外にいるのだろうか。このまま家に帰っても大丈夫? もし家の前で待ってたら? アイスが届くまでの間、春香は悪いことばかりを考えてしまう。
「お待たせしました」
店員が持ってきたアイスクリームを口に含むが、全く味がしない。昨夜瑠維と食べたアイスはあんなに美味しかったのにーー。
その時に瑠維のことを思い出してハッとする。昨日再会したばかりの人に助けを求めるなんて図々しいだろうか。でも今の春香には、彼以外に頼れる人はいなかった。
春香はカバンからスマホを取り出すと、震える手で画面に触れる。そして昨夜の瑠維とのメッセージのやり取りの画面を開いた。
『何かありましたらすぐに連絡してください。おやすみなさい』
このメッセージをもらった時、すごく心強かった。椿や家族以外に頼れる人が出来た気がして嬉しくなった。
スマホの画面を打ちながらも、やはりどこかで躊躇ってしまう自分がいる。
彼はあの男とは違う……でもそうと言い切れる? 信用出来る人? 昨日再会したばかりなのに? でも彼の言葉を信じたい自分もいた。
何度もメッセージを打っては消し、読み返しては画面を閉じ、そしてとうとう送信ボタンを押した。
『時間がある時、連絡もらえる?』
大丈夫。彼は信用できる人。心の中でそう強く願った。
スーパーの袋の中には冷凍の食材もあり、袋の外にまで結露が付き始めている。水滴に触れると、冷たさに指先が跳ねた。それでも拭こうとする気持ちにはなれず、ただ眺めているしかなかった。
瑠維くんは今、何をしているのかな……仕事中だったら申し訳ない。でも時間が出来たら返事をくれるだろうか。
そんなことを考えていると、春香のスマホにメッセージが届く。恐る恐る画面を見ると瑠維の名前があり、短分のメッセージが表示されていた。
『どうかしましたか?』
たったそれだけの文章で、体の力が抜けていく。今の状況を聞いてくれる相手がいてくれることがわかっただけで、こんなにも安堵感に包まれた。
『今あの人とたまたま家の近くで会ったの。偶然だと思うんだけど』
彼に心配をかけないよう、なるべく明るい文面を心がけたのだが、送信した瞬間にすぐにメッセージが届く。
『今どこですか。その男は近くにいるんですか?』
春香は出入り口の方を見たが、店の扉は閉じたままで誰もいない。恐る恐る窓の外を覗いてみたが、それらしき人は見当たらず、ホッと胸を撫で下ろす。
『今はいないみたい。友達の家に行く途中だって嘘をついて、慌てて駅前のファミレスに入ったから信じたのかも』
『でもまだ隠れているかもしれません。僕が家まで送ります』
思いがけない展開になり、先程まで感じていた不安感が一瞬にして払拭された。
本当のことを言えば、このまま家に帰ることには抵抗があった。もし家がバレたらどうしようーーまさかもうバレてる? どちらにしても、今は家に帰るべきではないような気がしていた。
それに春香は瑠維に迷惑をかけるつもりはなく、買った食材は処分して、どこか近くのホテルに泊まればいいと思い始めていた。
『ちょっと話を聞いて欲しかっただけだから大丈夫。もう少ししたら帰るから』
すると今度は着信音が鳴り響く。何も確認せずに電話口に出た春香だったが、なんとなくだがそれが瑠維であるような気がした。
「もしもし」
『僕です』
直感が当たり、思わず苦笑いをした。
「うん、そうかなって思ってた」
『……あ、あの……これは僕の身勝手です。でも……心配なんです。まだその男が近くにいるような気がしてならないんです』
きっと先程の話を誰が聞いてもそう思うだろう。春香自身もその考えを捨てきれないのだから.
『だから……嘘を実行しませんか?』
春香は目をぱちぱちと瞬いた。
「嘘って、友達の家に行くってこと?」
『そうです。しばらくどこか別の場所にーーもし先輩が嫌でなければ、例えば僕の家に避難して、夕方くらいに先輩の家に帰るのはどうでしょう』
それはありがたい申し出だった。嘘ではないことが実証出来る上に、この場から去ることも出来る。
否定する理由が見つからない春香は、申し訳ないと思いながらも、
「……いいの?」
という言葉が口から出てしまった。
『もちろんです。すぐに迎えに行きます』
瑠維は勢いよくそう言うと、すぐに電話を切った。春香は安心したからか、ソファに体の全てを預けて息を吐いた。
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