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五月――陽気な春の昼下り。此処、如月動物病院前にて。
いよいよ明日、十数年振りの開院である。
院長は勿論、如月――幸人ではない。悠莉だ。
彼女も二十六歳を迎え、獣医の資格も獲得。当然、向かうべき道は――
「悠莉お姉ちゃん!」
病院前で感慨深そうにしていた悠莉へ、声を掛ける幼さの残る声。
「……あっ、雪季(ユキ)君! いらっしゃい」
悠莉は振り向いて、歓迎の意を示した。其処には雪のように白い肌を持つ、可愛らしい少年の姿が。
小学校高学年位だろうか。雪希と呼ばれた少年は、嬉しそうに顔を綻ばせながら、悠莉の下へ駆け寄って来た。
「おひさです。そして今日は御祝いに来ました」
御祝いとは勿論、久々の開院を祝して。
「ありがと~」
悠莉は思わず、その少年を抱き締めた。
「大きくなったね雪季君。そっか、もうすぐ中学生だもんね」
「う、うん……」
彼女なりの愛情表現なのだが、お年頃なのだろう。少年は気恥ずかしそうにしている。
「亜美さんも――いらっしゃい」
名残惜しそうに少年を離し、向けた視線の先には――
「お久し振り悠莉ちゃん。そして、おめでとう」
亜美の姿があった。
***
久々の再開を果たした二人。居間内にて亜美が御祝いに持ってきたケーキをパクつきながら、談笑の真っ最中だった。
先程の少年はケーキを食べた後は暇なのか、居間内を出て家内を検索中。
「――でも本当に凄いわ悠莉ちゃん。こうして幸人さんの後を継いで。あっ、もう悠莉ちゃんっては呼べないわね」
亜美は紅茶のカップをテーブルに置きながら、慌てて訂正した。つい昔のノリで接してしまっていた。
――悠莉は、本当に美しく成長していた。昔から可愛かったが、今は両方を兼備している。きっと此処は美人獣医で話題になるだろう。
「いいんですよ昔のままで。私もその方が気兼ねしませんし……って、こんなのボクっぽくなかったかな? あはは~」
悠莉はおどけて見せた。時の流れと共に成長したのは、外面だけでなく内面も。何時の間にか一人称も私へと変わっていく。だが芯は変わらない。今回、久々に昔に戻ってみた。
「うん、その方が悠莉ちゃんらしい」
亜美もまた同じ。
「亜美さんも昔と変わらず、ホント綺麗なままで羨ましいな~」
「何言ってるのよ、私はもう歳だし、悠莉ちゃんはこれからで羨ましいわ」
……昔に戻った彼女等の雑談は、まだまだ続きそうだ。
「――それにしても、月日が経つのは早いわね……。こうして悠莉ちゃんも獣医になって。あれから十三年……か」
「うん……。獣医の資格だけは、自分の力だけで取りたかったの。何時でも幸人お兄ちゃんが戻って来れるように」
二人はこれまでの事を思い返していく。
最後の闘いから、実に十三年が経過していた。
幸人は――未だ消息不明。それでも、悠莉は信じて待ち続けていた。
「悠莉ちゃんは……本当に幸人さんの事が好きなのね」
「それは亜美さんもでしょ? そういえば、亜美さんは再婚しないの? まだ若くて綺麗なんだし」
「私にはあの子が居るから。それだけで生きていけるし、これ以上の幸せは無いわ」
亜美の言う『あの子』とは当然、あの雪季という少年の事を指す。
「うん、雪季君ホント良い子だよ。私の本当の弟にしたい位」
「ふふ」
亜美は十三年前のあの時、妊娠していた。そしてあの少年――『雪季』を出産。父親はエンペラー、はたまた幸人か。どちらでもいいのかもしれない。同じ事。
雪希は二人の、特異点としての能力形態は受け継いでいなかったが、確かに面影があった。というより、殆ど生き写しだ。
亜美がその子に雪希、エンペラーと同じ名を付けた心境は如何程のものだったのか。
――もうする事が無くなったのか、不意に雪希が退屈そうに居間内に入り込んでくる。
「そうそう亜美さん。今日は泊まっていくんでしょ?」
「そうね。そうさせて貰おうかしら」
「えっ? 本当!?」
二人のやり取りに、暇そうにしてた雪季の表情が輝いた。
彼にとっては、願ってもない展開。久し振りに大好きな、兄弟の居ない雪季にとって本当の姉以上の存在でもある悠莉と、長く一緒に居れるのだ。
「雪季く~ん? 今日はお姉ちゃんと一緒にお風呂入ろうね。雪季君の成長具合、お姉ちゃんがしっかり確かめてあげるから」
「えっ? そ、それはちょっと……」
だが流石にそれは恥ずかしい。
「何恥ずかしがってるのよ。昔はよく一緒に入ったじゃない?」
「でも~」
「ふふふ、観念しなさい雪季」
――時は穏やかに流れていく。世が移り変わっても、決して変わらないもの。
それは――
…
“それは夢か現か――”
※ある夏の日の昼下りの事。
一段落した悠莉は夏影に誘われ、ついうとうとと診察室に腰掛けたまま眠りに落ちていた。
開院してからというもの、忙しくも充実した毎日。知らず知らずの内に、疲れも溜まっていた。
これはほんの一時の休息。
――夢を見ていた。それは懐かしくも淡い、昔の幸せな思い出。
それは本当に夢だったのかもしれない。
“チリン”
悠莉は聞き覚えのある音で目が覚めた。それは懐かしい鈴の音。聞き間違いでは無い。
しかし、辺りを見回すが姿は見えなかった。
まだ夢の中にいるのだろうか。その境界線が、いまいちはっきりしない。
「――っ!?」
不意に診察室のドアを回す音。今度は気のせいではない。
ドアはゆっくりと開かれた。
その光景に悠莉は思わず、涙が溢れそうになった。
懐かしさと、愛しさと――。
万感の想いを胸に、彼女は精一杯の笑顔を以て迎える。
「ゆっ……――」
…